スイス山里COSMOSNOMADO

アルプスの山を眺め空を見上げながら心に映る風景を綴ります

「我が青春に悔なし」に見る原節子の女優としての本領と、黒澤明と小津安二郎の作風について

最近、石井妙子氏のノンフィクション「原節子の真実」を読んだ。原節子と聞いてまず浮かぶのは小津映画だろう。「東京物語」「晩春」「麦秋」「秋日和」「小早川家の秋」などに出演している。戦後の小津映画を語る時、原節子は欠かせない存在だ。小津安二郎は1963年に亡くなった。そして、原節子も1963年に43歳で映画界を引退し、その後は2015年に亡くなるまで、公の場に出ることなく鎌倉の自宅でひっそりと暮らしたという。そんなこともあってか、原節子の引退は小津の死と関連付けて語られることも多かったようだが、このノンフィクションを読むと、彼女の引退の背景にはもっと深い事情があったように思われる。原節子は、当時の日本映画界では本領を発揮できなかった女優ではなかったのか。イングリット・バーグマンのような女優になりたいと語ったことがあったそうだが、あの時代の日本社会と映画界は、自分の道を毅然と生きる自立した女性像を受け入れるにはまだまだ遠かった。

黒澤明の「我が青春に悔なし」の中の原節子を見た時、これこそが彼女の女優としての本領を発揮する役柄ではないのかと思った。それほど小津映画の中の原節子とこの映画の彼女は違っていた。私は、小津映画で演じる彼女を見る時、どこかに微かな違和感を禁じえなかった。何というか、この人の本質が引き出されていないというもどかしさのような感覚。だからこそ、この黒澤の映画を観た時、同じ女優が監督によって、こんなにも違う表現ができるものなのかという驚きがあった。原節子が本来持っているものは、この自立した強さと能動的なパッションなのだと思った。石井妙子氏によれば、彼女自身、黒澤映画に出演することを望んでいたのだという。黒澤も自分の作品への彼女の更なる起用を熱望していたそうだが、いろいろな事情が絡んで実現しなかったらしい。たとえば、日本初の海外映画祭受賞作となった「羅生門」には、原節子の起用を真っ先に考えていたという。結果的には京マチ子になったが、もしこれが叶っていれば、原節子は国際女優としても大きく羽ばたいていたかもしれない。

黒澤明と小津安二郎は、表現法において対照的な映画作家だ。一方は「動」で、他方は「静」とも言える。それはカメラの回し方にも如実に現れている。黒澤はいろいろなアングルから俳優を捉え、クローズアップも多い。したがって、画面に躍動感が出る。小津の方は、ローアングルにカメラを固定し、登場人物はフレームの中に出入りする。だから、画面は淡々とした感じになる。小津映画によく登場する笠智衆などは、この撮り方にしっくり収まる俳優だと思う。一方、原節子はどうだろうか。当時で言えば大柄な彼女、そしてその華やかな目鼻立ちが、淡々とした日常の立ち居振る舞いの中に、一種の非日常性を醸し出している。原節子がその画面の中に置かれる時、微かなアンバランスが現れると私は感じる。これはもしかしたら、小津の意図なのかもしれない、と考えもする。一見穏やかな日常生活の小世界の外には、嵐が吹き荒れているという感覚、それは永遠に続くものではない、だからこそ愛おしいという思い。従軍の戦争体験もある小津だ。あの淡々としたホームドラマは、日常の脆弱性を知った人間の、日々の何気ない営みへの愛着ではないのか。そう考える時、私の中で小津映画は深みを増す。だが、監督の駒としての女優原節子ではなく、原節子という女優の本質を開花させ、本領を発揮させるという役割は、もしかしたら黒澤によってこそ成され得たのかもしれない、とは「我が青春に悔なし」を見て思ったことである。

この「我が青春に悔なし」は、私にとっては違う意味でも印象に残る映画となった。もう10年以上前のことになるが、チューリッヒ市映画館で黒澤明特集があって、字幕照射の仕事を頼まれた。上映作品の何本かはフィルムを新しくして、字幕はフィルム焼き付けではなく、コンピューターで映写室から照射するようになっていたからだ。その中のひとつに「我が青春に悔なし」があった。映写室の小さな窓から映画を見ながら、俳優のセリフに合わせてコンピューターのドイツ語訳を当てる。かなり緊張を要する作業である。それで、まずはリハーサル、それから本番に入る。同じ映画が日をまたいで何回か上映されるので、総計同じ映画を何回見ただろうか。それで自然と細部に亘っても目が行くようになる。大半は忘れてしまったが、黒澤明の凄さを感じさせられたいくつかのシーンが今も心に残っている。

この映画のストーリーをまとめると、こうだ。満州事変から急速に戦争に向かっていく時代の中、1933年に京都帝大の八木原法学部教授への思想弾圧事件が起こる。これは実際にあった京大滝川事件をモデルにしているという。八木原教授(大河内傳次郎)には、原節子演じる幸枝という令嬢がいて、糸川と野毛(黒澤作品「姿三四郎」で三四郎を演じた藤田進)という二人の父親の教え子に慕われていた。学生達は大学の言論の自由を守る運動を起こすが、警察の介入により排除され、八木原教授は事態収拾のために辞任する。それを機に野毛は大学を去って反戦運動に身を投じるが、糸川は内心は教授の辞任による学生運動の幕引きに安堵し、無事卒業して検事となる。幸枝は自分に思いを寄せる糸川の俗人性と、自分の中にある生への情熱が相反することを知る。そして、信念にひたむきに生きる野毛に強く惹かれていたことに気づく。やがて幸枝は、内に燃え盛るものを満たすべく自立した生き方を目指して、野毛のいる東京へと向かう。あることから二人は再会して愛情を確認し、共に暮らすようになる。だが、野毛はスパイとして特高警察に目を付けられていた。二人の愛の生活には、常に引き離される予感が伴っていた。ある日のこと野毛は検挙され、幸枝も苛酷な尋問を受ける。野毛はスパイの嫌疑を掛けられたまま獄死する。幸枝は遺骨を持って野毛の田舎の両親を訪ねるが、スパイの家として村人達から迫害を受ける理不尽に胸を突かれる。そして、野毛の妻として彼の親に仕え一緒に田と共に生きる決意をする。かつてピアノの鍵盤の上を踊った彼女の白い指は、今や鋤を握る農婦の逞しいそれに変わった。やがて終戦を迎えて農村は一変した。里帰りをした幸枝は、村に戻って女性達の教育に携わる決意を告げる。

黒澤明の脚本家、監督としての凄さを感じたのは、ひとつは次のごく短いシーンだ。検挙の予感に怯えながらも、幸枝は野毛との時間に幸せを感じていた。そんな貴重な、二人だけで過ごすある日のこと。陽を浴びながら草原に腰を下ろす二人のところに天道虫がやってくる。野毛はそれを拾い上げてその点々を眺めながら、自然の精巧さに感嘆の言葉をつぶやく。私はこの短いシーンに黒澤のメッセージを見たような気がした。野毛の世界観をたったそれだけの短い場面で伝える技。検事として、あの時代の法律の中での「正義」にただ従う世俗的な糸川に対して、野毛が見ていたのは、時代を超えた悠久の自然の真実。戦争への一致団結という号令のもとに、生命の真理を追求する精神の自由を奪う国の理不尽さにこそ、野毛は抗ったのではないか。彼は何より、精神の自由が尊重される社会を求めていたのだと思う。けれども、それはあの時代の日本においては許されないものだったのだ。

 

f:id:cosmosnomado:20210312221101j:plain