スイス山里COSMOSNOMADO

アルプスの山を眺め空を見上げながら心に映る風景を綴ります

クリスマスマーケットのホットワインやスイスの鍋料理の話など

今週のお題「あったか~い」

毎年この時期になると、街はイルミネーションに彩られ、クリスマスマーケットが始まる。去年は、コロナのせいでクリスマスマーケットは中止になったが、今年はまた通常通りに行われるようだ。数日前に、チューリッヒ中央駅を通ったら、広場に並ぶお店小屋や食べ物小屋の設置がされていた。いつも、真ん中あたりには大きなツリーが置かれ、スワロフスキーの宝飾でキラキラと飾られる。目抜通りのバーンホフシュトラッセの空には、Lucy in the Skyと名付けられたイルミネーションが輝き、路地にもそれぞれ電飾の明かりが灯る。霧に覆われたチューリッヒの夜が華やいで、道行く人々の顔も心なしか明るくなるようだ。クリスマスを待ち望む降臨節の4週間は、寒くて暗い冬の希望の時になる。

クリスマスマーケットの楽しみの一つは、屋台で飲むホットワイン。ドイツ語ではGlühwein グリューワインと呼ばれるが、赤ワインに、グローブやシナモンの他にもいろいろな香辛料、オレンジやレモンなども入れて沸かしたワインだ。寒い屋外で飲むには打ってつけで、身体が温まる。駅の広場のマーケットのホットワインの屋台は、友達と待ち合わせたり、電車を待つ時間に飲むのにちょうどいい。

それから、熱々のラクレットを食べさせる屋台もある。あとは、焼きソーセージ屋さん。これらは、典型的なスイス名物だが、インドだったり、チベットだったり、異国の食べ物を売っている屋台もある。そう言えば、数年前、オペラハウスの広場に日本のラーメンの屋台を見つけた。ラーメンは、今こちらでブームの感がある。そのうちに、うどん屋さんもできるだろうか。

冬は、何と言っても鍋料理だ。スイスにも鍋料理がある。それは、フォンデュ。王道はチーズホンデュだが、ミートフォンデュも人気だ。フォンデュシノワとも呼ばれているが、クリスマスに食べる家庭も多い。カットした牛肉や野菜を串刺しにして、鍋のブイヨンスープに入れて軽く煮てから、いろいろなソースで食べる。準備さえしておけば、皆んなで一緒に食べられるといういう手軽さも人気の理由なのだろう。一般的には、チーズフォンデュには白ワイン。特に、私の好みとしてはファンダンが合う。ミートフォンデュには赤ワインだろうか。

鍋で思い出すのは、やはり日本の冬の風物詩。いろいろな思い出が蘇る。こちらでも、手に入る材料で我が家風の鍋料理を楽しんでいる。石狩鍋風とかいろいろ試すが、けっこうお客さんにも喜ばれる。魚が苦手で肉がお好きな人には、すき焼きが一番だ。日本の鍋には、私の好みとしては、やはり日本酒である。昔は、日本酒は日本に帰省した時の楽しみだったが、最近は、美味しい日本酒も手に入るようになった。ただし、値段は日本の3倍くらいする。だが最近、韓国食材店で「米だけのやさしい思いやり」という日本酒を発見。これは日本ではワンコインの手頃なお酒らしく、こちらでも値が張らないので、内輪で飲むにはなかなかいい。それにしても、昔に比べたら、日本の食材が身近になったものだ。

今年の降臨節とクリスマスの行事が滞りなく行われることを願っている。というのは、最近スイスでも、再びコロナの感染者が増えてきているからだ。お隣のオーストリアではロックダウンに入った。ドイツも今微妙なところだ。来年こそはこのパンデミックが収束することを祈りながら、個々の責任を自覚して行動していきたいものだ。

 

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霧の日に映画「ワンダフルライフ」を思い出す

私が住んでいる地方は、11月は霧が多い。霧に覆われた景色を見ているうちに、ある映画の場面が蘇ってきた。

古い病院の玄関のような入り口に、霧の向こうから、一人、また一人と現れて、受付を通って中に入っていく。ここは、死者たちが亡くなった後、上に昇って行くまでに一週間滞在する中間施設だ。是枝裕和作品「ワンダフルライフ」(英語のタイトルは、After Life) の冒頭のシーンである。この意味ありげな画面で、もう最初から映画の世界にグッと引き込まれる。この作品は、是枝監督の劇映画第二作目だ。元々、是枝監督はドキュメンタリー出身だそうだが、「ワンダフルライフ」を観ると頷ける。その後、だんだん作風も変わっていったが、この映画の作り方には、ドキュメンタリー手法がよく出ていると思った。

この中間施設で死者たちは、自分があちらに持っていきたい思い出を、ひとつだけ決めなければならない。持っていけるのはひとつだけ、そして、死者はその思い出と共に生きるのだ。なかなか難しい作業である。当然、見つけられなかったり決めかねたりする人も出てくる。だから、それを探し出すために、カウンセリングがある。見つかったら、その場面をショートムービーに撮る。発想が面白い。その施設には、映画製作チームがいて、あれこれ試行錯誤しながら、できるだけ本人の思い出に近づけるようなシーンを撮影する。この辺りの場面には、是枝監督の映画愛が感じられる。

このカウンセリングの場面が、ドキュメンタリータッチで描かれるのだが、俳優さんたちが実にいい。演じている感じがなくて自然なのだ。まるで、普通の人が本人として語っているようである。もちろん、有名な俳優さんは自然に演じていても、こちらが知っているので、劇だとわかるが。

ここで、この映画のストーリーを詳しく語るつもりはないが、いくつか印象に残った場面を取り出してみたい。たとえば、ある女性の恋物語。彼女は、恋人との逢瀬 の時間を思い出として持っていきたい。だが、カウンセラーが調べていくうちに、彼女の話の整合性が崩れていく。つまり彼は、本当は来なかった。それは彼女の願望だったのだ。また、ある初老の男性は、自分の人生のビデオを見せられて、自分がどう振る舞い、どう見えていたかに驚く。それは、彼が自身で描いていた自分像とは違うものだった。人は、自分が周りにどう写っているかは、なかなかわからないものだ。彼の妻は、彼より早く亡くなってこの施設を通過していったが、妻が持って行った思い出は、彼とのものではなかった。妻は、彼と結婚する前に知り合い、戦死した男性を生涯忘れなかったのである。妻が見ていた夫は、夫自身が思っていたものではなかった。この話は、ちょうどこの映画の核心のひとつになるので、あまり深入りしないでおこう。

ただ、人は自分の生涯を客観的に見せられたとき、どう反応するのかを考えてみたい。その通りだと思うのか、あるいは、そんなはずはないと思うのか。アンディ・ウイリアムスが歌って有名な「マイ・ウェイ」という歌がある。人生の晩年に、あのように思える人は幸せだ。主観的に、私は生ききったと思える人生は、本人にとって素晴らしいものなのだろう。そして、その主観と客観がポジティブな答えとして一致すれば尚のことだ。果たして、人は自分について客観的になれるのだろうか。それぞれが、マイストーリーを紡いでいる。人の記憶は、概して曖昧だ。あの映画のように、思い出の場面をひとつだけしか持っていけないとしたら、そして、それと共に永遠を生きなければならないとしたら、人が死の床で願うのは、果たして客観的な「真実」なのだろうか、それとも、主観的な思い込みにせよ「満足感」なのだろうか。

だいぶ昔に観た映画なので、それこそ、間違って記憶に残っている部分もあるかもしれない。機会があれば、もう一度観たい映画である。

追悼、瀬戸内寂聴さん

作家で僧侶の瀬戸内寂聴さんが亡くなった。99歳でいらしたというから、1922年生まれ、大正・昭和・平成・令和の4代を生き抜いた方である。心からご冥福をお祈りしたい。

物心ついた頃から知っていた方が亡くなっていくのは、寂しいかぎりである。もちろん、個人的にはお会いしたことなどないが、それくらい有名な方であった。私が注目するようになったのは、出家されてからだ。瀬戸内晴美として作家活動をされていた頃は、こちらもまだ大人になっていなかったので、あまり知らなかった。小説は「かの子繚乱」と「美は乱調にあり」を読んで面白かった覚えがある。

瀬戸内寂聴さんの本の中で、私にとって一番印象が強いのが、「源氏物語」の現代語訳である。全巻読んだ。その切っ掛けは、ドイツ人の年配の女性。その方は、日本からの特許申請のドイツ語訳の仕事をしていたそうで、日本語の読み書きが堪能だった。そんな彼女の会話の練習相手を頼まれた。その方は、スイスに住んでいながら、ある意味「源氏物語」の世界に生きている人だった。「源氏物語」研究が生活の中心のような人。オスカー・ベンルのドイツ語訳と日本語を比べるのが日課のようになっていた。老齢の方なので、コロナを機にお会いできなくなったが、今もそうだろう。紫式部の原典と注釈、そして、私の勧めた瀬戸内寂聴訳の「源氏物語」も参照しながら、会うたびに質問を持ってこられた。まさか、紫式部も寂聴さんも、時空を超えて、スイスでこんなにも熱心に自分の作品を読んでいる人がいるなんて、想像だにしなかっただろう。

寂聴さんは、「優しい人っていうのは、想像力がある人。他者の苦しみが想像できる人。相手の気持ちを想像できなければ、優しくできない。だから、優しい人にするためにまず想像力を養うべきです。それには本を読ませなさい」と言われたそうだ。本当にそうだと思う。

寂庵での法話の人気、東北のお寺の復興、東日本大震災の被災者への励ましなど、僧侶になられてからの社会活動ぶりは目覚ましかった。また、安保法案反対運動の際には、国会前の集会にも積極的に参加されていた。理不尽なことには、はっきりとノーを言う強さを持った方だった。寂聴さんは、菩薩道を歩いていらしたのだと思う。菩薩は、自分だけで悟りを開き、彼岸に渡るのではない。悩める衆生を救い、共に光に向かう。だからこそ、寂聴さんは、困っている人を捨て置けずに助けに行く。拝見していると、なかなかユーモアのある方だったと思う。そして、ご自分も人生を楽しまれたに違いない。存分に生き抜いた、素晴らしい人生だったのではないだろうか。もう一度、心からご冥福をお祈りいたします。

 

あれから一週間、選挙について考えてみる

衆議院選挙から一週間経った。今回の選挙は、少し驚きの結果だった。インターネットで見る盛り上がりと、実際の有権者の投票行動が噛み合っていないという印象がある。つまり、投票率が思ったほど高くなかったのだ。

選挙前の日本の雰囲気がどうだったのかは、日本に住んでいないので肌感覚ではわからない。リアルタイムでテレビの報道に触れることもないし、直接街頭演説を聞くこともない。だから、情報にはタイムラグがある。ただ、今回は今までと違って、野党共闘も成立し、政権選択選挙と言われていたので、さぞや関心が高いことだろうと想像していた。けれども、結果的には、投票率は56パーセントに満たなかったのだそうだ。そして、これは、戦後3番目に低い数字なのだという。一番低かったのが、前々回の7年前、次が4年前だと、選挙結果についてのサイトに書いてあった。ふと気がついたのは、これらの選挙はすべて、この10年の間に行われたものだということ。この間に何があったのだろう。

たしかに、外から見ていると、この10年の間に日本は変わったと感じる。社会の安定感が失われ、人々に余裕がなくなってきたようだ。戦後の歩みを振り返ると、日本は焼け野原から再出発して、高度成長期を迎え、世界的にも豊かな国として見なされるようになった。日本国憲法の下に、戦前にはなかった国民主権と人権が保証され、「一億総中流」などという言葉に象徴されるように、戦前のような身分の差、著しい貧富の差もなくなった。それで、人々に余裕ができて社会も安定に向かう。「衣食足りて礼節を知る」かもしれない。戦後長らく終身雇用制だったので、働く人の立場も守られ、安心して働くことができた。「ジャパン・アズ・ナンバーワン」という本で、グループとして成功していく日本的経営の仕方が讃えられたようだ。帰属感が、労働意欲にもつながった面があったかもしれない。一時、トヨタ式経営が注目されていた時期があったが、私がなるほどと思ったのは、有名なトヨタ看板方式のことではない。もうずいぶん昔の話になるが、トヨタの密着取材の番組だったと思う。そこで紹介されていたのは、トヨタでは、現場で働く労働者の一人一人が、改善への自分なりの工夫や意見が出せるということ。それによって、生産性を向上させていくという取り組みだった。その会社に一生を託すと思えば、我が事として関わっていくだろう。自分も会社の一員として大事にされていると思えば、働く意欲も湧くことだろう。

その終身雇用制が、ソニーが皮切りだった思うが、20年ほど前からなくなった。それは、小泉竹中構造改革の時期と重なる。それが更に加速されたのが、この10年だったように見える。能力主義だ、改革だ、効率だといって、人々をただただ生産性の有無で仕分けしていったように見える。痛みを伴う改革というキャッチフレーズだったが、その痛みは誰の痛みだったのか。長い間培われてきた日本的な働き方という梯子を、セーフティーネットも張らずに外してしまったかのようだ。そして、派遣や非正規雇用を進める。日本の教育制度は、スイスのように職業教育を組み込んでいない。だから、10代の時に専門性を身につけ、その職種のプロとして会社を変えても働いていけるようにはできていない。専門性の育成は、会社が担っていたのだと思う。

とにかく、戦前や戦後すぐの貧しい時代ではなく、現代の日本で子供の貧困が社会問題となり、善意ある人々が子供食堂を作って、満足に食べられない子供たちを助けなければならなくなったなんて信じられない。いくつもの仕事を掛け持ちしなければ、満足に暮らしていけない社会になったなんて信じられない。専門的な分析は、政治・経済の学者や社会学者に任せるが、これでは、多くの国民に余裕がなくなって、政治に目を向けるどころではないのかもしれない。本当は、だからこそ、社会をそんな風にしてしまった政治を変えるために、投票が大事なはずなのだけれど。

だが、投票率の低さに関しての一番の問題は、そこではない。もし、メディアがきちんと今の状況を報道していれば、余裕のない人々も、わざわざ自分から情報を取りに行かなくても済むだろう。自ら情報を探すのは時間がかかる。けれども、とくにテレビなどが、選挙があること、何が争点となっているかをきちんと放送していれば、自然に目や耳に入ってくるだろう。そして、選挙前の時期に、今までを振り返ってメディアが現政権に点数をつけたり報道したりしていれば、注目もするだろう。社会全体が、選挙に行かなくてはという雰囲気になっていれば、人は大勢に流れるものだから、関心も高まることだろう。

昔の日本のメディアを知っている者にとっては、今のいわゆる大手メディアのジャーナリストは報道に対する腰が引けているように感じられてならない。何々がありましたと、出来事をただ伝えるだけでは、ただの広報機関にすぎない。ジャーナリズムの役割は、批判精神を持って、その出来事の背景や経過をきちんと分析して、時には、視聴者の参考のために、自社の見解も伝えるものなのだと思う。

投票率をあげるには、選挙を一つの国民的行事というか、お祭りにするのも、一つの手かもしれない。国民のみんなで盛り上がって、一緒にこの国を考えましょうというふうに。けれども、政権の継続を問われる与党は、好まないだろう。なぜなら、ハレの場になってしまえば、皆が関心を持つし、隠したいことも隠せなくなってしまう。なるべく、今までのことに目を向けないでほしいというのが、本音かもしれない。とくに、今回の選挙では、本来なら厳しく問われなければならないことが山積していたはずだ。もうひとつ不思議だったのが、投票時間の繰上げがあった投票所が、前回に比べてもかなりの数で増えたというニュース。仕事が忙しくて、ぎりぎりに駆け込んでくる人だっているのではないだろうか。なんだか、なるべく来てほしくないという思いを感じ取ってしまうのは、考えすぎだろうか。そうでなければ、投票の権利を保証するために、それこそ行政指導しなければならない問題ではなかろうか。

いずれにしても、特に国政選挙は、これからの国のあり方を決める大切な選挙である。一人一人の生活に直結する。気づいていなくても、政治は個人の幸せさえ左右する。幸せは気の持ちようだけではない。国会議員は、法律を作る仕事をするわけだが、悪法を作る場合だってあり得るのだ。だからこそ、立候補者とその所属する政党をよく見極めることが大事だ。

憲法にしてもそうだ。長くなるので、ここでは詳しくは触れないが、今まで日本人が曲がりなりにも平和に暮らしてこられたのは、憲法が守り神になっていたところもあると思う。世界には、公正な選挙のない独裁国家も多々ある。そんな中で日本は、日本国憲法によって人権が保証されてきた。それがどうなっていくか、結果論になるが、今回の衆院選は、そういう意味でも分かれ道となる選挙になったようだ。選挙前は争点にもなっていなかったのに、数合わせが出来るとなって、急に持ち上がってきた改憲論議。選挙権を持ちながらも、それを放棄した人には、やはり次回は自覚を持って、未来に生きる日本人たち、自分の孫や子たちへの責任を果たしてほしいものだと願う。

ただ、投票に行くと言っても、わからないまま誰かに適当に入れるのは困りものだ。迷った時の道標となるものは何だろう。選挙の前は、皆いいことばかり言う。やはり公約だけでなく、その人物や属する政党が、過去にどんな言動をしてきたかをよく見極める必要がある。嘘や隠蔽を繰り返してこなかったか、国民の声に耳を傾けてきたか。党利党略や私利私欲ではなく、国民のための政治をするつもりなのかどうかは、きちんと見ておきたい。

 

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読書遍歴あれこれ

今週のお題「読書の秋」

子供の頃から、本を読むのは好きだった。記憶にある初めて読んだ本は「グリム童話」。それは、年の離れた兄が小学校卒業の時に先生からもらった本だった。六歳だった私は、その本を見つけて読み始めた。わからない漢字は、想像を働かせながら意味を補って読み進める。けっこう厚い本だったが、版画の挿絵が入っていて、それも想像を助けた。今思えば、あの版画は、中世ヨーロッパの雰囲気を醸し出していたようだ。他に読むものもないので、何回も読み返しているうちに、すっかりお話が頭に入ってしまった。「ラップンツェル」「灰かぶり」「白鳥の王子」「カエルの王さま」などなど。題名は忘れてしまったが、何でもご馳走を出すテーブルの話もあった。もう少し大きくなってからは、アンデルセン童話も読んだので、今はどちらの童話だったのかわからなくなっているのもある。たとえば「白鳥の王子」は、グリムにもアンデルセンにもあるらしい。私の印象に残っている「白鳥の王子」は、こういうストーリーだが、どちらのだったろう。12人の子供を残して王妃が亡くなり、王様の後添えに入った妃は、実は魔女だった。継母は末の姫を遠くにやって、11人の兄王子を白鳥に変えてしまう。兄たちを救うために姫が一計を案じる話だった。このお話は冒険的で、とても面白かった覚えがある。

小学校も中高学年になるに頃は、村岡花子訳の物語をたくさん読んだものだ。「若草物語」「赤毛のアン」シリーズ、「エミリー」3部作、「少女レベッカ」「秘密の花園」「紅はこべ」などなど。たしか偕成社からは、少年少女世界文学全集が出ていたように思うが、それも好きだった。小学生の私にとって、本は世界への扉を開いてくれるものだった。子供は好奇心が旺盛である。「なぜだろう、なぜかしら?」と、いろいろ知りたいことがたくさんだ。ある日、お友だちの家を訪ねた時の印象は強かった。その家には、壁の本棚にずらっと百科事典が並べてあったのだ。これを全部読むことができたなら、どんなにいいだろう。少なくとも、手を伸ばせば「知識の宝庫」が自分の家にあるなんて、とその子が羨ましかった。今は、コンピューターを開いて検索すれば、何でも知ることができる時代になった。あの当時には想像もできないことである。

中学生になってから読んだ小説で、しばらく心を奪われていたのは、エミリ・ブロンテの「嵐が丘」だ。あのヒースクリフの復讐にかける情熱は衝撃的だった。その他諸々、欧米の女性作家の作品を読んだ覚えがある。マーガレット・ミッチェルの「風と共に去りぬ」も面白かった。私小説よりも大河小説的なものが好きだった。中学の時か高校生になってからかは、記憶が定かではないのだが、住井すゑの「橋のない川」は、今まで知らなかった部落問題について目を開かせる小説だった。そういう意味では、五味川純平の「戦争と人間」もそう。日本史の教科書では習うことのない、日中戦争を含む昭和の歴史を知った。また、これはもっと後になって読んだものだと思うが、澤地久枝のノンフィクション小説「女たちの2・26事件」も昭和の生きた歴史を教えてくれた。

面白いもので、昔読んだ小説でも、登場人物のセリフが妙に頭に残っていたりする。記憶のことだから、正確かどうかは当てにならないが、そのひとつはフィッツジェラルドの「偉大なるギャツビー」の中のデイジーの言葉で、まだ幼い娘について「この子は可愛いおバカさんに育てるわ」というもの。デイジーもそうだったが、贅沢な暮らしをするためには、男性に頼ってのし上がるしかなかった、あの時代の女性の哀しさが垣間見える言葉だと思った。もうひとつは、サマーセット・モームの「クリスマスの休暇」のオルガ公女の言葉。彼女はロシア革命でパリに亡命してきた貴族の子女。言葉を正確には覚えていないが、要点としては、今は皆自分をチヤホヤしてくれるが、私がもし綺麗だとしたら、それは若さゆえであって、いずれは消えていくもの、という感じのセリフ。おお、若さの只中にいながら、なかなか賢い女性だと印象に残った。

大人になって、仕事し始めてからも徹夜で読んだ小説がある。それは、高橋和巳の「邪宗門」。戦前迫害を受けた大本教の話だ。衝撃的な小説だった。それから、ヴィクトル・ユーゴーの「レ・ミゼラブル」。これは、子供の頃に「ああ無情」として読んだ本だが、大人になってから完全翻訳本を読んだ。あの時自分が置かれていた時代が蘇る。

今現在注目している作家は、平野啓一郎である。たまたま「マチネの終わりに」を手にとって読んだのだが、それが彼の作品に触れた最初だ。それから、芥川賞を取った作家だというので、受賞作「日蝕」も読んでみた。次に「ある男」を読んで、社会性を持った視点が面白いと思った。今度は、またグッと作家の昔の作品に戻って「葬送」を読んだ。19世紀の小説を彷彿とさせ、長かったのだが一気に読み終わった。そして、最新作「本心」を読んで、社会性と哲学性を併せ持った小説家だと思い、今後の活躍に注目しているところである。

 

 

 

 

この10年

はてなブログ10周年特別お題「10年で変わったこと・変わらなかったこと

十年一昔という。子供を見れば、歳月が歴然とする。10年前に生まれた子供は、今十歳だ。十歳だった子供が二十歳。大人の10年には比べられないほどの、これは大変化である。そんな子供たちに、この10年の社会は、希望のある未来へ向かう規範を示すことができたと言えるだろうか。

この10年の間に何が変わったのか少し振り返ってみたい。何より、スマートフォンの登場と普及は、良くも悪くも世界を変える画期的なことだった。けれども、日本にとって一番大きな出来事は、2011年の東日本大震災と、それによって引き起こされた福島原発事故だと思う。この原発事故は、多くの人の運命を変えたし、日本の内外を問わず、人々のエネルギー供給に対する考えと態度に影響を与えた。ドイツでは、それまでは原発容認だったメルケル首相に脱原発の大英断を促した。あの事故の後、欧州では真剣な議論がなされたのが記憶に残っている。事故から数日後、スイステレビの討論番組で、福島原発事故がテーマとして取り上げられた。スイス電力会社のトップ、国会議員、工科大学の教授、医師、グリーンピースの活動家が原発を巡って議論した。そこに、当事国の人間ということで、たまたま依頼されて出演した。そこには意見の相違を超えて、全員を包む共通の雰囲気があった。大変なことが起こってしまったという神妙な面持ちと、事故の犠牲者を悼む慎みの表情が忘れられない。その後、スイスも即時ではないが、脱原発の方向に舵を切った。

そして、日本も当然そうなるだろうと思ったが、不思議なことにそうはならなかった。ある意味、当事国の態度としては世にも不思議な物語。あの事故までは、私もそうだったが、日本に54基もの原発があるなんて知らなかった人は多いと思う。それも、ずらっと海岸沿いに。地震と津波の国に。その後も、ずっと不思議なことが続いた。被災して避難した人たちはそのままという状態が続き、誰も責任を取ろうとしない。事故の後、口を極めて政府を非難していた当時の野党が、次の選挙で政権に返り咲き、さて、何をおいても、前向きな後始末と次の災害への万全の備えを政治の中心に置くかと思いきや、その後はもっと不思議な展開になっていった。

この10年の日本を見ていて、当惑したというか残念至極だったのは、私が国を出た時にあった日本の良さが、なんだかよく見えなくなってしまったことだ。日出づる国の太陽は、本当は今も変わらず空に輝いているのに、スモッグに覆われて霞んでしまったかのようだ。「美しい国」を掲げて返り咲いた者たちが、この10年でやったことはその反対ではなかったろうか。今も思い出すことがある。当時、農協に勤めていた友人は、あの政権交代となった選挙で、今回は「美しい国」に入れると言っていた。10年前、あの人たちは「TPP断固反対」を掲げて、農家や農協関係者の多大な支持を得たみたいだ。あらら、それなのに政権に返り咲くと、そんな公約を掲げたことなどすっかり忘れてしまったかのように、180度態度を変えてTPPに邁進。日本人が大事にしてきた「言葉の誠」はどこへ行ってしまったのか。今は亡き高倉健さんの顔が思い浮ぶ。健さんは国民的な人気俳優だった。彼が演じるヒーローは、まさに日本人が理想とする倫理観のもとに行動していたから。「約束は守る」「嘘はつかない」「行動に責任を取る」「自分に厳しくて謙虚」。だから、そんなヒーローである健さんに、みんながカッコイイと憧れたのだと思う。そんな時代があった。

そしてとうとう、上に立つ者が身を守るために、公文書の改ざんにまで手をつけ、責任は現場の職員に押し付けられた。その職員の方は苦しんで自死され、ご遺族が真相の再調査を切望しているのに、聞き入れられないらしい。上の者は力を持ち敬われる代わりに、何かあった時には責任を取るという、日本人の倫理観はどこへ行ってしまったのか。上に立ちながら、民の声に耳傾けず、国を憂えず、公私混同がまかり通る世の中になってしまったかのようだ。

10月31日に衆議院選挙があるということで、大使館から案内が来た。インターネットを使うようになってからは、海外にいても候補者の情報を得ることができるので、毎回投票に行っている。ベルンまでは、かなりの交通費と時間が掛かるが、 故郷のことはいつも心にあるし、ちゃんとした国でいてもらいたい。日本のあり方と行方は海外在住の我々にも大きな影響を与えるので、参加することは大事なことだと思っている。今回の選挙で問われるのは、思想信条の問題でもないし、右左の問題でもない。まずは、この10年の間に失われてしまった常識と良識を取り戻せるかどうかということではないだろうか。

 

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ああ、デジタルの世の中よ

突然はてなブログにアクセスできなくなって、しばらく更新はおろか、見ることさえできなくなってしまった。私にとって、コンピューターはブラックボックスだ。いろいろ試してはみたけれど、自分の手には負えない。こういった時の頼みの綱は息子だが、彼も忙しくてなかなか時間が取れなかった。この週末、やっと手が空いてみてもらうことができた。どうも、私のコンピューターが古すぎて、今使っているインターネットプロバイダーのアップデートができないのが問題だったらしい。ブログに関しては、とりあえず違うプロバイダーを利用することで、ひとまず一件落着。

それにしても世の中は、もはやほぼ全てデジタル化されてきている。郵便なども封書で来るのは請求書か寄付の依頼くらいだ。年末にはクリスマスカードや年賀状などはあるが、これもだんだんとデジタルカードに取って代わられそうだ。それとも、手作り感を大切にする人たちの間では残っていくだろうか。テレビもデジタルに切り替わって久しい。電車の切符もデジタル入力の自動販売機になり、さらにはスマートフォンのアプリから買う人も増えている。スーパーでの買い物も自分で品物のバーコードをスキャンして支払うやり方が、若い人を中心に多くなってきた。実生活で何気なく人とコミュニケーションを取る機会はどんどん減っていくようだ。効率化といって、無駄が目の敵にされているが、人間はイチゼロで割り切れるものではない。一見無駄なように見えても、円滑な人間関係に役に立っているものはたくさんあると思う。

今の時代、インターネットを介しての交流は増えている。様々なSNSの広がりがそうだ。かく言う私も、いくつか利用している。ツイッターやインスタができてからどのくらいになるだろう。私はしていないが、フェイスブックは中年層に定着していると聞いた。情報を広げたり、案内の告知には便利なようだ。ただ、ツイッターなどは、匿名でも利用できるので、ある意図を持って中傷やフェイク情報を流すためのアカウントもあると聞く。たぶん、当初はすべての人がコミュニケーションできると、ポジティブ面での効用を考えて作られたのだろうが、何でも悪用しようとする人間が出てくるのは残念なことである。

今、音声SNSが隆盛だという。音声での交流は、言ってみればリアルな交流だ。声は耳に直接波動を伝える。嘘をつくことが難しい。たとえば、クラブハウスなども、基本的には本名での付き合いだから、発言に気をつけるようになる。とは言え、本来はアーティスト名に限りニックネーム的なものが認められているはずだが、見ていると、ニックネームというか、ちょっと奇妙な名前表示のみの人もいる。抜け道はあるのだろう。前にも書いたが、「2021年私のオンライン元年」と銘打って、今年からクラブハウスを始めた。ナレーション吹き込みの仕事や朗読などもしているので、新しい音声発信の手段に興味を持ったのだ。ラジオのように使うこともできる。可能性のあるコミュニケーションツールではある。ただ、ツイッターやフェイスブックも音声機能を付けたということなので、スタートアップ企業のクラブハウスとしては生き残りのために必死な時期だろう。メッセージやいろいろな新機能が付いてきた。中には、かえって独自性がなくなってしまうのではと思うものもあるが、競争の世の中、利用者を繋ぎ止める、あるいは増やすためにいろいろアイデアを検討しているのだろう。

常に物ごとには両面がある。もし、災害などがあったりして電気が止まれば、コンピューターも動かず、世の中すべての機能が止まってしまう。すべてが通常運転の時は便利かもしれないが、一旦歯車が狂えば、全面的にコンピューターに頼っている社会は脆弱だ。とくに、地震大国である日本は、何かあった時のことが気になる。考えうる対策をしっかり取って、代替手段を用意しておく必要があるだろう。あるいは、すでにそういう備えをしているのだろうか?しかし、あれだけ原発安全神話を振りまいておきながら、それが地震と津波で脆くも崩壊してしまった事例を見ると、備えがあるとはなかなか信用できにくいものがある。運を祈るばかりだ。