スイス山里COSMOSNOMADO

アルプスの山を眺め空を見上げながら心に映る風景を綴ります

遠い日のドイツ語の試験

今週のお題「試験の思い出」

学校に試験は付き物である。小中学校のテスト、高校大学の入学試験など、思えばいろいろな試験をくぐり抜けてきたものだ。けれども、一番印象に残っているのは、こちらに来てから受けたドイツ語のディプロマの試験。

スイスには、公用語が四つある。ドイツ語、フランス語、イタリア語、ロマンシュ語だが、ドイツ語圏が一番大きい。私が住む地域もドイツ語圏だ。今では考えられないことだが、80年代に来た当時は、英語ができる人はあまりいなかった。中学には英語の授業はなくて、ドイツ語圏の場合は、フランス語が必須の第一外国語だった。英語が導入されたのがいつだったのかは、覚えていない。

とにかく、この地に根を下ろすためにはドイツ語を勉強しなければと、ゲーテ学院と提携しているドイツ語学校へ通うことにした。先生は皆ドイツ人で、いわゆるハイ・ジャーマンを習った。スイス人の先生だと、どうしてもスイス方言の訛りが入るので、発音に問題が出てくる。そこは、しっかり学ぶには最適の学校だと評判の所だった。2年の間午前中は毎日学校、午後はパートの仕事をする生活が続いた。初級と中級は、ベルリン出身の40歳くらいの女性の先生で、気分屋のところはあったが、教師としては優れた人だった。

クラスには、日本人の生徒も私の他に3人ほどいて、初級の頃は皆んななかなかの成績だったが、中級に進む頃には、イタリア人やスペイン人の子たちに追い抜かれていった。難しくなるほど、単語が似てくるのだ。それに、ディスカッションでは彼女たちはよく喋る。上級まで行ったのは、私ともう一人の男性だったが、二人ともなんとか付いていくのに一生懸命だった。

言葉がわからないというのは、なんとももどかしいものだ。あれは、まだ初級の頃だったか。テレビで、リチャード・チェンバレン主演の「Thornbirds」というオーストラリアのテレビドラマシリーズをやっていたのだが、それがドイツ語吹き替えである。我々の聴解力は、会話を全部理解するにはま〜だまだだったから、クラスメートの日本人女性と、ドラマ放映の翌日には「ねえ、ねえ、わかった?あれはどういうことなのかしら。彼は彼女になんて言ったの?」などと想像力を膨らませながら、ストーリーを確認していったものだ。

そして、なんとか上級を終えて、その上のクライネの試験を受けることにした。このディプロマを取れば、大学相当のドイツ語力が認められる。あの時は、我になくよく勉強したっけ。試験は、文法、読解、聴解、作文、課題図書の感想文、会話など多岐に渡ったと思うが、詳しいことはもう覚えていない。そして、である。ひとつ、ラッキーなことがあった。ディクテーションの試験官が、初級と中級の先生だったのだ。彼女は、長年の経験から、日本人がRとL をよく聞き分けられないことを知っているから、RとLを大袈裟なくらいに発音してくれた。ディクテーションには、そのおかげで通ったようなものである。ちなみに、東京のゲーテ学院の説明を読むと、今はクライネ (小)とかグロス(大)とかは言わないで、最上級としてC2に統一されたようだ。

こうやって一生懸命ドイツ語を勉強しても、スイスでは学校を一歩出れば、スイスドイツ語の世界である。それも、州によって方言がたくさんある。私は、いまだに全部は理解できない。仕事関係では、ドイツ語を使うシーンが多いが、村の人たちの付き合いとなると、やはり方言ができた方が親しみやすく中に入りやすいようだ。これは、スイスドイツ語圏に住む外国人のジレンマである。学校に行かずに日常生活で言葉を習うと、それは、その人が住んでいる地域のスイス語方言になる。だから、ドイツ語の読み書きにはなかなか苦労するようだ。学校へ行ってドイツ語を勉強して、ハイ・ジャーマンで通すと、今度はスイス語がわからない。ただ、スイスの子供たちは学校ではドイツ語を習うし、授業も基本、ドイツ語で行われる。読み書きがきちんとできるようにするためだ。私は、来た当時の周りのアドバイスにしたがって、ドイツ語を習得するために学校に行き、そして、スイス語に関しては、習うより慣れろでいくことにして、今日に至っている次第だ。