スイス山里COSMOSNOMADO

紅葉世代の異文化通信

ルルドの泉の話からあれやこれやと思い出したこと

一週間ほど前の新聞だったか、南仏にあるルルドの泉の記事が出ていた。この泉は治癒力を持つとしてあまりにも有名で、毎年何百万という人が病気快癒を願って訪れる。1858年、マリア様が洞窟で、羊飼いの少女の前に繰り返し現れたのが事の始まりという。

医師で構成される国際的委員会が、およそ60年ほど前から、ルルドで病気が治ったと主張している人たちの追跡調査をしているそうだ。そのメンバーの一人が、Winterthur州立病院で主として高齢者医療に携わる先生で、その方へのインタビュー記事だった。奇跡の治癒を信じますかと問われて、医学的に説明できない事象があるというのは確かです、と答えている。だが、それを単純に奇跡と片付けずに、調査をして理由を知りたいというわけだ。調査は厳密に行われる。そのための条件は、治癒がルルドの泉を訪ねた後すぐに起こり、そしてその効果が持続すること。段々と良くなっていくケースは、ルルドの治癒に数えられない。また、その病気が慢性で重篤なものであること、癌の場合は訪れる前に医学的な治療をしていないこと、精神の病は分析対象にならないこと、影響を受けないように基本的に患者には直接会わないこと等々。60年の調査の中で7000件の治癒が記録されて、そのうち2000件が主として医学的には説明できないとされ、その後も調査されたという。教会が認めた奇跡の治癒は70件だが、その差はなぜかとの質問には、その後の厳密な研究によって治癒の説明ができたからとのこと。たとえば、盲目だった人が見えるようになったケースでは、その後の医学知識の発展で、ある種の病気では一時的にだけ目が見えなくなることもあるということがわかった。また、すべての病気が教科書に書いてある通りの経過を辿るわけではないということも。このお医者さんが経験した一つのエピソードが面白い。もう退院することはないだろうと思った年配の患者さんが、数日後に予想外の良い状態で退院するケースがいくつかあったという話。この件(くだり)を読んで、自分の祖母の件を思い出した。

私が中学生の頃、両親と祖母と一緒に鎌倉の先にある親戚の家を訪ねたことがある。その帰りの電車の中で祖母が急に意識を失って、緊急停止した駅から救急車で病院に運ばれた。もう瞳孔が開いていて、医者から助からないだろうと告げられる。普通は、瞳孔が開くということは死を意味する。ところがである。翌日、奇跡的に回復して退院したのだ。そのとき祖母は77歳くらいだったか、その後長生きして99歳で人生の幕を閉じた。祖母は17歳くらいの時にも、一度死にかけたのだそうだ。小学生の時に不思議な話を聞かせてくれた。その頃はそんな言葉は知らなかったが、いわゆる臨死体験である。祖母はきれいなお花畑の中にいて、向こう側には川がある。なんともいい気持ちで、向こうから手招きする人がいるのでそちらに行こうとすると、後ろの方から何度も何度も自分の名を呼ぶ大きな声が聞こえる。父親の声だった。それで、向こうに行かずに戻ってきたのだそうだ。祖母は若い頃千里眼の能力があったらしい。それを使って手品師とやりあった面白い話なども聞かせてもらった。ちょっとエキセントリックなところもある人だったけれど、魔法のような手で猫の傷を治したり、草花も祖母の手にかかると綺麗に育った。

ブラッツォ Bracoというクロアチア出身のヒーラーがいる。彼は「癒しの眼差し」を持っていて、眼差しを受けた患者は治癒すると言われている。その彼が十数年ほど前にチューリッヒに来たことがあった。たまたまニュースを見ていたら、大きなスピリチュアルイベントにブラッツォが来ていて大変な人気だと言っている。無料で癒してくれるのだとか。私は特に不調があったわけではないけれど、なぜか急に出かけてみる気になった。当時その分野に興味を持っていたし、有名らしい彼のヒーリングの現場を体験してみたいという好奇心が湧いたのだ。それまでは全く知らない人だった。会場は大きなコングレスハウスで、1階と2階にはたくさんの有形無形のスピリチュアル商品の出店が並んでいた。まずはブラッツォのセッションのグループ分け整理券をもらう。私のグループの順番までだいぶ時間があったので、出店を見て回ることにした。ザワザワした雰囲気にちょっと頭が痛くなった頃、時間になって上の会場に並びに行った。そして、我々のグループが呼ばれて部屋に入った。50人くらいだったのか、もうよくは覚えていない。私は眼差しを受ける必要はなかったので、最後列の一番隅に並んだ。一番前には車椅子の人もいるようだった。声の綺麗な司会の女性が説明をした後、ブラッツォが登場する。そして、静かに順番に一人一人に眼差しを向けていく。私は一番後ろだったので、目は合わなかったが、ひとつだけその部屋の中で感じたことがあった。清浄な空気が漂っているのだ。それはすでに、彼が登場する前に部屋に入った時から感じていて、私の頭痛もスーッと引いていた。後で思ったことは、場の空気というのがあるということ。場の空気とは何か。彼を待つ人々の気が醸し出したものではないか。つまり、彼を信じる人々は心を整えて彼を待っていた。意識の発するエネルギーが清らかになっていたのではないか。気のせいではなく実際に空間に漂うエネルギーとして。私は、会う人によってはその人の中のザワザワしたものを感じることがある。けれどもたしかに、あの部屋には1階と2階のお商売の場にあったザワザワ感はなくて、スーッとしたものが漂っていた。

ルルドの記事に戻ろう。あの医師は、奇跡の治癒にしても現在の医学の知識では説明できないが、それも変わっていくだろう。あと20年もしたら研究が進んで、もっと解明できるようになっているだろうと答えていた。我々にわかっていることはまだまだ少ない。そもそも意識が脳にあるのか、肉体を離れたところにあるのかも解明されていない。科学には証明が必要である。実際には理由があって確かに存在していても、現時点では証明ができていないから不思議な現象として片付けられていることは多々あるわけだ。私たちの世界は、実はとても面白い。