スイス山里COSMOSNOMADO

アルプスの山を眺め空を見上げながら心に映る風景を綴ります

SFとファンタジー

今週のお題「SFといえば」

SFとかファンタジーとか、けっこう好きだ。

SFは、サイエンスフィクションの略だから、一応は科学的裏付けのあるフィクションと言える。昔は、カタカナ英語ではなくて、日本語で空想科学小説と呼ばれていたように思う。わからないながらも、科学的なことに興味があった私の本棚には、日本から折に触れて持ってきたブルーバックス系の本が数十冊並んでいる。 まあ、入門書の類だが、大まかな科学的知見を得るには分かりやすくて役にたつ。丸善エンサイクロペディアという大百科も昔々担いできた。科学的知識と論理的思考は大事だと思っている。

一方、ファンタジーは、日本語で言えば空想とか夢想とか幻想とかになる。論理的思考からは自由だ。こちらも好きで、子供の頃はお伽話を読んでは、よく空想に耽っていた。数年前に小学校の友達に会った時に、私の方ではすっかり忘れていたエピソードを話してくれた。彼女とは毎日一緒に学校から帰ったものだが、その道々よくあなたが作ったお話を聞かせてもらったのよ、と言う。そして、「じゃ、次は〇〇ちゃんの番ね」と振られて困ったのだそうだ。たしかに、親戚の家に遊びに行っても、大人たちが話している部屋の隅で、親戚のお姉さんの裁縫箱のボタンを貸してもらって、色取り取りのボタンたちのお伽話を作っては遊んでいた。今もファンタジーのお話を考えるのは好きである。

SFと言えば、私の中では、アイザック・アシモフ、アーサー・C・クラークの名前が浮かぶ。アイザック・アシモフは生化学者でもある。アーサー・C・クラークは「2001年宇宙の旅」の作者で、スタンリー・キューブリックと一緒に映画を作っている。この映画は、映画史に残る名作となった。ヨハン・シュトラウスの音楽と映像との組み合わせが美しく印象的だった。小説の方は映画製作とリンクさせながら書かれたのだという。ジョージ・オーウェルの作品もSFのジャンルに入るだろうか。彼の「1984」は、ディストピア小説と呼ばれ、あまりにも有名だ。まるで予言のように、ある意味、現代の社会が彼の小説の世界に近づいて行っているようで、薄気味悪い。

日本では、大御所として小松左京や筒井康隆がいる。小松左京の「復活の日」「日本沈没」は映画化されている。「復活の日」は、若かりし頃の草刈正雄がなかなか素敵だった。1980年の作品だ。「日本沈没」は2本作られているが、草なぎ剛出演の映画を観た。この作品で、私は優れた役者としての彼を知った。「日本沈没」は最近ドラマ化されたらしく、ネットフリックスでも観られるが、今はどうも観る気になれない。このところの様々な環境問題を目の当たりにすると、現実感がある分だけ、娯楽として受け取るには重たい気持ちになりそうな予感がして。今ちょうど思い出したのだが、そういう意味では、2004年のアメリカ映画「デイ・アフター・トゥモロー」も、2022年になっていっそう現実感を持って迫ってくる。

ところで、筒井康隆の「時をかける少女」は、1983年に原田知世主演で映画化されて好評だった。その後、2006年にはアニメも作られた。アニメといえば、最近「シュタインズ・ゲート」という次元を超えて展開するシリーズを観た。この作品も「時をかける少女」も、SFファンタジーに入るだろう。「シュタインズ・ゲート」は、たまたまのことで知って観たのだが、「世界線」という作者のアイデア、そしてそれを変えれば過去を変えうる、という発想が斬新で面白かった。

時や次元を超えて行き来するというのは、SFでもファンタジーでも扱われる魅力的なテーマである。カルロ・ロヴェッリの「時間は存在しない」を読んだが、本当に時間の本質は掴みどころがない。記憶と時間の関係も興味深い。最近、あちらこちらで私は「時の欠片」を拾っている。

Time Gate (cosmosnomado) 



いいこと探し

今週のお題「最近あった3つのいいこと」

コロナ、戦争、災害、エネルギー問題、インフレなどなど、毎日のニュースは「いいこと」の真逆ばかり。でも、そんな中、少しでも意識して身の回りの「いいこと」を探してみるのは精神衛生上いいことかもしれない。

そもそも、こうして無事に暮らしていること自体がありがたくていいことだ。でも、このお題で聞かれているのは、最近あった何かの出来事ということみたい。

三つということだが、一つ目は何だろう。スイス人のお友だちと素敵なコンサートに行ったことかな。チベット人の女性歌手Dechenさんのコンサートだった。彼女は子供の時に家族とスイスに亡命してきて、こちらで育った人である。ずいぶん前から、チベットのマントラを歌うコンサートを続けてきたらしい。スイス人のソプラノ歌手とティナ•ターナーと一緒にCDを出したこともある。一緒に行った友だちの知り合いなのでよく噂は聞いていたし、ご本人とも言葉を交わしたことはあるが、コンサートは初めてだった。彼女のレパートリーもどんどん広がって、このコンサートは神話の歌語りだった。ピアノやフルートやギター奏者たちとの共演で盛り上がり、アンコールでは聴衆も一緒に歌の輪に加わる。音楽の人々を結びつける力を見た思いだった。コンサートの後はお友だちとワインを飲みながら久しぶりのお喋り。三人だったが、そのうちの一人とのリアル顔合わせは本当に久々だったので楽しかった。

あとの二つは、私にあったいいことではないが、ポジティブなことを見たとして「いいこと」に入れようかと思う。

つい数日前のウォーキングでの出来事。ウォーキンググループには、50代から80代の女性たちが参加している。なんと90代の人も一人いる。週一だが、毎回参加するかは自由で、一緒に歩くグループも選べる。最速組、中速組、ゆっくり組とバリエーションがあって、その時の事情でどのグループと歩くかも自由だ。歩いているうちに速度が違ってくれば、グループ内でも少し分かれてくることもある。その日私は中速組にいたが、グループの一人が森を抜ける砂利の坂道で足を滑らせて転んだ。彼女は現在83歳で、70代の頃は最速組で歩いていたが、病気をしてから中速組になった。病気のせいか目がよく見えないらしいが、ウォーキングポールを突きながらサッサと歩いている。さて、転んだ時の仲間の対応ぶりがよかった。傷口を見て、これはチリ紙などで血を拭かない方がいいと判断、擦りむいてぶら下がった皮膚は、ちょうどスイスアーミーナイフを持っていた仲間が切る。念のために彼女のホームドクターに見てもらった方がいいと、ちょうどご主人が家にいた仲間の一人が、自分の夫に車で来てもらうように電話。印象深かったのは、近くで作業していた若い労働者が、私たちの様子を見て「何か手伝いましょうか」と聞きに来てくれたこと。私はこちらで、路上などで誰かが倒れた時など見知らぬ人が助けを申し出るのを何回か見た。これが、最近遭遇した二つ目のいいことだ。

三つ目は、今回の選挙で遠くから応援していた人が当選したことかな。最後までハラハラしたが、ついに通った。参院選の投票率は52パーセントだったという。約半分は棄権したということで、全くもって不思議だ。この人たちは、自分の暮らす社会、ひいては自分の行く末に関心がないのだろうか。このことについては、今日は多くを語るまい。とにかく、当選した私が応援している議員さんの頑張りに期待したい。

ということで、最近あった三つのいいことを書いてみた。

電気炊飯器

今週のお題「マイベスト家電」

長年愛用していた電気炊飯器が壊れてしまった。30数年前帰省した時に、日本からエッコラサと担いできたものだ。それ以来ずっとよく働いてくれていた。それが、ある日突然スイッチが入らなくなってしまった。こんなに唐突に寿命が尽きるなんて信じられず、何回も試してみる。だが、にっちもさっちもいかない。

その日は、故あってどうしてもご飯を炊く必要があった。さて、どうしたものか。もちろん、炊飯器に頼らずに鍋で炊くしかない。昔々、こちらに来たばかりの頃は電気炊飯器がなかったので、自力で炊いた経験はある。だが、ガスなどの直火ではなくて電気プレートなので、日本での炊き方とは要領が違った。初めて試した時に頭に浮かんだ言葉が「はじめトロトロなかパッパ、赤子が泣いても蓋取るな」だった。けれども、電気ではそうはいかない。初めに強く加熱しなければ、プレートはいつまでたっても熱くならない。だから、あの炊き方呪文は忘れて、まずは一番強くして一旦煮立て、それから電気を弱くしてみた。赤子が泣いても蓋取るなというから、蓋は取らずに様子見ができるように、ガラスの蓋がある鍋を使う。昔の成功体験を思い出して、とにかく炊いてみた。なかなかの出来ではあった。

だが、電気炊飯器の便利さを知ってしまったら、なしではいられない。チューリッヒの韓国と日本の食材店にいくつか置いてあったのを思い出して、見に行ってみた。韓国製の他に、タイガーと象印があった。しかし、だ。日本製は値段がかなり高い。型は古いのに、である。ずいぶん迷ったが、やはり高すぎる。それで、インターネットで色々と探してみた。すると、こちらの製品がいろいろある。昔は考えられなかったことだ。米を炊くのは、イタリア料理のリゾットくらいで、柔らかい白米を食する文化ではなかったからだ。SUSHIブームの影響や否や。とにかく、値段が食料品店の店頭にあった日本製よりずっと安い。

ちょうど、その週末に来客の予定があって、和食を作るつもりだったのでさっそく買いに走った。街中の大手家電品店である。オンラインで注文することもできるのだが、見てみないことにはわからないから。私が長年愛用していた炊飯器には敵わないが、まあ外国で買う炊飯器、妥協が必要。値段の割にはなかなかの品物だ。即決即断で購入した。

今のところは満足して使っている。ただ、水加減が今ひとつ上手くいかない。今までの炊飯器とはちょっと勝手が違う。まだお互いに馴染んでいないので、少しづつ知り合っていこうと思っている。

 

選挙について考えてみる

日本では、今週の日曜日はとても大事な日である。参議院選挙の投開票日だ。日本のこれからの命運を決する日と言ってもいいだろう。今回の選挙の後は、3年間国政選挙は行われないという。衆議院選挙は4年ごと、参議院選挙は3年ごとだから、確かにそうだ。衆議院選挙は、解散があれば4年を待たずにあるが、与党が安定多数を取れば解散はしないだろう。ということは、今回の選挙結果の与野党勢力図が、少なくとも3年は続くということである。与党にとっては、やりたい放題ということもあり得る。

民主主義の国には選挙がある。選ばれた議員たちが、国民を代表して国の運営をしていく仕組みだ。日本は間接民主制だから、国民は選挙の時しか声を挙げることができない。議員の仕事は法律を作ることだが、国会では多数決ですべてが決まる。ということは、下手をすると、選挙で多数を取った党が好きなように法律を作れるということだ。今までの政権与党のやり方を見ていると、国民のためというより、自分たちの都合第一で国を動かしてきたように見える。

ここスイスは直接民主制だから、選挙以外にも国政に国民の声を届ける機会がある。議会で通った法律に不服な場合は、5万筆集めてレファレンダムを提出し、国民投票にかけて賛否を問うことができる。また、新しい法律を望む場合は、10万筆集めてイニシアティブとして国民投票で提案することができる。それに、政府に与党も野党もない。主要4党から閣僚が入るのだ。つまり国民は、政治には自分たちの声が反映されるのだという感覚がある。

そういう意味でも、数年に一度しか国民が政治に関与できない日本での選挙の意味は大きい。だが、最近は毎回投票率が低いのだという。誠に残念なことだ。政治が生活と直結しているという意識があまりないのかもしれない。極端に言えば、政治に関心がないという人は、自分たちの生活がどうなろうがかまわないということだ。政治には自分たちの現在と未来の人生がかかっているとも言える。たとえば、どんなに将来に夢を描いていたとしても、国が戦争の道を選べば、動員されるし個人の生活はなくなる。まさに戦前がそうだった。

戦前の日本では、選挙権が制限されていたから、一部の人の意見しか政治に反映されなかった。特に女性には選挙権がなかった。男たちが決めた法律に従うしかなかったのだ。どんなにたくさんの母たちが涙を飲んで息子を戦場に送ったことだろう。だが、今の日本は違う。女性たちは声を挙げることができる。それなのに、選挙にも行かないというのは勿体無いを通り越して、無責任とも言えるだろう。未来の子供達への責任を果たさないということだから。各政党の政策もインターネットなどで調べやすくなっているし、街頭演説で肉声も聞ける。投票所だって自分の住んでいる地域にあるわけだ。

与党は政権を維持するために、選挙前はいかにも耳障りの良いことを言う。国民は、いわゆる公約よりも、今までやってきたことをこそ見なければならない。どんなに約束を反故にしてきたか、自分たちの利害のために立ち回ってきたかなど、投票の前にじっくりと思い起こす必要がある。野党にもいろいろあるから、よく目を見開いて判断するのが賢明だ。試金石は、誠実な候補者かどうか、国民のために役立ちたいから立候補したのかどうか。この20数年で凋落していった日本を救う行動ができる人なのかどうか。与党候補の場合は、個人的に誠実そうでも気をつけなければならない。その人を選んでも、けっきょくは採決の際の駒でしかなくなるからだ。党議拘束があるから、与党の上の方の意思に従うだけの人形になってしまうのだ。そんな人に一票を投じても、自分の声を託すことにはならない。議員でいたいがために立候補しているだけだから、あなたのために何かしてくれるわけではない。当選すれば選んでくれた人のことなど忘れて、「先生」の座に胡座をかくだけだ。

今回の選挙で一番危惧されるのは、改憲野党も合わせて改憲勢力が3分の2を占めるかどうかである。憲法9条の影に隠れているが、基本的人権の保障がもっとも大事だ。それが危うくなるのが緊急事態条項。これは打ち出の小槌で、これを手に入れれば政府は何でもできる。それは歴史を見れば明白だし、今も世界の独裁国家を見ればわかることだ。日本の現状では、数さえ手に入れれば問答無用で法律を通すぞという与党の心意気?は、この10年が示している。

とにかく、若い人ならば自分の将来のために、年配の人ならば子孫のために、必ず選挙に行って適切な人を選ぶことが肝要である。

 

喚く人たち

英国王室を描いた「ザ•クラウン」が大評判の頃、Netflixの視聴を始めた。お友だちに「愛の不時着」を勧められたというのもある。彼女たちは、スイス国内の撮影場所巡りをしたくらいなので、熱く語ってくれたのだ。そのあと「ダウントン•アビー」が面白くてハマった。あれを観終わってしまったあとは、なかなかコレぞというものがない。「ザ•クラウン」の続編を待っているのだが、まだ来ない。多分、英国王室と揉めているのだろう。これまた勧められて「アウトランダー」を見始めたが、暴力的シーンが多いので、ウィキペディアであらすじだけ読んでやめてしまった。話は面白いし、主役の二人も魅力的ではある。だが、戦いや拷問の場面があまりにリアルなのとベッドシーンがしつこいので、ちょっと遠慮しますという感じ。一般に、物語を本で読むのと映像として見せつけられるのとはだいぶ違う。

SFがけっこう好きなのだが、Netflixのは、SFに名を借りてのアクション物が中心のような印象を受けた。それと、血や傷などの描写がリアルだ。題に惹かれて観はじめたものの、途中で観なくなったものもある。最近「アナザー•ライフ」という宇宙人とのコンタクト物を観始まったが、これも途中でやめてしまいそうな気配だ。このドラマは、言葉遣いに品がない。どの登場人物も、二言目には、シットだファックだと悪態をつく。毎回、困難な状況に出くわすからだろうが、それにしても耳につく。これは男女問わずで、主役で宇宙船の船長の女性も、乗組員も皆よく喚き散らす。唯一AIの男性だけが普通で救われる気がする。船長役の女優さんも熱演ではあるのだろうが、顔の表情がオーバーアクションで、かえって内面の苦悩が表現しきれていない感がある。もっとも、これは演出なのだろうし、そう感じるのは私の好みのせいかもしれないけれど。器の大きいトップは、大変な時こそ感情をあらわにせず冷静沈着になるものだと思う。

思うに、映画やドラマは少なからず社会を反映しているし、またその逆も言える。何かの映画やドラマが流行ることによって、社会に影響を与えることもある。まず、お話は作者の頭の中から始まる。本の原作を土台として脚本を書くかオリジナルかは別として、すべて出発は誰かの頭の中だ。読書の場合は、作者から示された世界を読み手の想像力が作っていく。頭の中どうしのやり取りである。映画は、映画の作り手の解釈を物質的に構築するものだ。映像だからリアルで、それがあたかも現実であるかのように錯覚させてしまう。

アメリカ映画の流れを見ていくと興味深い。ベトナム戦争を境に作品の傾向が変わっていく。それまでのハリウッド映画は、どちらかといえば、道徳的というか良識的というか、今の映画に比べれば「上品」だった。アメリカ社会の中流層が厚かった時代と重なるだろう。ベトナム戦争はアメリカを変質させたと思う。実際の戦場は遠いアジアだったが、戦争はアメリカ人の精神を疲弊させ荒廃させた。アメリカは、自国を戦場としない戦争をずっと続けている国だ。若者たちが遠くの戦場に送られて、棺の中か心身を負傷して帰って来る。戦争は人の心にトラウマを生む。人々がイラつきケンカ腰になれば、使われる言葉も影響を受ける。使われる言葉が荒れれば、人々の中に調和がなくなっていく。そもそも、アメリカはフロンティア精神と称して、先住民を征服して作られた国だ。土台となっているのは、自分の利益の拡張ためには武器を取って戦うという精神のように思える。「和をもって尊しとなす」とはたいぶかけ離れた考え方である。

アメリカという大国が世界に与える影響は大きい。文化的にも、とくに若者たち(第二次大戦後若者だった人も含めて)は映画やビデオや音楽などを通してかなりの影響を受けている。ここスイスも、近年は昔に比べて騒々しくなった。公共の場での人々の話し声が大きくなったし、若者の振る舞いからも恥じらいが少なくなった感がある。SNSが広まって、いわゆるインフルエンサーと言われる人たちの影響も大きいかもしれない。スイス人はどちらかというと控えめな感じがあって、日本人と似ていると言われていた。だが、今の若い人たちを見ていると、だいぶ変わったと感じる。日本はどうなのだろう。とにかくアメリカ的生き方は、戦闘精神に満ちていると思う。だから、弁護士も多くてすぐ訴訟になる。ある意味、弁護士が多いから仕事を取るために訴訟を勧めるのかもしれないが。鶏が先か卵が先か。

とにかく、社会全体が騒々しくなった。それは、スマートフォンの普及とも切り離せないかもしれない。どこに行っても、空間に向かって大声で喋っている人を見かける。また、スポーツ選手などを見ても思うのだが、人々が公共の場所で感情を露わにするようになった。昔は、勝っても負けても、あんなにあからさまに叫んだり喚いたりすることはなかった。喜びも悔しさも、もう少し静かに噛みしめたものだ。とくに、日本人はそうだった。

だが、近ごろ日本に帰省したお友達がこう言っていた。「なんて言ったらいいのかしら、社会に品がなくなったような気がするの」。そうか、こちらだけでなく、日本もそうなのか。私がいた頃の日本は、一億総中流と言われていた。だが、この20年くらいで日本には格差が広がり、貧困に苦しむ人が増えているという。一時ジャパン・アズ・ナンバーワンとも言われた国が。やはりこれは失政がもたらしたものだろう。「衣食足りて礼節を知る」という言葉があるが、経済的に余裕がなくなれば、社会もささくれだつ。

今や世界も日本も大きな変化の中にある。土台自体が揺らぐほどの変化だ。そんなときこそ、舵取りをする人たちの人格が問われる。宇宙船の話にたとえれば、船長が賢明で冷静沈着であることが肝要だ。

 

 

 

トリノ小旅行

コロナが始まってから初めて外国へ行ってきた。と言っても、スイスからは比較的近い街トリノである。日本から外国と言えばすべて海外になるが、こちらは陸続きでずらっと4カ国に囲まれている。チューリッヒからトリノまでの距離は、直線にして260キロあまり、走行距離ではおよそ400キロくらいだろうか。列車で行ったが、4時間半ほどだった。東京から大阪までは、直線距離で400キロくらいだから、それよりはずっと近いことになるが、感覚的には、新幹線で行く東京・大阪間の方が近く感じてしまう。それに、やはり言葉も違うし生活習慣も違うから、心理的距離感もある。国境の町キアッソが近づくと、車掌さんが身分証明書の検査に来た。いよいよイタリアに入るんだという感覚になる。キアッソを過ぎると、乗客たちが一斉にマスクを付けはじめた。スイスでは撤廃されたが、イタリアではまだマスク着用義務があるからだ。国境を境に列車の中のウイルスの有無が変わるわけではない。クスッとなると同時に、法律の力を感じさせられる光景だった。

今回泊まったのは、ポルタ・ヌオーヴァ駅から徒歩3分のホテル・ローマ・エ・ロッカ・カヴール。イタリアの伝統的な古いホテルだが、中は改装してあって、近代的だった。我々の泊まった部屋は天井が高く広くて快適、空調が付いていたのはありがたい。なにしろ毎日いいお天気で暑かったので。着いてすぐ、カステッロ広場にあるインフォメーションセンターまで歩いて行った。約15分の道のりだ。マダーマ宮のある広場で、周辺にはトリノ王室博物群や、エジプト博物館などもある。そういう意味でも、場所的には最高のホテルだったと思う。

道々驚いたのは、若い人の多いこと。それもティーンエイジャーだ。なにか10代の若者が集まるイベントでもあるのかと思ってインフォで聞いたら、その日は学期末で、学校最後の日に生徒たちが街に繰り出しているのだという。あんなにたくさんの若者たちを見たのは久しぶりのことだった。翌日は、大学入学資格か卒業証書の授与式でもあったのか、頭にオリーブの冠をつけて歩いている学生たちを見かけた。夜もレストランのテラス席は若者たちで賑わっていた。レストランに座っている人たちは、ほとんどイタリア人のように見受けたが、そもそもトリノでは、外国人観光客をあまり見かけなかった。もっとも、ヨーロッパ人であれば、言葉を聞かない限りあまり見分けもつかないが。とにかく、アジア人観光客はほとんどいない。一時は、中国人観光客が多かったことだろう。観光バスのオーディオガイドには、中国語はあったが日本語はなかった。コロナの前からだが、その昔ヨーロッパで隆盛を極めた日本人観光客はめっきり減った。日本が経済的に繁栄していた時代も過ぎた感がある。

トリノには、美術館や博物館が多い。映画好きなので、さっそく国立映画博物館に行ってみた。トリノのシンボル的な建物であるモーレ・アントネッリアーナの中に入っている。短時間で全部は見切れない。それに、ホラー映画の展示が多くて好みではないのでざっと切り上げ、エレベーターで建物のトップまで上って街を一望した。その後、博物館見学へ。トリノ王室博物館群の建物は豪華絢爛、金などの華麗な装飾を施した部屋や広間はいかにもイタリア的だ。カリニャーノ邸はイタリア統一国立博物館になっている。ここもすごく大きいので駆け足で回ったが、戦争の歴史の展示に、今まさに起きている戦争のことを考えた。人類は戦いなくしてはやっていけない種族なのかと、重い気持ちになる。

観光のあとは、夕方のアペリティーボが楽しい。カフェやバーなどでアルコール飲料を注文すると、おつまみが付いてくる。それも、チップスやナッツのようなものだけではなくて、カナッペやピエモンテ地方の名物を少しづつ盛った皿なども。もちろん、お店によって様々だが。外に座って飲みながら、道行く人々を眺める。若い女の子たちは、知るや知らずや世のつかのまの春を惜しむように、ギリギリまで身体を覆う布を節約した格好で闊歩していた。ストリートミュージッシャンにも出くわす。物乞いの人も少なくない。ただ、数日居て見ていると、同じ顔ぶれが街を毎日回っているようだ。

今回は晴天に恵まれたが、大変暑かった。最近の暑さは半端じゃない。今週のニュースでは、ポー河周辺の乾燥が報道されていた。スイスもここ数日猛暑が続いている。世界的な気候変動の影響だろう。昔来た頃は、夏でも夕方は上着が必要だったが、今は夜になっても肌寒くならない。いろいろな意味で、変化の中にいるのを感じている。

 

 

エリザベス女王即位70年祭典に思うこと

エリザベス女王が即位して70年、英国ではここ数日に渡って盛大な祝賀の催しが続いている。その様子は、こちらのテレビや新聞でも伝えられた。また、ユーテューブにもたくさんの映像がアップされている。イギリスのことなのに、多くの人が関心を持っているようだ。私もその一人である。自分が生まれた時にはすでにこの世界に存在していて、物心ついた頃から知っている有名な人だ。96歳の今も、人生で自分に与えられた大きな課題をこなしている姿には敬服する。イギリス王室にはスキャンダルが多々あったが、エリザベス女王だけは、それとは無縁に人々の尊敬を集め、多くのイギリス人の一つの心の支えとして存在しているようだ。それは、ロイヤルファミリー存続の是非を超えたところにあるように思う。なんというか、それは、自分が選んだわけではないのに、人生で遭遇した使命を重く受け止めて、それに誠実に生きた人間への尊敬と信頼なのではないだろうか。エリザベス女王は、周りの事情によって運命が激変した人である。もし、エドワード8世が「世紀の恋」で退位しなければ、その弟である父親が国王になることもなく、当然その世嗣ぎとして、自身が女王になることもなかった。言ってみれば、直系でない他の英国王族のように、重い責任を持つこともなく、王族としての特典だけを享受できたわけだ。70年前の戴冠式の映像を見たが、あの王冠は、その責任を象徴するように大変に重いのだそうだ。覚悟をした瞬間だったのだろう。人間の覚悟の力は大きい。あるヨガの先生の言葉を思い出す。「人生にあれもこれもを求めるのではなく、人生が今あなたに何を問うているのかを考えてみること」。だいぶ昔のことなので、言葉はうろ覚えだが、だいたいこんな文脈だったと思う。エリザベス女王の生き方を見て、そんなことを思い出した。

それにしても、この世界には様々な人間たちが生きているものだと思う。その社会的な地位とはまったく関係なく、高潔な人もいれば無頼漢もいる。自分を犠牲にしてまでも社会の為に尽くす人もいれば、利己的な動機のみで行動する人間もいる。

たとえば、スイス人医師で、カンボジアに病院を作り長年現地の人たちの治療に携わっていたリヒナーという人がいる。その方は難病を得て、数年前に治療のためにスイスに戻り亡くなった。本当は、もっと早く戻ってきたかったのだと思う。だが、後継者が見つからなければ現地の人を見捨てることになる。詳しい事情はわからないが、内面の葛藤はあったのではないだろうか。日本人医師の中村哲氏のことも考える。アフガニスタンの住民の生活改善に尽力しながら、現地で銃弾に倒れた。ドイツ語では、職業のことをBerufという。Berufungと関係のある言葉だ。Berufungにはいろいろな意味があるが、能力と意向によって示される人生の課題、使命というのもその一つである。お金を稼ぐことだけが仕事ではない。先に挙げた医師たちは、人生の使命としてその仕事を全うしたのだと思う。

一方、地位だけ高くても無頼漢はいる。世界を見渡すと、独裁的権力者に多い。たとえば、本来の政治家の使命は、国が安定する政策を実現して、国民を幸せにすることだろう。だが、権力を握っている連中で、そんな政治家がどのくらいいるだろうか。国の最高責任者でも、自分たちの利益を第一義に、平気で国民を戦争に巻き込んでいく輩もいる。こういう人間たちは、言わば、暴力に頼って言うことを聞かせるならず者とかわりない。人間社会の破壊者だが、涼しい顔して権力の座を手放そうとしない。

昨日、たまたまスイステレビの哲学番組「星の時間」をみた。インクルーシブ社会と活動家がテーマだった。印象深かったのは、環境問題活動家の若い女性のインタビューだ。頑張ってもなかなか前進せず、孤独な闘いだと感じているようだ。利己的に生きられたらどんなに楽だろうと思っても、自分の裡なる使命感がそれをさせない。環境に配慮することなく自分の楽しみに生きる同世代の人たちを見ていたら虚しくもなるだろう。見ていてちょっと辛くなった。幸せでいてほしい。

最近は「好きなことだけしなさい。好きな人とだけ関わりなさい」と言うスピリチャル系の人もいるようだ。ただ、これを精神的に成熟しないうちに実践するとどうだろうか。人生はそう単純ではない。一見楽ではない使命を果たそうとする時にこそ、人間としての深み、人生の喜びに到達するチャンスがあり得るかもしれない。

エリザベス女王の即位70年祭典から、あれこれ思いが広がっていったところである。