スイス山里COSMOSNOMADO

アルプスの山を眺め空を見上げながら心に映る風景を綴ります

日記との長い付き合い

今週のお題「日記の書き方」

日記を書き始めたのはいつ頃だったろうか。中学生の時だったかもしれない。高校生の頃は、大学ノートに盛んに書いていた。日記というのは、ある意味セルフセラピーである。心に沸き起こる様々な思いを綴ることで、自分で自分に相談し解決していた。あの頃のノートは何冊になるだろうか。もちろん手書きだから、筆跡にその時の心の揺れが出ている。高校の時は、学校から帰って家の手伝いをして、晩ご飯を済ませて宿題もしてだから、夜もかなり更けてからノートに向かったものだ。日記と言ってもフリースタイルで、その日の出来事を書くこともあれば、本や映画の感想やエッセイのようなものもある。頭の中を整理するために図を書いていることもあるし、新聞の切り抜きを挟んでいることもある。大学の頃も日記は心の友、相談相手だった。

読み返してみると、10代の頃に何を考えていたかがわかって面白い。 それと、自分がどんな時代を生きて来たかも。おおよそ昭和30年前後から半ば頃までに生まれた世代は、いわゆる「団塊の世代」と「新人類」世代の間にあって、世間に於けるこの世代への造語がない。この世代が物心ついた頃は、まだ貧しかった戦後の日本の風景があったし、東京オリンピックを境に発展していった日本の風景も見ている。つまり、子供の時に昔の価値観と経済成長下で変わりゆく価値観の両方の影響を受けているわけだ。私は「狭間の世代」と呼んでいる。

日記帳は今も大事なもので、旅にも持っていく。思いをいろいろ書き留めておくためだ。この数年はずっと、GIRARD-PERREGAUXというメーカーのノートを使っていた。A5を少し狭くした位の大きさで表紙と裏が固いので、机がなくとも膝の上に載せたりして書けて便利だ。日記と言っても毎日書くわけではない。何か出来事があったり、印象的な夢を見たり、思いが湧いた時に書いておくノートである。それから、気になった言葉やアイデアなどは、後ろのページから書き留めていく。両方が出会ったところで、そのノートはいっぱいになっているから、新しい物に交換する。去年、新しいノートが必要になって、同じ物を探したが、見つからなかった。それで、似たようなノートで妥協した。妥協というのは、紙の色である。前のは、紙の色合いがちょうど淡いクリーム色で気に入っていたのだが、新しいのは少し白っぽい、ただし、形は前のより少し幅が広くなって完全なA5サイズ。日本語の横書きには、私にはこの方がいいのを発見した。

この手書き日記はずっと続けていくだろうと思う。手書きには、ワープロ書きにはない「二人」だけの親密感があるから。