スイス山里COSMOSNOMADO

アルプスの山を眺め空を見上げながら心に映る風景を綴ります

波に揺れる小舟のように

 

スマートフォンには色々なアプリが入っている。スイス連邦鉄道のアプリも入れているが、個人登録はしていなかった。けれども、先日、切符を買うのに往生したので、とうとう登録することにした。

よく利用する区間の回数券は持っているが、そうでない目的地に行く場合は、たいてい窓口か自動販売機で買っていた。ところが、この間のことである。昼時は窓口が閉まっているので、自動販売機で買うつもりでいたところ、それが故障中らしく作動しない。さて、困った。どうしようか。切符なしで乗ってしまって、万一検札が来たら大変だ。こちらは改札口がないので、そのまま電車に乗ることはできる。だが、乗車前に切符を買っておかなければならない。長距離列車は別として、車掌は乗っていない。たとえ乗っていたとしても、もう車掌さんから買うことはできないし。言い訳は通用せず、無賃乗車として罰金を取られるのだ。まあ、いろんな人がいるから、疑わしきは罰せよの精神だろう。考え事をしていてうっかり忘れて乗車したところ、検札が来て、問答無用だったという話は、友達から直接聞いた。短距離の電車では、私服の検札者が抜き打ちでやって来る。昔は、誇らしく制服を来て赤い皮の鞄を襷掛けにした車掌さんから切符を買うことができたが、それはもう、今となってはノスタルジックな物語だ。

それで、急ぎアプリにゲストとして入って、個人情報とクレジット番号を入れて、とアタフタしながら切符を買った。登録しておけば、もういちいち情報は入れなくていい。最近は、クイックサービスもあって、電車に飛び乗る直前にアプリをタッチすればいいらしい。ただ、それにはスマートフォンの位置情報をオンにしておかなければならない。便利ではあっても、逆に言えば、携帯がインターネットと繋がっている限り、行動が全部どこかで把握されているというわけだ。まあ、カーナビも同じ理屈だけれど。

交通機関だけではない。今や買い物もそうだ。スーパーなどのレジもどんどん減っていって、カードでの自動清算機が増えてきている。若い人たちは手慣れたもので、たぶん便利に思っていることだろう。ただ、こちらも全部買ったものが記録に残るということだ。今はインターネットで買い物をする人も多い。ホテルの予約もそうだが、検索をすると、すぐにその後から、あなたへのお勧めのホテルという連絡が入ってくる。

たしかに、IT利用の自動化で便利になった面はある。けれども、どこかで誰かに管理されているような不自由感がいつも微かに付きまとう。どこかの国では、屋台の支払いまでカードでするようになっていると聞いた。街のあちこちにはビデオカメラ。必然的に個人の行動が記録されていくわけだ。また、「良き市民」かどうか査定されるという話も。そんな社会は、ジョージ・オーウェルの「1984」を思い起こさせて薄気味悪いものがある。

人類は便利さを求めて様々なものを創造してきた。それは進歩の歴史だ。だが、その結果への問いなく、技術だけが一人歩きしていくとき、私たちはどこへ向かうのだろうかという不安が残る。

なんだか、いろんな波が押し寄せてくるようだ。私が乗っているのは小舟。とにかく、向こう岸に渡るまで、大波に拐われないようにしっかり漕いでいくしかないのだなあ、と思うこの頃である。

 

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