スイス山里COSMOSNOMADO

アルプスの山を眺め空を見上げながら心に映る風景を綴ります

祖母と過ごした夏の思い出

今週のお題「そうめん」

そうめんというと、なぜか祖母の顔が浮かぶ。ある夏休みの昼ご飯の風景が蘇る。祖母はよくそうめんを茹でてくれた。時に酢ぞうめんにして食べたり、薬味を入れた出し汁につけて食べたり。畳の部屋に、祖母と幼い私が二人っきりで、丸い食卓を前に座っている心象風景。そうめんを食べて、麦茶を飲む。麦茶は祖母のお手製だった。毎晩、布の袋に炒った大麦を入れて薬缶で沸かして水に浸けておくと、翌朝には冷めている。冷蔵庫などない時代だった。氷売りが夏の風物詩で、毎日「氷〜、氷〜、氷はいらんかね〜」と大きな声で歌うようにして売りに来る。それを聞いて、入れ物を持って外に買いにいく人たち。アイスボックスに入れるのだ。氷屋さんは大きな氷を注文分だけ鋸で切ってくれる。霧の彼方のぼんやりした思い出だ。

そうめんから始まって、すっかり忘れていたあの頃の夏にまつわる言葉が、連想ゲームのように出てくる。麦茶、風鈴、すだれ、団扇、蚊帳、氷売り、打ち水、浴衣、線香花火、こおろぎの声、蝉しぐれ、そして、祖母のアッパッパーも。アッパッパーというのは、今風に言えば楽な木綿のサマードレス。私の中では、祖母のその姿も夏の風物詩だった。

明治生まれの祖母は、いつも着物を着ていた。いつもは楽な普段着の着物だったが、来客を迎える前にはきちんとよそ行きの着物に着替えていたものだ。それと、選挙の時には特別に紋付の羽織を着て投票に行っていた。祖母は言葉遣いや行儀作法には厳しい人だったが、さすがに真夏だけは、着物を脱いでアッパッパー姿になっていた。

祖母との思い出が懐かしい。今でも時々、麦茶の香りを嗅ぐと祖母との夏の時間の気配を感じる。夏のけだるい午後、腕枕をして横になりながら、少し掠れた声で昔の歌を歌ってくれたりした。小学生の時に世界の首都を覚えた時は、根気強く暗記の相手をしてくれたっけ。母に誉められた記憶はないが、祖母は器用な子だねえなどと言ってくれた。今思うと、ほんとにそうだったのかは怪しいところではあるが。とにかく、祖母がいてくれたことはありがたかった。

そんな大好きな祖母が亡くなった時、海外にいて子供が生まれたばかりの私は駆けつけることができなかった。その心残りはしばらく重く胸に沈んで、子供に「マッチ売りの少女」の絵本を読み聞かせる度に、涙を堪えるのがたいへんだった。少女が擦ったマッチの光の中に優しいお祖母さんが出てくるところで、どうしても涙声になってしまうのだ。あれからずいぶんと時が流れた。ほんとうに、ずいぶんと。けれども、今もふと思い出す。できることなら、もう一度会いたい。

 

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