スイス山里COSMOSNOMADO

アルプスの山を眺め空を見上げながら心に映る風景を綴ります

思い出のバニラアイスクリーム

今週のお題「好きなアイス」

好きなアイスは、いろいろある。バニラアイスベースで、胡桃入り、マカデミアンナッツ入り、メープルシロップ入りなど。モカのアイスクリームも美味しい。スイスの街角では、Gelateriaと呼ばれるアイス屋さんが、いろいろな種類のアイスを店頭に並べて、老若男女に人気である。

子供の頃は、こんなにたくさんのアイスクリームがあるなんて知らなかった。夏といえば、かき氷。いろいろなシロップをかけたかき氷が、日本の蒸し暑い夏にはぴったりだった。メロンの緑、イチゴの赤、それから、小豆のかき氷。そうそう、小豆ミルクだっけ、コンデンスミルクとかけ合わせたのも美味しかった。10代になってからは、ソフトクリームがお気に入りになって、これは夏でなくても食べたものだ。

子供の私の中では、アイスクリームは特別な日の食べ物、何となく高級感と結びついていて、よそ行きの顔をしていた。父に連れられて見学に行った氷川丸の食堂で食べた、脚の長い銀の器に小さく盛られたバニラアイス。四角く上品なスプーンで掬って舌の上に乗せる。とろけるような味だった。父と出かけた日の、思い出のバニラアイスクリーム。

氷川丸は、昭和5年に貨客船として北米航路シアトル線に配線されたとのこと。太平洋戦争で航路休止になるまで、多くの乗客を乗せて活躍したそうだ。利用客には、チャップリンや皇族、柔道の嘉納治五郎などの著名人もいたという。その後、戦争中は病院船として、南方戦線に赴き、戦後は、引き上げ船として大陸から邦人を輸送。その後はいろいろな任務を経て、再び貨客線として、シアトル航路に戻ったのだそうだ。やがて、時代の変化に伴って、1960年には引退。

歴史とともに歩んだこの船は、船舶としての役目を終えたのち、1961年から横浜港の桟橋に横付けされて、見学船となった。山下公園に係留しているそうだ。そうだ、というのは、大きな桟橋から乗船したような記憶があるので。小さかったから、場所をよく覚えていないのだ。覚えているのは、父と一緒に行ったこと、港の景色、船の中を見学したこと、そして、アイスクリームを食べたこと。

父は自由人で、というか、好奇心が強くて、休みになるといろいろな所へ出かけて行った。時々は、私も一緒に連れて。浅草の何かの市へ行った記憶もある。すべて、小さかった頃のことで、はっきりは覚えていない。あの時、どうして父は、私を氷川丸に連れて行ってくれたのだろう。あれから、家族の歴史にもいろいろなことがあり、ずいぶんの時が流れた。父が他界してからも久しい。あの銀の丈高い器に盛られたアイスクリームと、父の白い開襟シャツを懐かしく思い出す。父は、お酒が入ると、よく横浜を舞台にした「港の見える丘」を歌った。カフェでコーヒーを楽しんだり、レコードで洋楽を聴いたり、いわゆるモダンな人だったが、あの年代の多くの日本人たちと同じく、若い時を戦争に翻弄された人生だったのだと思う。

 

f:id:cosmosnomado:20210801044609j:plain

野の花