スイス山里COSMOSNOMADO

アルプスの山を眺め空を見上げながら心に映る風景を綴ります

久しぶりの日本、まずは航路の話

3年ぶりに日本へ行ってきた。コンピューターは持っていかなかったので、ブログともしばらくのご無沙汰となった。スマートフォンで長文を書くのは苦手である。

戻ってから1週間ほどになる。10月の終わりから11月の下旬まで、ちょうど秋が深まる頃で、今回はお天気に恵まれた。3年前の前回は台風に3回も遭遇。昔の感覚で、10月は秋晴れの毎日と頭にあったが、気候変動の影響で季節感も変わってしまった。

あの時は、まさか翌年からコロナが猛威を振るい、日本とも行き来が難しくなるとは予想もしなかった。コロナになって、やはり日本とヨーロッパは遠く離れているのだと思い知らされた友人たちも多かったようだ。飛行機が正常に運行している限り、昔のように遠い国同士ではないのだが、一旦止まると一万キロは一万キロの距離である。それに、日本は島国だから海に囲まれている。日本では外国のことを海外と言うが、徒歩だけでは行けない国なのだ。

コロナが少し落ち着いてきて、ようやく日常が戻ってくるだろうと思っていた矢先、今度はロシアが戦争を始めた。未来に何があるかは本当にわからない。今回は、ウクライナの戦争の影響で、ロシアの上空を避けて飛ぶルート、長時間のフライトになった。スイスインターナショナルの直行便だが、行きはロシア国境の南を飛び、帰りは成田から北上して、アリューシャン列島の上空から北極圏の上を飛ぶルートだった。気流の乱れで、久しぶりに大きな揺れを体験した。ちょうど、昼食のサービスが始まる頃だったのだが、機内アナウンスで、これから5分後に気流の乱れによる大きな揺れが予想されるので、しばらくの間は乗務員も着席とのこと。かなりの間揺れが続いたが、いつもと違って緊張しなかった。実は、私は何回飛んでもフライトが苦手である。地上だったら、何かあっても自力でなんとかできる可能性はあるが、空の上はそうはいかない。でも、知り合いのパイロットの話では、飛行機は最も安全な乗り物のひとつなのだそうだ。離着陸時さえクリアすれば、あとは機体の異常でもない限り事故が起きることはないとのこと。そんなことを思い出しながら目を閉じて音楽を聴いているうちに、ようやく揺れは収まり、通常運行に戻った。思えば、ソ連上空を飛べるようになるまでは、アラスカ・北極圏ルートだった。燃料補給のためにアンカレッジに一旦着陸して乗客は降機、2時間ほどしてまた機内に戻った。空港の土産物店やレストランでは、現地在住の日系人の女性たちが働いていたっけ。ラーメン屋さんもあった。途中で飛行機を降りるのは、気分転換にもなった。狭い機内に長時間座っているのは苦痛だ。アンカレッジ経由は80年代の後半までだったか。80年代の終わりになって、ソ連の上空を飛べるようになったが、その頃は一旦モスクワで降機しなければならなかった。当時の機種はDC10で、給油が必要だったのだろう。それからMD11になって、12時間のノンストップ便になった。モスクワで降りた時の印象が今でも残っている。空港職員たちが横柄であまり働く意欲が感じられなかった様子や、トイレで念入りに赤い口紅を塗っていた女子職員の顔が浮かぶ。肌がとても白くて金髪に青い目の女性だった。しかし、妙なことを覚えているものだ。

これからしばらくは、日本とヨーロッパを行き来するには、南回りの航路を取るか、アラスカ・北極圏ルートになるだろう。北回りでも14時間半ほどになる。オンラインの普及で世界が瞬く間に繋がるようにはなったが、物理的な距離は依然変わらない。日本とスイスはやはり遠い国である。