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紅葉世代の異文化通信

新聞記事から --- マスク氏とレッサ氏

Neue Züricher Zeitung 紙(NZZ)の日曜版に興味深い記事があった。一つは、マスク氏について、もう一つはノーベル平和賞を受賞したジャーナリスト、マリア レッサ氏について。読んでいろいろと考えさせられる情報だった。

言論の自由を巡る解釈において、この二人の人物は対照的である。たとえば、イーロン マスクはTwitterを買い取り、言論の自由を盾にファクトチェックの部門を廃止。それが引いてはフェイクニュースの拡散に繋がってトランプの当選をも助け、今のアメリカを独裁的状況に導く要因の一つになったことは否めない。一方のレッサ氏は、フィリピンで創設したニュースサイトを通して、調査報道に基づきドテルテ政権を批判。彼女は、初めはSNSに市民ジャーナリズムの権力監視の可能性を見ていたが、次第にフェイクニュースや陰謀論の拡大が社会を分断することに危機感を持っていったという。状況の的確な分析をして、表現の自由を守るために活動する彼女は、本物のジャーナリストだ。

イーロン マスクについての記事のタイトルは、「14人の子供、4人の女性と数々のトラブル」。トラブルの詳細は省くとして、この記事を読んで驚いたことがある。マスク氏が未来の人口減少を心配しているということ。え?現在の地球は80億人の人口を抱え、今世紀半ばには100億にも達すると言われているのに?読み進んでわかったのは、彼の懸念は欧米先進国の人口の減少だということ。彼は、出生主義と言われる考え方の信奉者らしい。確かに日本も含めて、いわゆる先進国では子供の数が少なくなっている。マスク氏は、文明の崩壊を心配しているのだそう。だが、ここで引っ掛かるのは、彼の言う「頭のいい人間が子供を持たなければならない」という点だ。たぶん、この人は自分を優秀な人間だと考えているのだろう。彼は自分の精子を受精してくれる女性を募っているそうだ。日本女性にも呼びかけていて、すでに応じた女性もいるというが、真偽のほどはわからない。彼の意味する頭の良さとは何だろう。この人はいろいろな事業を起こしているが、眼目はスペースXで、火星移住を狙っている。人類の救済というが、乗っていくのは選ばれた人間たちだけ。いわゆる「優秀」な人間たちである。思い出すのは、大江健三郎氏の小説「治療塔」と「治療塔惑星」だ。選抜された人間たちが汚染された地球から新天地を求めて宇宙に出ていく。地球で生きていかなければならない人間たちは悲惨な生活を強いられている。だが、選抜隊はけっきょくはうまく行かずに戻ってくる。これは面白い小説で、一読の価値がある。

この汚染された地球を捨てて宇宙の生存可能な惑星に移住するというのは、SFによくあるテーマだ。イーロン マスクは辛い少年時代に、SFの世界に没頭することで現実の世界から逃れたという。この人の頭の中には、この地球の皇帝になる夢があるのではないか。この地球で自分の一族を増やし、やがては後継者が宇宙に出ていって惑星帝国を作る。奇想天外な夢物語のようだが、意外と本気かもしれない。いまや世界一の大富豪になって、金の力で物事を動かせると思っている。だが、トランプを支持するということは、この地球の環境破壊に拍車をかけるということだ。彼の一族が繁栄するまで地球は持たないのではないか。火星に逃げるのにはまだまだ時間がかかる。それにブーメランのように、トランプの高関税で自分の会社にも不利益が跳ね返り、それに言論の自由への圧力で、優秀な頭脳が米国から流出し始めているようだし。彼の様々な言動を見ていると、この人は本当の意味で頭が良いのかと思ってしまう。

マリア レッサ氏の記事のタイトルは、「トランプは独裁者のシナリオに従っている」というもの。レッサ氏は、今アメリカで起こっていることは、2021年にフィリピンで起こったことのフラッシュバックを見るようだと語る。フェイクニュース、憎悪、ネット工作員集団が、当時のフィリピンで、民主的に独裁者を誕生させたという。フィリピン人は、2010年代に世界で最も多くSNSで時間を過ごした。そして、このことが大衆操作の興味深い実験場になったのだと言う。状況の的確な分析をして、表現の自由を守るために弛まぬ活動をする彼女は、本物のジャーナリストだ。表現の自由は、人を貶め争わせるためではなく、平和な社会を守るためにある。こういう人が、ノーベル平和賞を受賞したというのは、象徴的な意味で喜ばしい。

現代史を見ればわかるように、独裁者を生み出すのは大衆である。典型的な例は、ナチスドイツのヒットラーだ。ナチスは選挙で多数を取ってから即座に独裁に転じた。だが、その下準備はできていた。情報戦による大衆操作である。ゲッペルスは天才的な宣伝相だったという。そして暴力。反対者に対しては、SSが容赦のない暴力を加えた。プロパガンダと恐怖による支配だ。暴力には為す術はないが、その前に、なぜ大衆は操作されるのだろうか。それは、情動に動かされるからだ。たとえば、今のトランプのやり方を見ていても、理屈ではない。論理などどいうものは、この人物の中にはないようだ。すべて自分の都合で動いている。そして、人の心の下位の情動を煽る。それこそ、ヘイト満載のスピーチをする。口を開けば、自分の自慢と相手への罵詈雑言。もうこれは政治信条以前のことである。大統領であるべき人間の最低条件さえ満たしていない。いや、大人の人間の最低条件さえも。それでも、大衆は付いていく。いや、支持率は史上最低の39%になっているというから、次第にコアなファンだけが残るようになるだろう。ファンというのはどこまでも付いていく、よほどの失望がない限りは。

理屈の通じない相手にはどうすればいいのだろうか。レッサ氏の記事が蘇る。なぜアメリカ人は沈黙しているのかという問いに、たぶん今はサーチライトを当てられた鹿のように立ちすくんでいるのだろう。そして、自分たちを引っ張ってくれるヒーローを待っているのではないか、と。そういえば、バーニー サンダース以外に、反トランプの大きな組織的キャンペーンを張っている名のある人を聞かない。ただ、2016年の時とは違って、大都市だけではなく、地方でもたくさんの反トランプデモが起きているとは聞く。むしろイーロン マスクへの反発が強いようだ。ヒーローが現れるとしたら、すべてが壊される前に現れないと手遅れになる。よく、トランプ支持者は保守派などと言うが、とんでもない。自ら気がついていなくても、今の状況を支持するということは、急進的過激派に手を貸していることになる。本物の保守派とは、旧態依然としているわけではなく、変化が必要な時があっても、人間の本質に疑いを持ちつつ慎重に改革を進めていくものではないか。トランプ的なものを保守派とは呼ばない。あれは破壊派だ。

政治に大事なことは、人々の生活と社会に安定と平和をもたらすこと。 人の話を聞かず自分の主張だけを押し付ける政治家には注意が必要だ。いわゆる極右政党と呼ばれるところの政治家は、討論などを聞いていても、相手の話には耳を傾けずに捲し立てる。その党が政権を取る前に、その点を注視する必要がある。男性女性は関係ない。フランスのマリー ルペンにしても、ドイツのアリス ヴァイデルにしても、それが顕著だ。民主主義のシステムには、大衆煽動の罠がある。選挙によって独裁者が生まれ得るということは、肝に銘じる必要があるだろう。選挙の際には、その政治家が憎悪を煽って分断を呼ぶ人間なのか、互いに尊重し合う社会を作ろうとしている人間なのかを見極めたい。これだけ複雑になった社会の政治は簡単なことではない。けれども、それが難しくても、どんな社会にしたいのかの理念を持つことはできる。この地球に踏みとどまって人類の存続を願うのなら、適正な理念から始まって、それを実現する為の個々の政策が講じられるべきだろう。

 

Neue Zürcher 新聞