先日の記事の続きである。第2日目は、チューリッヒ郊外を案内する予定だった。チューリッヒの船着場ビュルクリプラッツから、湖の南端の小さな町ラッペルスヴィルまで遊覧船で行って、少し町を観光。そこから今度は電車で、壮麗な大修道院があるアインジーデルンを訪ねる。そして、電車でチューリッヒ湖畔の町ヴェーデンスヴィルまで降りて、水辺の野外レストランで夕ご飯。その町の駅は、空港まで乗り換えなしの電車が通っているので、その電車で空港駅まで戻る、というプランを立てていた。
けっきょくプラン通りに運んだのだが、1日のスタートから思わぬ出来事があって、時間的な変更を余儀なくされることに。中央駅のミーティングポイントで待ち合わせていたが、前日にそこを通って、空港からの電車の時間も説明しておいたので、全く心配していなかった。ところが、約束の時間になっても一行は現れない。ちょっと不安になり出した頃、シャトルバスが遅れて今電車に乗ったとの連絡が入る。あと10分ちょっとで着くなとホッとしたところが、15分20分経っても姿が見えない。さすがに心配になってきた。そこへまた連絡が入った。反対方向の電車に乗ってしまったようだとのこと。えっ、今どこ?次の停車駅は?次に止まるのはワインフェルデンだと言う。ドイツからそんなに遠くない。まあ、そこまで行っちゃった?急行に乗ったようだ。急いでチューリッヒに戻る電車の接続を調べる。次の駅で降りれば10分の待ち合わせで電車がある!急いで指示して、まずは胸を撫で下ろす。あと50分後にはチューリッヒだ。後は待つしかない。焦らないで車窓の風景を楽しんできてねと言って、ミーティングポイントのそばのオープンカフェに腰を下ろしてプランBの計画に取り掛かった。待ち合わせの時間からは1時間半の遅れになる。訪問地で時間を取るために、電車で向かうことも考えたが、そう大きくは変わらない。けっきょく、船を1時間遅いのにして、ラッペルスヴィルは40分に切り上げ、お城には上らずに眺めて写真撮影だけにすれば、アインジーデルンは、ほぼ予定通りに時間を取れる。あそこの大修道院のバロック様式の内装の荘厳な美しさは、ぜひゆっくりと味わってほしいのだ。それに、まだお土産の買い物も残っているので、そこでするつもりだった。
さあ、大幅も大幅の遅れにはなったが、やっと落ち合ってめでたしめでたし。船では両岸の景色を眺めながら楽しくおしゃべりができた。短時間で急ぎ足の見物では、観光以外にあまり話もできないが、船旅の時間を取ったのはよかった。ゆっくりと昔話や近況を語り合えた。それと、やはりお城は端折っても、あの大修道院で時間を取ったのは正解。チューリッヒでも、フラウミュンスターをはじめ教会は見学したけれど、カトリックの大寺院の豪華絢爛さはまた格別だ。みんな深い印象を受けていた。そして、最後に立ち寄った湖畔の野外レストランも、日本にはない雰囲気で同級生たちは喜んでくれた。こうして友達を案内して思うのだが、やはりスイスは美しい国である。絵葉書に載っている名所だけでなくて、この国の景色はどこを切り取っても絵になる。長年住んでいると慣れてしまうものだが、みんなの感嘆の声を聞きながら、彼女たちの目線で改めてそれを感じた。
案内をしながら、この十数年の日本の経済的変化も感じさせられた。なにしろ円があまりにも弱いのである。みんな買い物をするたびに、フランの値段を円に換算して考えるのだが、なんと1フランが180円だという!フランが強い通貨だというのもあるけれど、それにしても昔を知っているだけに、この円の凋落は悲しい。1980年代前半は、1フラン120円だったと記憶している。当時、換算して厳しいなあと思ったものだ。プラザ合意後円高に切り替わってからは、1フランが100円を切って、日本人観光客が闊歩する時代があった。今の20代の人には思いもよらないだろうが、経済大国として、ジャパンアズナンバーワンと言われた時代もあったのだ。それが、安倍政権になってから、日銀を支配下に置いて意図的に円安に舵を切った。経団連の輸出関連企業支援だろう。自動車などの大手企業はいいかもしれない。けれど、原料を輸入に頼って製品を大手に納める中小企業はどうなっていったろうか。初めは意図的に円安方針に転換したものの、やがてコントロールが効かなくなって、円は坂を転げ落ちるように安くなり、けっきょくは、日本全体を貧しくするまでになったのではないか。日本は、その昔1ドル360円の時代から這い上がったのに。インバウンド?日本経済を外国人観光客の懐に頼る前に、もっともっと国内経済をうまく回していく政策が立てられたのではないか。ましてや、東日本大震災の後だ。国内でやることは山積みだったわけだし、その対応策で国内産業を回すこともできたはずではないか。当時の安倍首相は、大震災からまだほんの数年なのに、国内の復興に真剣に向き合っていたようには見えず、地球儀俯瞰外交だのと言って、夫人と共に国賓待遇で頻繁に海外訪問に出掛け、盛んに援助金を配って歩いていた。大震災からまだ数年の日本にこそ、復興のためのお金が必要だったと思えたのだが。東京オリンピック誘致だの、外国人観光客4千万人を目指すだのと、喧伝してもいた。人口の3分の1もの観光客誘致?その人たちが落とすお金に頼る?聞いた時にまず湧いたのは、なんか浅ましいなという感覚だった。美しく強い日本を取り戻すと豪語した人に、日本の誇りとの矛盾はなかったのだろうか。これも、建設業界や観光業界の思惑だったのだろうか。今の日本を見ていると、昔を知っているだけに悲しい。国の運営を、自分たちの利害関係だけで動く政治家に任せるのは、もうやめた方がいい。友達の出費の度の電卓叩きで、百年の計を持たない目先だけの人間たちに政治を任せてきたツケを、身近に見た思いだった。