今週のお題「10年前の自分」
ちょうど10年前の今頃は、前年にスイスの7都市で展開された日本映画祭の最後のビックイベントの準備に追われていた。日本から俳優の役所広司さんを招いてのフィルム & トークである。
もう11年前のこと、2014年はスイス・日本国交樹立150年を記念して、日瑞で国を挙げての催し物が目白押しだった。昨年も160周年ということで関連行事がいろいろあったが、あの150周年の際は比べ物にならないくらいの規模だった。当時のスイス大統領が日本を訪問、また、当時は皇太子だった現天皇がスイスを訪問されたりした。スイスと日本の国交は、1864年にスイス連邦内閣遣日使節団長のエメ・アンベールが訪日して、徳川幕府との間に修好通商条約を結んだことから始まる。それ以来、両国は各分野で協力して友好関係を築いてきたという。2014年は、その更なる発展を期しての150周年記念だったわけだ。
私が関わっている文化交流団体でも様々な催しを企画実施したが、そのひとつが日本映画祭だった。日本の映画の紹介は、スイスの人たちに日本の文化と社会を知ってもらうために大きな意味を持っている。そういうことで、国際交流基金と共催で150周年を記念しての日本映画祭の企画が進んだ。映画の上映にはいろいろなネックがある。映画の上映権の問題は大きい。映画館とも交渉する必要がある。市の映画館は、十数年前からホールを借りてフィルムマチネをしているのでよく知っている仲、先方も乗り気だった。上映作品は、国際交流基金の映画部門が権利を持っている映画の中から選ぶことができたが、条件なしというわけではない。特に松竹や東宝は厳しい。これは上映したいと思っても諦めなければならない作品もある。まずは、可能な映画の中から良い作品を選ぶ作業があった。選定を任せてもらえたので、150年ということで江戸時代末から現代までの歴史を辿る形にまとめてみた。この日本映画祭は、2014年の4月から6月にかけてスイスの7都市、チューリッヒ、バーゼル、ベルン、サンクトガレン、ジュネーブ、ローザンヌ、ルガノで開かれ、まずは基金とのやり取り、スイス全体のやり取り、具体的になってからはドイツ語圏の現地コーディネートを一手に引き受けることになった。
小津安二郎や黒澤明や溝口健二の作品は世界的によく知られているしスイスでも上映されている。この映画祭にも何本か選んだ。けれども、何人かの監督の映画は、日本では有名でもこちらではそれほど上映されていない。たとえば山中貞雄の作品はスイスでは初上映だった。「丹下左膳余話百万両の壺」「人情紙風船」は古いので上映中に雨が降ったりしたが、貴重なフィルムで特に映画通の観客は喜んでくれた。天才監督と言われた山中貞雄は、1938年に惜しくも28歳の若さで中国戦線にて戦死。もし生きて帰っていたら、小津や黒澤と並ぶ巨匠となっていただろうと言われている。森鴎外原作の「雁」は、いかにも明治時代の社会の雰囲気を醸し出していた。監督は豊田四郎で、出演は高峰秀子と芥川比呂志。同じく夏目漱石の「吾輩は猫である」もいかにも明治だ。1975年版で天然色の市川崑監督作品。時代背景は同じでも、こちらは白黒の「雁」よりも20年ほど後に作られているから、また趣が違う。木下恵介の「二十四の瞳」は昭和の戦争の時代の子供達の話。先生役の高峰秀子がいい。壷井栄の原作で戦前と終戦直後の庶民の様子が描かれている。岡本喜八監督の「日本のいちばん長い日」も上映。157分と長尺の映画を休憩なしでの上映だったけれど、観客は見入っていた。岡本監督は1927年生まれで、自身も戦争を経験して玉音放送も聞いているはず。脚本は、名脚本家と言われた橋本忍である。印象に残っているのは、玉音放送当日の早朝出撃していった特攻隊の若者たちのまだ幼さの残る顔。2015年には原田真人で再度映画化されているので、機会があったら戦争経験のない原田の作品とも観比べてみたい。内田吐夢の「飢餓海峡」も長い映画である。3時間くらいだったか。この映画も戦後の日本の様子を映し出している作品だ。これも、こちらでは観る機会が珍しかったのではないだろうか。今村昌平の「黒い雨」も上映した。今村監督は「うなぎ」以来こちらでも有名だ。この監督の作風は私の好みではないけれど、「黒い雨」は原爆を扱った優れた作品だし、日本の戦中戦後を語る上では欠かせない。つづいて大島渚の「少年」も上映。実は、この監督も私の好みではない。けれど上映の条件に合っていたのもあるし、1969年作で当時キネマ旬報などで高い評価を得た作品。黒沢清と是枝裕和監督の作品は経済成長期の日本社会を描写する。チューリッヒとジュネーブでは無声映画も2本上映に。日本からの弁士さんとギターと三味線の伴奏が大変好評で大入満員になった。ということで、映画館によって違うが、この日本映画祭のスイス全体での上映作品は26本にのぼる。
また、映画祭の特別イベントとして、日本大使館と共催でチューリッヒで「青い鳥」の中西健二監督の講演開催。中西監督は大変な映画通で日本映画史にもお詳しい。講演の後に「青い鳥」と「花のあと」を上映してとても好評だった。そして、日瑞友好150周年記念日本映画祭の最後を飾るビックイベントとして役所広司さんをチューリッヒにお招きする。スイスは、役所さんが映画で初めて主役を務めた「アナザーウェイ D機関情報」のロケ地で思い出の国。会場のチューリッヒ市の映画館では「役所広司特集」と銘打って役所さんの映画を13本一挙上映に踏み切る。内外の映画祭で何本か特集上映されることはあったとは思うが、13本というのは世界的プレミアだったろう。初日は「Shall we ダンス?」の上映と役所さんのトークで大入満員以上、会場に入れない人も出たくらい。日本人のファンの方など、遠くジュネーブから泊まりがけで来た人もいたりして映画館は大変な熱気に包まれた。
十年一昔と言う。10年なんて長いようだが、振り返ればあっという間でもある。映画祭とイベント実現までの様々なことを思い出しながら「10年前の自分」に「お疲れさん、頑張ったね!」と声をかけてやりたい気がしている。あの基金の担当の方はどうされているだろう。ほんとにずいぶんとメールのやり取りをしたしお会いしたこともある。業務の一環だったとしても大きなイベントでお疲れさまでした。私が関わっているVereinの活動は、いわゆる世間で言うところの報酬を得る仕事ではない。本業の傍らに携わっているものだ。だから、映画祭の準備とその他の催しのためにはずいぶん前から余暇のほとんどを費やした。やっぱり比べれば10年若かった、まだじゅうぶん気力と体力があったのだと思う。さてさて、あと10年後に「10年前の自分」を振り返ったら何を思うのだろうか。この10年にはだんだんと紅葉も散っていくことだろう。でも、これからは心して自分の木の手入れをしようと思うので、まだまだすっくと立っていてもらいたいものである。