選挙の秋である。急に衆議院が解散になって10月27日には投開票が行われると言う。在外投票はもう来週とのこと、そんなに急に決められてもこちらにだって都合がある。はるばるベルンまで行く時間と電車賃だってばかにならない。せめてもっと前なら予定を立てて割引の切符を手に入れることも可能なのだが、もうその日にちを切ってしまっている。新総理は、総裁選の時は解散総選挙には慎重だったらしいが、総裁選で選ばれて総理になる前日に前言撤回。自民党を勝たせるためなら、なりふり構わずと言うことか。昨今の政権与党の在り方を見ていると、何だこれはという思いを禁じ得ない。国民が安寧に暮らしていくために、政治家が代表して仕事をするはずなのが、現状を見ていると誰のために政治をしているのかが怪しい。人によっては、一般国民よりも物を知らないんじゃないかと思われる人もいるが、それでも、先生と呼ばれているのだから不思議な世界だ。
アメリカでも、来月4日には大統領選の投票が行われる。今は選挙戦たけなわで、カマラ・ハリス候補とドナルド・トランプ候補が凌ぎを削っている。アメリカの大統領が誰になるかで世界は大きな影響を受けるから、私も大いに注目している。というか、トランプにはもう2度と大統領になってほしくない。あの人が2016年にアメリカ大統領になったことで失われたものは大きい。何よりもモラルである。大統領が終日Twitterで発信し、人の悪口は言い放題だし、自分の自慢もし放題だ。その場の思いつきでの発言が世界に大きな影響を与える。今までの常識では、大統領には冷静沈着な指導力が求められていた。アメリカ大統領は、一人で議会と同等の力を持つ。大いなる権力者ゆえに、人格も重視されていたものだ。ところが、トランプが大統領になってから、その道徳的な権威が揺らいでしまった。今までの大統領だって裏ではどうだったかはわからないが、表向きは取り繕っていたものだ。いくら何でもここまで幼児的な性格を持つ人物はいなかっただろう。問題は、ここである。カマラ・ハリスがバイデンの代わりに大統領候補になってから、アメリカのニュースを見たり、両陣営の動きを見たりもしているが、際立って目に付くのは、トランプという人物の幼児性だ。民主党の党大会で、ビル・クリントンがいみじくも指摘したように、彼は「ミー、ミー、ミー」なのである。たとえば、両者の討論会のあとハリス支持を表明したテイラー・スウィフトに対しての態度もそう。それまではご機嫌伺いで好意的だったのが、一転して「I hate her」と公に発言する始末。全てが自分中心なのだ。これが、大統領として全国民を率いていこうとする者の態度かと唖然とさせられる。自分を支持しなかったからと言って、特定の個人に対してここまで言うとは、それだけでも国民を統べる大統領になる資格が疑われる。2016年の選挙ではまだまだこの人物の本性は明らかになっていなかった。だから、一部には期待値もあったわけだ。実業家出身だからプラグマティズムで現実的に政治をしていくだろうとか云々。あの当時、お付き合いのあった日本人の一人に、いわゆる"スピリチュアル系"にのめり込んでおられた方がいた。その界隈では、トランプは何でもディープステートから世界を解放する人物と期待されていたようで、その方から様々な話を聞いたので、一部にはどういう理由で彼が支持されたのかもわかる。ずいぶん奇想天外な話だったが、人は何かに取り憑かれると信憑性を検証しようとも思わなくなるものだ。物語を作り上げて、それを信じてしまう。それは非常に危うく怖いことである。そこから憎悪も生まれてくるのだ。今回の米大統領選挙を見ていると、今問われるべきは個々の政策ではなく、人物とその品位なのだと思う。
いずれにせよ、今の政治の問題は、人類が共生していくための理想の欠如だと思う。理想を語る人をバカにする人間もいるが、理想なくしてより良いものの実現はない。人間の本質を知りながらも理想を語る人は、必ずしもその実現を信じてはいないかもしれない。しかし、高い目標があるからこそ、それを実現するための柔軟で現実的な政策が出てくるのではないか。現実主義という名を借りた、その場凌ぎだけの政治には、人類生き残りの未来はない。