スイス山里COSMOSNOMADO

紅葉世代の異文化通信

まだ観ていない映画「本心」の間接的感想

最近の作家の小説はあまり読まないが、平野啓一郎の作品は別だ。彼の視点が気に入っている。ドイツ語でも「ある男」が翻訳された。「本心」が翻訳されるかどうか待っているところだ。たしか「本心」は、彼の一番新しい長編小説だったと思う。短編集は、その後ひとつ出されたようだが。さて、「本心」が映画化されたと聞いて、興味津々だった。もちろん、スイスにいるから、まだ観ることはできない。それで、友人に勧めて観てもらった。感想としては、あまり予算をかけてない映画だと思ったとのこと。時代設定も、原作のように20年後ではなくて、2025年のようだ。映画が原作と違うというのはわかる。よくあることだ。でも、私が一番惹かれた場面、主人公の朔也が「縁起」というVRによって宇宙を揺蕩い、心の中に湧き起こる壮大な感覚を経験する場面は、なんと描かれていないというではないか。ただ、そうかもしれない。ジェイムス・ウェッブ宇宙望遠鏡で見るような宇宙の映像を再現するとしたら、大変な予算になるだろうから。話の中心としては、朔也の恋に重点を置いているようだ。本を読んでいない友人に説明するために、以前このブログに書いた本の感想文を送った。

興味のある方には、ぜひお読みいただきたい。以下にリンクを貼ります。

https://cosmosnomado.hatenablog.com/entry/2021/07/01/181455

小説は映画になると、原作者の手を離れる。まず、企画が立てられて予算が付く。監督と脚本家選び、キャスティングが行われる。原作者が関わることもあるかもしれないが、それはあまりないだろう。どんな映画にしたいかによって、どの監督に任せるか決まる。アクション中心なのか、恋愛物なのか。俳優が決まった時点で、すでにその映画の雰囲気は決まってくると思う。本では、それぞれの読者の想像に委ねられていた人物の姿が、はっきりした形を取ってくるからだ。小説は、作家という個人の頭の中の世界で描かれて、読者の頭の中で形を取るものだが、映画は、それを現実化させる大人数の共同作業だ。そして、生身の人間が演じるから、まさに本当であるかのような錯覚を視聴者に持たせる。面白いものだ。そしてまた、映像作品は社会への影響力も強いだけに、あなどれない媒体だと思う。

それはそれとして、平野啓一郎作品の映画は「マチネの終わりに」と「ある男」を観たので、やはり「本心」も観てみたい。当分は機会がないと思うが、本当の感想は、またその後に。