スイス山里COSMOSNOMADO

アルプスの山を眺め空を見上げながら心に映る風景を綴ります

喚く人たち

英国王室を描いた「ザ•クラウン」が大評判の頃、Netflixの視聴を始めた。お友だちに「愛の不時着」を勧められたというのもある。彼女たちは、スイス国内の撮影場所巡りをしたくらいなので、熱く語ってくれたのだ。そのあと「ダウントン•アビー」が面白くてハマった。あれを観終わってしまったあとは、なかなかコレぞというものがない。「ザ•クラウン」の続編を待っているのだが、まだ来ない。多分、英国王室と揉めているのだろう。これまた勧められて「アウトランダー」を見始めたが、暴力的シーンが多いので、ウィキペディアであらすじだけ読んでやめてしまった。話は面白いし、主役の二人も魅力的ではある。だが、戦いや拷問の場面があまりにリアルなのとベッドシーンがしつこいので、ちょっと遠慮しますという感じ。一般に、物語を本で読むのと映像として見せつけられるのとはだいぶ違う。

SFがけっこう好きなのだが、Netflixのは、SFに名を借りてのアクション物が中心のような印象を受けた。それと、血や傷などの描写がリアルだ。題に惹かれて観はじめたものの、途中で観なくなったものもある。最近「アナザー•ライフ」という宇宙人とのコンタクト物を観始まったが、これも途中でやめてしまいそうな気配だ。このドラマは、言葉遣いに品がない。どの登場人物も、二言目には、シットだファックだと悪態をつく。毎回、困難な状況に出くわすからだろうが、それにしても耳につく。これは男女問わずで、主役で宇宙船の船長の女性も、乗組員も皆よく喚き散らす。唯一AIの男性だけが普通で救われる気がする。船長役の女優さんも熱演ではあるのだろうが、顔の表情がオーバーアクションで、かえって内面の苦悩が表現しきれていない感がある。もっとも、これは演出なのだろうし、そう感じるのは私の好みのせいかもしれないけれど。器の大きいトップは、大変な時こそ感情をあらわにせず冷静沈着になるものだと思う。

思うに、映画やドラマは少なからず社会を反映しているし、またその逆も言える。何かの映画やドラマが流行ることによって、社会に影響を与えることもある。まず、お話は作者の頭の中から始まる。本の原作を土台として脚本を書くかオリジナルかは別として、すべて出発は誰かの頭の中だ。読書の場合は、作者から示された世界を読み手の想像力が作っていく。頭の中どうしのやり取りである。映画は、映画の作り手の解釈を物質的に構築するものだ。映像だからリアルで、それがあたかも現実であるかのように錯覚させてしまう。

アメリカ映画の流れを見ていくと興味深い。ベトナム戦争を境に作品の傾向が変わっていく。それまでのハリウッド映画は、どちらかといえば、道徳的というか良識的というか、今の映画に比べれば「上品」だった。アメリカ社会の中流層が厚かった時代と重なるだろう。ベトナム戦争はアメリカを変質させたと思う。実際の戦場は遠いアジアだったが、戦争はアメリカ人の精神を疲弊させ荒廃させた。アメリカは、自国を戦場としない戦争をずっと続けている国だ。若者たちが遠くの戦場に送られて、棺の中か心身を負傷して帰って来る。戦争は人の心にトラウマを生む。人々がイラつきケンカ腰になれば、使われる言葉も影響を受ける。使われる言葉が荒れれば、人々の中に調和がなくなっていく。そもそも、アメリカはフロンティア精神と称して、先住民を征服して作られた国だ。土台となっているのは、自分の利益の拡張ためには武器を取って戦うという精神のように思える。「和をもって尊しとなす」とはたいぶかけ離れた考え方である。

アメリカという大国が世界に与える影響は大きい。文化的にも、とくに若者たち(第二次大戦後若者だった人も含めて)は映画やビデオや音楽などを通してかなりの影響を受けている。ここスイスも、近年は昔に比べて騒々しくなった。公共の場での人々の話し声が大きくなったし、若者の振る舞いからも恥じらいが少なくなった感がある。SNSが広まって、いわゆるインフルエンサーと言われる人たちの影響も大きいかもしれない。スイス人はどちらかというと控えめな感じがあって、日本人と似ていると言われていた。だが、今の若い人たちを見ていると、だいぶ変わったと感じる。日本はどうなのだろう。とにかくアメリカ的生き方は、戦闘精神に満ちていると思う。だから、弁護士も多くてすぐ訴訟になる。ある意味、弁護士が多いから仕事を取るために訴訟を勧めるのかもしれないが。鶏が先か卵が先か。

とにかく、社会全体が騒々しくなった。それは、スマートフォンの普及とも切り離せないかもしれない。どこに行っても、空間に向かって大声で喋っている人を見かける。また、スポーツ選手などを見ても思うのだが、人々が公共の場所で感情を露わにするようになった。昔は、勝っても負けても、あんなにあからさまに叫んだり喚いたりすることはなかった。喜びも悔しさも、もう少し静かに噛みしめたものだ。とくに、日本人はそうだった。

だが、近ごろ日本に帰省したお友達がこう言っていた。「なんて言ったらいいのかしら、社会に品がなくなったような気がするの」。そうか、こちらだけでなく、日本もそうなのか。私がいた頃の日本は、一億総中流と言われていた。だが、この20年くらいで日本には格差が広がり、貧困に苦しむ人が増えているという。一時ジャパン・アズ・ナンバーワンとも言われた国が。やはりこれは失政がもたらしたものだろう。「衣食足りて礼節を知る」という言葉があるが、経済的に余裕がなくなれば、社会もささくれだつ。

今や世界も日本も大きな変化の中にある。土台自体が揺らぐほどの変化だ。そんなときこそ、舵取りをする人たちの人格が問われる。宇宙船の話にたとえれば、船長が賢明で冷静沈着であることが肝要だ。