スイス山里COSMOSNOMADO

アルプスの山を眺め空を見上げながら心に映る風景を綴ります

年の瀬に思うこと

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あと二週間もするとクリスマスがやって来る。いつもなら街はクリスマスマーケットで賑わう季節。チューリッヒ中央駅の広場やオペラ座の前、旧市街の石畳の通りはクリスマスに向けてたくさんの出店で大賑わいの頃だ。ホットワインを飲んだりラクレットをつまんでみたりとそぞろ歩きもまた楽しい。もちろんチューリッヒだけでなく、スイス全土の町が盛り上がる。ところが言わずもがなのコロナの影響で、残念ながら今年は軒並み中止に。例年通り飾られているイルミネーションが、せめてもの年末の雰囲気を醸し出してくれる。このアドベントの時期には、お祭り前夜に浮遊するワクワク粒子をなんとはなしに空気の中に感じたものだ。けれども、今年は道行く人々の間にそこはかとない不安感が漂っているような気がする。無理もないことだ、今のところ先行き不透明なまま新年を迎えるわけだから。

 そんな中、年末年始のグリーティングカード第一号が届いた。日本の元同僚からだ。日本を出てから会う機会はなかなかないが、年に一度の挨拶状のやり取りをしてお互いの近況を伝えあっている。我が家はデジタル時代になっても、毎年オリジナルデザインのカードを作って郵送。もうこれは伝統になっていて、毎年楽しみにしてくれている友人知人達がいる。となると、これはもうやめられない。多分これからもずっと続けていくだろう。なにしろ、伝統は連綿と続いていくからこそ伝統なのである。

 年賀状にまつわる話をひとつ。今年の1月のこと、いつも年賀状をいただく方から、どうしたことか便りがない。どうしたのだろう、お元気なのだろうかと気になり、また色々と思い巡らせていたところ、年明けて10日も経った頃郵便受けに日本からの便りが。消印を見ると、あちらからはもうずいぶん前に投函されている。ああ、お元気で良かったとホッとすると同時に、郵便の役目を思った。いつだったか、これはもうずいぶん前の日本のニュースだったと記憶している。お正月の郵便配達のアルバイトの人が、配達が大変でかなりの量の年賀葉書を捨ててしまったという話だった。その時思ったのが、これはある人たちには人間関係を変えてしまう出来事だったのかもしれないなということ。近しい仲なら、今年はどうしたのと問い合わせることもできるが、仕事関係の人だったり距離が微妙な関係の場合は、それもちょっと気がひける。様々思い巡らせながらも、そのままになって疎遠になってしまうこともあるだろう。一人の人間の行為は他の多くの人たちの運命に繋がっている。そんなことを改めて考えさせられた出来事だった。他にも、日常の小さな手違いや行き違いだったり、ある大事な日に何かの外的事情で予定の場所に予定の時間に着くことことができなかったり、そんなことが大げさに言えばある人の運命を変えることだってあるのかもしれない。すべての行為は単独で完結するものではない。また、子供たちは「嘘をついてはいけませんよ」と教わるが、それは社会が信頼を基礎に成り立っているからだ。信頼は人と人とを繋ぐ基盤である。

さて、ただいま年賀状を作成中。家族といろいろ相談しながら作っている。こんな共同作業も伝統になっていて楽しいものだ。