今週のお題「懐かしいもの」
「京都慕情」という歌がある。昨年のことだが、ほんとに久々にこの歌を聴いてハマってしまった。経緯はこうである。たしか春頃だったと思うが、文化人類学のエドワード・ヒースロー教授が亡くなったという記事を読んだ。へえ、誰かしらと思って調べてみたら、実はドラマで教授を演じた団時朗という俳優さんが亡くなったということだった。NHK BSプレミアムで2017年から2022年まで不定期に放送された「京都人の密かな愉しみ」という番組で教授を演じた方の話だった。全編は観られなかったが、断片的な映像からこの番組のストーリーが垣間見えた。その中で流れるのが「京都慕情」だったのだ。美しい映像とマッチして、それこそ京都への慕情を誘う効果を発揮していた。
「京都慕情」は、1970年に歌手の渚ゆう子さんがリリースして大ヒットしたベンチャーズ作詞作曲の歌だという。へえ、ベンチャーズねえ、これまた懐かしい。たしかアメリカのバンドだったと思うが、京都の歌を作っていたのか。興味深い。昔どこかで聴いたことがある歌だ。日本語の歌詞は林春生という方の訳詩だそうだ。日本人の曲ではないのに、とても抒情的で日本情緒を感じさせる。歌詞は、言ってみれば恋の歌。「あの人の姿懐かしい、黄昏の河原町。恋は恋は弱い女をどうして泣かせるの。」一番から三番まで、女性の心に去来する昔の恋への想いが、京都の土地の名前を伴って語られる。「あの人の姿懐かしい黄昏の河原町」「あの人の言葉想い出す夕焼けの高瀬川」「遠い日の愛の残火が燃えてる嵐山」「遠い日は二度と帰らない夕闇の東山」「遠い日は二度と帰らない夕闇の桂川」。見事だと思う。知らず知らずに聴いている人は京都に想いを馳せる。いや、京都だけではない。情緒的なメロディーに誘われて、それぞれが過ごした時代と場所での過ぎた日々へと、想いは飛んでいく。そんな力を持った歌だと思う。だから、この歌はずっと残るだろう。なぜかこの歌を聴いていると、あったかもしれないし、なかったかもしれない恋や日々が胸をよぎる。過去という幻想が胸に広がる。それが懐かしさなのかもしれない。
もうひとつ、懐かしさというか憧憬が胸に湧き上がる歌がある。それは宮崎駿監督のアニメ「天空の城ラピュタ」の主題歌「君をのせて」だ。これまた、歌詞と曲とが絶妙なコンビで、最初からグッと心を掴まれる。「あの地平線輝くのは、どこかに君を隠しているから。たくさんの灯が懐かしいのは、あのどれか一つに君がいるから」。まさに真理である。懐かしい想いは、いつも誰かと関わっている。誰か自分を待っている人がいると思うからこそ、行ってみたいのだ、あるいは、戻りたいのだ。人は、地平線の彼方に憧れる。その向こうには何か幸せが隠れていると思うからかもしれない。ドイツの詩人カール・ブッセに「山のあなた」という詩がある。この詩は本国では特に有名でもないらしいが、日本では上田敏の名訳によって不朽の名作となっている。現代仮名遣いにすると「山の彼方の空遠く『幸』住むと人の言う。ああ、我ひとと尋めゆきて涙さしぐみ帰りきぬ。山の彼方になお遠く『幸』住むと人の言う。」という詩だ。1905年に刊行された訳詩集「海潮音」に収められている。
人はまだ見ぬもの、人に憧れを持つ。たぶんそこには夢があるから。また、「古き良き時代」と言う言葉があるけれど、過ぎ去った日々に懐かしさを感じるのは、心にある世界を思い描いているからなのかもしれない。「懐」という字を漢和辞典で引いてみた。解字から来る意味は「心に留める。心に思い念じる」とあった。