スイス山里COSMOSNOMADO

紅葉世代の異文化通信

アメリカ大統領選の結果を見て思ったこと

アクリル画©cosmosnomado

11月6日は、暗いニュースで始まった。知り合いたちも同じ気持ちでこの結果を受け止めたようだ。これからの世界の行く末を思うと、どうしても沈んだ気分というか暗澹たる気持ちになってしまう。

前にも書いたように、アメリカの大統領の選挙ではあるけれど、今回は固唾を飲んで推移を見守っていた。言うまでもない。もしトランプがまた大統領になってしまったら、社会的良識の更なる崩壊が始まるからだ。今回の選挙で戦われた本質は、実は政治信条とは関係のないところにあったと思う。公正な社会へのビジョンと道徳というか…。それを如実に示していたのが、共和党支持者の中にもトランプを支持せずに、カマラ・ハリスの応援に回った人たちが多数いたということである。その代表的な一人が、リズ・チェイニーだ。彼女は言った。自分とカマラの政治信条は一致しないものが多い。しかし、いま大事なことは法治国家として憲法を遵守する大統領かどうかだと。トランプは、30幾つもの罪で告発されている人物。特に、4年前の選挙で負けを認めずに議事堂襲撃へ群衆を煽ったとして弾劾され、リズは共和党員でありながらトランプ弾劾に賛成の投票をして干された。彼女にとっては、合衆国憲法遵守が共和党員であることの上にあったわけだ。今回のカマラ・ハリスの選挙運動では、重要な点のひとつとして、トランプが大統領になった時の憲法の危機が挙げられていた。アメリカの憲法のことはわからないが、トランプが独裁者を称賛し、自身もそれを目指していることは、彼自身の言動から明らかだ。

先に、社会的良識の崩壊と書いたが、それはすでにトランプが前回大統領だった頃から始まっていた。まず驚いたのは、アメリカの大統領ともある人物が、大事なことを自分の思いつきに任せて軽率にツイッターで発信するということだった。この人物の基準はすべて自分本位、好き嫌い。擦り寄ってくる者は可愛がり、反対する者は徹底的に罵倒する。本音と建前という言葉があるが、公正に品位を持って振る舞うべきという大統領としての建前さえ崩れてしまった。カマラ・ハリスの選挙演説の中では、何回もdignityという言葉が聞かれた。トランプはその正反対にある人物である。彼の選挙演説の中のハリスやその支持者に対する罵詈雑言は酷いものだった。弱点を指摘されると、即座に品のない言葉で相手を罵倒。テーマへの反論ではなく、感情的な個人攻撃だ。それでもトランプ支持者は付いていく。いや、逆に彼は大衆を煽るコツを心得ているのかもしれない。まずは敵を作って大衆を分断する。疑念と不満を煽るために確証のないこと、流言飛語を大声で語る。槍玉に挙げた相手を徹底的に罵倒する。一国の大統領になろうという人物にあるまじき行為だが、繰り返されるうちにそれが罷り通るようになる。MAGA「アメリカをもう一度偉大な国に」だが、何が偉大なのかは不明である。具体的な策を示さずに大言壮語する。歴史のどこかで見た光景だ。ヒトラーも選挙で選ばれて、やがて全権委任法を通して独裁者となった。いみじくも、前トランプ政権のジョン・ケリー首席補佐官がインタビューで語った言葉が、トランプは「ヒトラーに仕えていたタイプの将軍を求めていた」である。そして、彼が「間違いなく独裁者の手法による統治を好んでいる」との見解を示したという。ヒトラーは、ユダヤ人という敵を作って全ての問題の責任を被せて、経済的な不満を抱える大衆を煽動した。経済政策は重要だが、それがどんな人格の持ち主によってなされるかがもっと重要だ。その政治家が信頼に値する人間なのかを見極めることが欠かせない。人間は情動に流されやすい。だから、デマゴーグが成功するのだろう。トランプはビジネスマンだから経済に強いと選んだ人もいるようだ。だが、トランプの姪が書いた本「世界で最も危険な男」を読むと、彼の成功は経済に強いからというよりは、その強欲と冷酷さによるものではないのか。他人の蒔いた種で実った果実を力で捥ぎ取る。いずれにせよ、相手の立場を1ミリも考えず自分の利益のためだけに動く人間は大統領に相応しくない。

選挙に行ったアメリカ人の半分より多くがトランプを選んだ。民主主義の結果として選挙の負けは認めたが、自分たちがそのために戦った理想について譲歩したわけではない、とハリスは述べた。7日のハワード大学での最後の演説は感動的だった。なぜこの人が大統領に選ばれなかったのか、返す返すも惜しい。3ヶ月という短い期間しかなかったことに加え、やはり女性であることと有色人種であることの壁は高かったのか。白人男性の得票数は少なかったし、黒人男性の票も取り込みきれなかった。ヒスパニック男性の票も多くトランプに流れた。また、白人女性もかなりの割合でトランプに投票している。副大統領は大統領選で勝利しないという前例は破れなかった。対立候補が現政権批判の受け皿になれるのに対して、副大統領は自分もその政権を担っているので批判ができないという足枷がある。ただ、驚いたのは投票に行った人が6割ちょっとくらいしかいないということ。アメリカの大統領選はお祭り騒ぎのようだから、もっとたくさんの人たちが参加したものと思っていた。

何よりこの選挙戦で際立ったのは、ハリスとトランプの人格の違いである。今までバイデンの陰で目立たなかったカマラ・ハリスだが、時を追うごとにその明るいポジティブな人間性と品位が現れてきた。彼女の溌剌とした力強い言動は、80歳に手が届こうというのに精神的には未成熟な対抗馬の老人とは対照的で、もしかしたら行けるのじゃないかと感じさせるものがあった。人間の中には様々な情動が渦巻いている。それへの対応を見れば、カマラは人間の上位の情動に働きかけ、トランプは下位の情動に働きかけていた。どちらが効果的だったのかは結果が示している。トランプが大統領になることの一番の懸念は、今まで築かれてきた人間社会の道徳的進歩が退行していくことだ。トランプに煽られて、今までは公にすることを憚られていた負の感情、憎悪や敵対の感情をSNSなどで剥き出しに広める輩も多く出てくるだろう。なにしろ、大統領がそのトップランナーなのだから。いや、もうすでに最初にトランプが出てきた時からそれは始まっている。トランプの政界への登場は、初めはコメディーだったが、今やトラジディーになった。ハリスは、民主主義のルールに則って負けを認めたが、民主主義そのものが問われる選挙だった。民主主義が機能するためには、有権者一人一人の自覚が必要だ。責任の自覚。民主主義の基本は、正しい情報の提供と有権者の考える力にある。だからこそ、このSNSの時代にフェイクニュースが広まったり、誹謗中傷が幅を効かせるようになると、考える根拠が崩れてしまう。それがデマゴーグやポピュリストの勝利をもたらす。実際に移民が犬猫を食べたという事実はなくとも、一旦そんな情報が流されてしまえば、人々の不安と不快感はどこかに燻るわけだ。その感情が広がれば、それを煽って自分に任せろと言った人物がきっと何とかしてくれるだろうと選ばれる。だから、民主主義から独裁者は生まれ得る。まさか、さすがに世界一の民主国家を標榜してきたアメリカで独裁者は容認されないだろう、とは思う。その前にそれを阻む運動が起こるだろうと思いたい。けれど、これが民主主義国家の弱点で、制度が議会の多数派によって変えられてしまえば、その抵抗運動さえ違法にすることだってできるわけだ。

これからの4年は長い。世界はどうなっていくのか。人間の低劣な情動が幅を利かせる世界にあっても、人々の中にある理想の光は消えないと信じたい。とりわけ若者たちは、これからも長くこの惑星で生きていかなければならない。彼らの中にある珠玉が、この世界を牛耳る一握りの強欲な老人たちと、それに追随する大人たちに曇らされないことを。尚も磨かれ光を放つ日の来ることを願っている。