スイス山里COSMOSNOMADO

アルプスの山を眺め空を見上げながら心に映る風景を綴ります

追悼、瀬戸内寂聴さん

作家で僧侶の瀬戸内寂聴さんが亡くなった。99歳でいらしたというから、1922年生まれ、大正・昭和・平成・令和の4代を生き抜いた方である。心からご冥福をお祈りしたい。

物心ついた頃から知っていた方が亡くなっていくのは、寂しいかぎりである。もちろん、個人的にはお会いしたことなどないが、それくらい有名な方であった。私が注目するようになったのは、出家されてからだ。瀬戸内晴美として作家活動をされていた頃は、こちらもまだ大人になっていなかったので、あまり知らなかった。小説は「かの子繚乱」と「美は乱調にあり」を読んで面白かった覚えがある。

瀬戸内寂聴さんの本の中で、私にとって一番印象が強いのが、「源氏物語」の現代語訳である。全巻読んだ。その切っ掛けは、ドイツ人の年配の女性。その方は、日本からの特許申請のドイツ語訳の仕事をしていたそうで、日本語の読み書きが堪能だった。そんな彼女の会話の練習相手を頼まれた。その方は、スイスに住んでいながら、ある意味「源氏物語」の世界に生きている人だった。「源氏物語」研究が生活の中心のような人。オスカー・ベンルのドイツ語訳と日本語を比べるのが日課のようになっていた。老齢の方なので、コロナを機にお会いできなくなったが、今もそうだろう。紫式部の原典と注釈、そして、私の勧めた瀬戸内寂聴訳の「源氏物語」も参照しながら、会うたびに質問を持ってこられた。まさか、紫式部も寂聴さんも、時空を超えて、スイスでこんなにも熱心に自分の作品を読んでいる人がいるなんて、想像だにしなかっただろう。

寂聴さんは、「優しい人っていうのは、想像力がある人。他者の苦しみが想像できる人。相手の気持ちを想像できなければ、優しくできない。だから、優しい人にするためにまず想像力を養うべきです。それには本を読ませなさい」と言われたそうだ。本当にそうだと思う。

寂庵での法話の人気、東北のお寺の復興、東日本大震災の被災者への励ましなど、僧侶になられてからの社会活動ぶりは目覚ましかった。また、安保法案反対運動の際には、国会前の集会にも積極的に参加されていた。理不尽なことには、はっきりとノーを言う強さを持った方だった。寂聴さんは、菩薩道を歩いていらしたのだと思う。菩薩は、自分だけで悟りを開き、彼岸に渡るのではない。悩める衆生を救い、共に光に向かう。だからこそ、寂聴さんは、困っている人を捨て置けずに助けに行く。拝見していると、なかなかユーモアのある方だったと思う。そして、ご自分も人生を楽しまれたに違いない。存分に生き抜いた、素晴らしい人生だったのではないだろうか。もう一度、心からご冥福をお祈りいたします。