スイス山里COSMOSNOMADO

アルプスの山を眺め空を見上げながら心に映る風景を綴ります

今は昔か?空気の中に情緒の粒子が漂っていた国、日本

今週のお題「雛祭り」

f:id:cosmosnomado:20210303205925j:plain


雪はまだ残っているが、ここスイスの里もようやく春めいてきた。日が長くなってくると、気持ちも明るくなる。もうすぐ、3月3日の雛祭り。少し早いが、明るい日差しに誘われて、お雛様にも太陽のお裾分けとばかりに、お部屋にお越しいただいた。その昔、一緒に海を渡ったお雛様、当方と違って、今も若々しいお二人だ。

今年はスイスでも久々の寒さだった。零下の日が続き、大雪にも見舞われた。スイスだけでなく、世界各地が異例の寒さに襲われ、普段は雪など降らない所でも大雪になった。テキサスもそうだが、普通と違うことが起きると、人々の生活に大きな影響が出る。異常気象が語られるようになって久しい。

このお雛様がまだ日本にいらした頃は、日本の四季もはっきりしていたように思う。たとえば、沈丁花の香りは学年末の思い出と結びついているし、もちろん桜の花は新学期の思い出に。春はうららか、新緑の5月は爽やかに、6月になるとそろそろ梅雨が始まり、そして7月の初めには、暑い夏がやってくる。それでも、35度を超えることなどまずなかった。9月には残暑が残るものの少しずつ秋の気配がやってくる。10月は清々しい季節で、もう台風は来ない。東京オリンピッックは、爽やかな秋晴れの10月に開催された。スポーツに一番ふさわしい季節だったから。そして、11月も半ばになると木枯らし一番が吹く。もちろん、日本列島は長いから、地方によって時期が違うのは確かだが、私が暮らしていた東京地方の思い出としては、こんな感じだ。スイスの気候も、来た当時とは変わった。あの頃は、夏も日が暮れると冷え込んで、夜までの外出には上着を持って出たものだ。ところが、最近の夏は暑くて、夜になっても気温が下がらない時もあるし、おまけに、蒸し暑い日もある。ただ、日本と違うのは、日陰は未だに過ごしやすいということ。それから、日本の赤い夕焼けが懐かしかったものだが、いつ頃からだろうか、夕焼けが日本のそれに似てきた。たぶん湿気が多くなったからかもしれない。

昔の日本は、一般家庭でも年中行事がさりげなく行われていた。今もそれは続いているのだろうか。正月三が日のお雑煮、節分の豆まき、雛祭り、5月5日の鯉のぼり、菖蒲湯。お月見にはお団子とすすきを供えて月を愛でた。それとも、気候も変わってきたし、世の中も忙しくなって、人々にも余裕がなくなってきただろうか。いつの頃からか、日本にも「効率」やら「成果主義」やら、アメリカ的ビジネスの言葉が入ってきた。それに追い打ちをかけるように「自己責任」「勝ち組負け組」という言葉も。初めてこちらで、日本語に訳せば「自己責任」に類する表現を聞いた時、「へー、日本ではそんなこと、あからさまには言わないなあ」と思ったのを覚えている。映画のセリフじゃないが、「それを言っちゃあおしまいよ」と言うか、そんな感覚を持った。日本には、繊細な心の綾を詠う和歌や季節感を大事にする俳句がある。日本人は、情緒的なものを極めて大事にする人たちだったと思う。その昔、知り合いのスイス人日本学者が言った言葉が思い出される。日本の空港に降り立った時、いつも空気の中に情緒の粒子を感じた、意訳すればそんな内容だった。外国の人にそう言われて考えてみれば、確かに私も90年代の終わり頃までは、帰省するごとにそれを感じていた。西欧とは違った空気感、実際の湿度のせいでもなく、ウエットというか何というか、やはり情緒の粒子としか言いようのないもの。西欧のピーンとした空気の中を飛び立ち、一万キロを超えて日本のそれに包まれた時、そのふわっとした粒子を感じて懐かしさを覚えたものだ。けれども、ここ20年くらいで徐々に日本の空気の"成分"が変わってきたような気がしている。以前は、都会の空気の中にさえ漂っていたその粒子を感じない。それはもうどこかに消えてしまったのだろうか。