スイス山里COSMOSNOMADO

アルプスの山を眺め空を見上げながら心に映る風景を綴ります

久しぶりの日本で体験したこと、思ったこと

先日、航路について書いた。今度は、あちこちになるかもしれないが、久しぶりの日本での印象を書いてみたい。

今回飛んだスイスインターナショナルは、成田第一ターミナル発着である。前回はANAを利用しての羽田発着、だから成田空港は4年半ぶりだった。入国制限がなくなったとは言うものの、事前にMy SOSというアプリにパスポート情報やらワクチン証明やら健康状態などを入れて、日本入国のための手続きをしておく。紙類でもいいらしいが、アプリの方が到着してからスムーズに進むということで推奨されている。審査済みになると、アプリの色が赤から青に変わる。これは、飛行機に乗る前に、チューリッヒ空港のゲートでも提示しなければならなかった。外国人にも再び門戸が開かれたせいか、機内は日本人より外国の人の方がずっと多い。しばらく前まではその反対で、日本人観光客のグループが圧倒的だった。私が乗った便はほぼ満席、日本に行く外国人が多いのだなあと驚くと共に、ああ、円が安いからか、と思い当たる。客層と言ってはなんだが、それは訪日する人たちの様子にも影響しているように見受けられる。以前と比べて、こちらで普通に見かける人たちも日本へ行くようになった。つまり、特に日本文化や日本人に関心があるわけではないが、日本食ブームだし円安だし、安い東南アジアはもう楽しんだから、今度は少し足を伸ばして、今すごくお得感のある日本という国にも行ってみようかという感じ。昔は、日本を訪問する人たちには、日本文化への一定のリスペクトがあった。変わったなと如実に感じたのは、税関を通って表に出た時だ。出たところの壁の前に、短パン姿の欧米人の男性が二人、足を投げ出して床に座り込んでスマホをいじっている。そう遠くない場所には椅子があるにも関わらずだ。今まで空港で、地べたに座っている人を見たことはなかった。こちらでは、電車の床に座り込んでいる比較的若目の人たちを見かける。電車の床というのは清潔ではない。そこにお尻を付けたズボンやスカートでそのまま家の中のソファに座るのかなあと思って横目で見ている。それを日本でもするとは、と驚いた。日本は、家の中には靴を脱いで入る文化である。家屋のみならず、お寺などでも、中に入る場合は土足厳禁というのは常識だし、レストランでも荷物を直接床に置かなくていいように、籠などを用意しているところが多い。つまり、靴を履いている外と、履いていない中をはっきり分けて生活しているのだ。街で地べたに座るのは、日本人の間ではまだ流行していないことを願う。無批判に欧米人の真似をする人たちもいるから。

ポジティブな体験もあった。京都のホテルに宿泊した時のことである。荷物が大きかったので、チェックアウトの後、京都駅までタクシーを頼んだ。電話をかけてくれたレセプションの若い女性は、先方としばらくやり取りをしていたが、やがて「あいにく全部出払っているそうです」と、申し訳なさそうに私の方を向く。そして、「外で拾った方が早いと思いますので、私が行ってまります。どうぞお掛けになってお待ちください」と、外に駆け出していった。まもなく車を連れて戻って来た彼女は、タクシーが走り出すまでお辞儀をして見送ってくれた。そのホテルの教育なのかもしれないが、心がこもっている感じがした。こちらでは、サービス業でも、あまりサービスしたくない感が漂っている場合が間々あるので、よけい心温まる気がした。もう一つの体験は、京都駅でのこと。八条口で新幹線の前売券を買って階段を降りて行くと、階段の途中の隅の方にうずくまっている人たちがいた。「だいじょうぶですか?」と駆け寄ると、若い女性の二人連れ。一人が具合が悪そうにしていて、連れの女性が介抱している。ほどなく、数段上から「何かできますか?」と、若い男性が声を掛けてくれる。「駅員さんを呼びましょう」と言うと、連れらしき現代風の装いをした若い女性が呼びに行ってくれていた。気がつくと、もう一人別の女性も傍でお世話を。まもなく、数人の駅員さんがやってきて、総掛かりで病人の対応に当たり救急車の手配もしたようだったので、私ともう一人の女性は、その場を任せて帰路に着くことにした。彼女は地元の人らしく、旅行者の私に地下鉄の乗り場を教えてくれて、お互いに会釈して別れた。都会は他人に無関心と聞いたが、そんなことはない。何かあった時は、ちゃんと手を差し伸べてくれる人がいるというのがわかって心強かった。

もうひとつ目についたのは、若い男性が小綺麗になったこと。少なくとも、東京の電車で見かけた男性たちはそうだった。友達に言ったら、今は男性も化粧品を使って顔を整えたりしているのだとのこと。身綺麗にするのは女性の専売特許ではない。いいことである。綺麗になったと言えば、トイレも。公共のトイレがとても清潔になった。ウオシュレットまで付いている。トイレはその国の民度を測る物差しでもある。スイスに来たばかりの頃、公共のトイレの清潔さが印象的だったが、今の日本も負けていない。いや、モダンさにかけては優っているかもしれない。もちろん、これは都会を見てだけの印象ではある。

外からSNSやインターネットの記事などを見ていると、日本がとても心配になるが、現地に来てテレビだけを見ていると、いかにも太平の世の中で、政治に対して無関心になりがちになるかもしれない。NHKを観ても、現在国会が開かれているのに、政治がどう動いているかの報道が少ないように思った。社会に決定的な影響力を持つのは、政治家である。生活を左右する法律を作れる人たちだからだ。国民個人個人がいくら良くても、政治がきちんとしていないと、社会は安定しない。昔を知っているだけに、日本人の持っている良さが無にならない社会でいてほしい、生かされる社会であってほしいと思った。

下の写真は、早朝の清水寺。6時開門なので、6時半頃に行ってみた。すると、あまり人がいなくてゆっくり参拝することができた。帰り道、8時半頃からぐっと人が増えて来て、修学旅行のグループや団体さんとすれ違った。紅葉が盛りを迎える前の週だったが、翌週の京都の混雑ぶりは尋常ではなかったらしい。外国人観光客も戻ってきて、京都駅のバス停前は200メートルから300メートルの長蛇の列だと、テレビで報道していた。清水寺の参道も、身動きできないほどのぎっしりの人で、疲れて地べたに座り込んでいる外国人観光客を写していた。

なんやかんやと忙しかったが、親戚や友人知人に久しぶりに会って楽しい時間を過ごすことができた。やはり、言葉を同じくする、自分が生まれ育った国の空気を吸うとリフレッシュする。いろいろなことにもう一度考えを巡らせて、また前に向かういい機会となった。