その昔「悲しくてやりきれない」という歌があった。たしか、フォーク・クルセダーズというグループが歌っていたフォークソングだったと思う。今朝はなぜかその歌の題名と曲が心に浮かんでならなかった。本当は、今日はお題の「本屋について」について書こうと思っていたのだ。でも、やっぱり今の気持ちは、その前に「悲しくてやりきれない」だ。
昨日、ワシントンの大統領執務室でトランプとゼレンスキーの会談があった。全世界が注目していた会談だ。私も気になっていたので、スイス時間の昨夜ライブで視聴。あれは酷かった。トランプが大統領には到底相応しくない稚拙な人物だとは知っていたが、ああまでそれをリアルで目の当たりにすると、なんて言ったらいいのかクラクラする。
会談の内容の前に、まず形式からしておかしい。トランプ側にはウクライナ大統領に対する礼儀など微塵もなく何と傲慢なことか。格下と思っているのか、途中で副大統領のヴァンスが口を挟む。会談の言葉は終始通訳なしの英語で、相手を遮り捲し立てる。ゼレンスキー氏はよく耐えたし健闘したと思う。まず外国語で母語話者とやり合うのも大変なことだ。相手の土俵で相撲を取るのだ。記者だと思うが、この栄誉ある大統領執務室になぜスーツを着てこないのかと言い放った者がいた。それに対してもうっすらユーモアさえ含ませながら答えていた。あの質問者は、幼児連れTシャツキャップ帽姿で執務室に現れたイーロン・マスクにもそれを聞いただろうか。最初はうまく進んでいくかと思いながら見ていたが、ヴァンスが口を挟んだあたりから雲行きが険しくなってきた。それでも、ゼレンスキー大統領は声を少し大きくしながらも、それはヴァンスが聞く耳を持たないからだが、冷静に理屈で説明していた。ただ、腕を胸の前で組んだので相当腹に据えかねるところはあったと思う。ヴァンスが、トランプに礼を言ってないではないかと追従したあたりから、トランプのトーンがヒートアップしていって、この人物は影響を受けやすい人間、すぐ乗せられる操られやすい人間なんだなあと感じさせた。まるでヴァンスの言葉は、王の前で跪かないのかと言ったようなものだったから、トランプもゼレンスキーを無礼者と感じたのだろう。それでも、ゼレンスキー大統領は主張すべきは冷静に主張していた。そもそも戦争を始めたのはウクライナではなくロシアなのだと。トランプはどこをどう勘違いしているのか。プーチンの私的野望が国を巻き込んでの被害妄想物語はともかくとして、今回実際に手を出してウクライナに侵攻したのはロシアである。とにかくどう誤魔化そうと、一部始終ライブで見た者には、どちらに理があり礼があり、人間的にも強くて大きいのかはよくわかっただろう。編集のないライブ映像は見る者を欺けない。眼に先入観の膜が掛かっていない限りは。
それにしても、世界に大きな影響を与える国の大統領があのような卑小な人間であることが、腹立たしいを通り越して「悲しくてやりきれない」。