スイス山里COSMOSNOMADO

アルプスの山を眺め空を見上げながら心に映る風景を綴ります

袖すり合うも他生の縁

面白い夢だった。長野地方の何処かにあるらしき民藝館を訪ねている。スイス人の連れ合いとの日本旅行の途中だ。入り口横に受付があって、靴を脱いで家の中に入る。小さい民家のはずなのに、廊下の果ては大きな体育館のようなホールになっていて、そこにはいろいろな特産品を売る店が屋台を出している。黒光りする木の床が印象的だった。連れ合いが30年以上も前にそこの建築に関わったらしく、支配人らしき男性が彼のところにやってきて挨拶している。現実には、そんな事実は全くない。そこが夢の可笑しさだ。ただ、その支配人さんにはどこかで会ったような気がするのが不思議。もしかしたら、人生の旅の途上で実際に会った人なのかもしれない。

今までの人生で、いったいどれだけの人に出会ったことだろう。ずっと交際を続けている人もいるし、ある時期交流があったが、いつの間にか忘却の彼方へと消えた人もいる。その人たちは、人生において名前を持って関わった人たちだ。けれども、 束の間の時と場所を共有しただけの、名も知らぬ人たちを数えれば、とてもたくさんの人と出会っているはずだ。たとえば、旅先の車中で、宿泊先で、食事処で、あるいは、路上で。この広い世界の中で、限られた時間と空間の条件のもと、ほんの束の間行き会った人たち。時にそんな人たちの面ざしが蘇る時がある。どうしているのかなあと思うことがある。

夢をきっかけに、そんな人たちをふっと思い出した。

トルコのシリア国境近くにイスケンダルムという町がある。海岸沿いの大きな町アダナから、ドルムーシュという乗り合いバスを乗り継いで訪ねたことがある。もう30年以上も前の話だ。そこで行き会った3人の顔が浮かぶ。一人は、小さな観光案内所の女性。当時は外国人観光客など期待していない町だから英語は通じず、かろうじて連れ合いの片言のトルコ語で何となく話がわかった。でも、親切に一生懸命に説明してくれた姿が目に残る。町の食事処では、篠田三郎に似た若者が給仕をしてくれた。思い出す時、路地裏の裸電球の明かりの中にその顔が蘇る。それから、ドルムーシュの中の出来事。二人の男たちが何か言い争いを始めて、今にも一触即発のところ、一人の男性が止めに入った。なんでも、彼は外国人が乗っているんだからちゃんとしろ、というようなことを言ったらしい。不思議なことに、その男性の顔も覚えている。あれから20年以上経ってシリアの内戦が始まってから、あの国境の町には沢山の難民が押し寄せて来たはずだ。あの人たちの生活も大きな影響を受けているに違いない。今頃どうしているのだろうか。

日本の旅でも、たくさんの人たちに出会った。高山の居酒屋の板前さんとその後ろに並ぶ一升瓶の数々。あのカウンターの雰囲気を思い出す。日本ではまだ外国人が珍しいころ、土地の説明やら諸々丁寧な応対をしてくださった。あれから35年以上、もう70歳近くになっておられるだろう。それから、十数年前のことになるが、銀座でひょんなことから10分ほど立ち話した人がいる。銀座四丁目の和光脇の歩道で、灰色のスーツを着た30代位の男性とすれ違いざまフト目が合った。そのまま行き過ぎたところ、2、3歩進んだところで、その人が戻って声を掛けてきた。顎の細さと身体より大きそうな上着が目を引いた。何でも、私の額にいい相が出ていると言う。顔にある相が出ていると言って、新興宗教などに勧誘する手口はあるだろう。数日前、ご先祖様の墓参りに行ってきた私は、その人の纏っている空気にちょっと立ち止まった。いま人相見の修行をしているので、こうして人混みを歩いて練習しているのだという。こちらを知らないのに言っていることが当たっているが、そういうこともあるだろう。私もその人に見えた相を言ってあげて、それからお互いに「お幸せに」と会釈を交わし、それぞれの方向に歩いて行った。もし修行というのが本当だったとしたら、一人前になられただろうか。数年前のことも蘇る。あれは、ホテルから秋葉原駅へとガラガラとスーツケースを引いて向かっている時だった。駅の近くということで予約したビジネスホテルで、近いには近いのだが、途中に段々があって行きもたいへんだった。荷物を二つ持って四苦八苦していると、近くの立ち飲み屋の中から若い娘さんが飛び出してきて手伝ってくださる。そこで働いているようで、ちょっと中に声をかけてから、また出てきて駅まで荷物を一緒に運んでくれた。本当に助かった。可愛らしい娘さんの顔が思い出される。もう一つの思い出は、四国を走る列車の中でのこと。岡山に向かう列車に途中から乗車した私は、指定券を手に自分の席を探した。二人掛けで、隣にはすでに乗客が座っていた。すみません、と断りを入れて荷物を棚に上げようとすると、その方がすっと立って、手伝ってくれる。白い髪を短く刈り上げた痩身で精悍な感じの初老の男性だった。それをきっかけとして、何とはなしに話が始まり、日本の現状のこと、これからの国の行く末にも話題が広がった。雰囲気からして、どうも何か武道をしている人のような気がする。聞いてみたところ、やはり剣道をしていると言う。只者ではないなと思ったが、聞かなかった。それを察したのだろう、その方は降り際にさりげなく、刑事をしていました、と微笑み会釈して降りていった。お互いに、お元気でと言いながら。今頃どうしておられることだろう。

「袖すり合うも他生の縁」という言葉がある。人生の途上で行き会った沢山の人たち。ほんの少しだけ時間と空間を共有しただけの人たちも、もしかしたら何かのご縁があったのだという考え方には惹かれるものがある。それぞれの人生の物語を思う。そして、幸あれかしと願う。

 

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