スイス山里COSMOSNOMADO

アルプスの山を眺め空を見上げながら心に映る風景を綴ります

街角カフェでコロナのことを考える

目医者の予約があったので、久しぶりにチューリッヒの街に出た。最近はコロナのせいもあって、特に用事がなければ遠出もしなくなった。そんなわけで、久々の外出である。ということで、予定の時間より早く街に行ってみる。ちょっとカフェに入ってゆっくりしようという算段である。

街角に、なかなか洒落たカフェを見つけた。トラム(市電)のターミナル前の通りに面している。あそこに入ろう、と入り口に向かう。まだ朝の気配だが、勤め人はもう仕事を始めている頃だ。カフェの中には、年配のご婦人たちや、新聞を読んでいる男性などがちらほらと座っている。ちょうど真正面にトラムの通りが見える席が空いていた。予約の時間まではまだ30分ほどある。コーヒーとクロワッサンを注文して、ゆっくりと道行く人々を眺めることにした。

外を見ていて、様変わりしたなあと思うのは、道行く人々のマスク姿だ。スイスでは、外ではマスクをする必要はないが、建物の中に入るときには着用しなければならない。公共交通機関もそうだ。だから停留所や駅では、電車に乗る前でもすでに付けている人が多い。日本では、コロナ以前からマスクはなにも珍しいことではなかった。昔から風邪を引けばマスクをしたし、春になると花粉症でマスクも花盛り。しかし、こちらでは、大げさに言えば天地がひっくり返るほどのことだった。それくらい、マスクはスイス人に大きなライフスタイルの変化をもたらした。

注文を取りに来たサービスの人に、スマートフォンに入れているコロナワクチン証明と身分証明書を見せる。昨年の末にオミクロン株が広がってからは、ワクチン接種者か、感染して抗体証明を持っている人だけしか、レストランなどに入れなくなった。その前は、未接種者も事前にテストをして陰性であれはだいじょうぶだった。だが、ワクチンを接種していれば、万一感染しても重症化は少ないので、病院の集中治療室に入る患者はまずいないが、未接種者については重症化の可能性も高いと言われている。だから、屋内に集まって長く過ごすような場所は避けた方がいいということだろう。政府が一番憂慮しているのは、2年前に感染拡大が始まった頃のような病院への多大な負担と死亡率の増加のようだ。

2020年の春は、ヨーロッパは大変だった。2月の初め頃は、遠い中国の出来事と思っていたのが、まずイタリアに飛び火して、あっという間に広がった。スイスでも、とくにイタリアと国境を接しているティチーノ州は感染者が爆発的に増えた。あの頃は、未知のコロナウイルスに、政府も医療関係者も必死に立ち向かっていた。今でこそいろいろ分かってきたが、当時はワクチン開発に希望を託して、できるだけ人との接触を断つしか道はない状況に見えた。そして、ロックダウン。連邦政府は毎日記者会見を開いて、国民に推移する状況を説明するのに追われた。保健庁を担当している内務大臣のベルセ氏の心理的肉体的負担は大変なものだったと思う。対策を認める人もいれば、常に批判する人もいるし。今年で2年に渡る激務になる。お坊さんのような頭なのだが、うっすらとした髪にも心なしか白いものが増えたような気がする。

その彼も、先日の記者会見では少し明るい顔をしていた。感染者は減ってはいないが、ワクチン接種も進み、その多くは軽症者で病院の逼迫状況はないとのこと。そこで、連邦政府としては、徐々に措置の緩和に向かいたいとのことだった。在宅勤務の義務はなくなり、濃厚接触者の自己隔離期間も短縮。その他、コロナ証明提示義務をなくすことも検討されているようだ。いずれにしろ、2月17日の会見であらたな措置の緩和が発表される予定という。3年目の春は、どんな景色を迎えることになるのだろうか。

こうやって街を歩いている人たちも、この2年間いろいろな思いを持って過ごしてきたことだろう。ワクチンに対しても様々な見解があって、データに基づいた科学的な情報だけでなく、個人的解釈もユーテューブなどでたくさん発信されている。リテラシーという言葉があるが、誰でも発信できるこの情報洪水時代には、情報リテラシーを持って物事を判断することはとても大事なことだと思う。コーヒーを飲みながら、そんなことを考えた。

 

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