スイス山里COSMOSNOMADO

紅葉世代の異文化通信

年の瀬の街角で「時の欠片」を拾う

チューリッヒバーンホフ通り

もう、今年も残すところあと数週間となった。あっという間に時が過ぎ去っていく。周りでも、この感覚を共有する人は多い。みんな冗談で「最近地球の回転が速くなった?」などと言い合っている。

夕方の4時も過ぎると、だんだんと薄暗くなってきて、それとなく心細さが忍び寄る。そんな頃合いで、街にはイルミネーションが輝きだす。こちらの街角は、もう何年も変わらない。日本では、容赦無く昔の景色が変わって行って、東京などは数年もすると様変わりしている。チューリッヒも、ここ10年ほどで西部地区はだいぶ新しく開発されて近代的な趣になったが、景観を守る厳しい法律があるので、旧市街には中世の街並みがそのまま残っている。だから、空間の様子はそのままに(太陽系が天の川銀河を移動しているということは置いといて、この地上限定で言えば)時だけが変化の痕跡を残しているようだ。

イルミネーションが綺麗なので、写真を撮って、日本に帰ったお友達に送ってあげた。「ありがとう、懐かしい!トラムは新しくなったのね」という返事が返ってきた。スマホで撮った写真を、街角からすぐにSNSで送れる便利な時代である。この季節になると、何となく「時の欠片」を拾っている自分に気づく。路地を歩くと、彼女のように一緒に働いた仲間の姿が、当時のまま街路に透けて見えてきそうだ。夜空を彩るイルミネーションの煌めきがそんな幻想を誘うのだろう。もう何十年も前になるけれど、来たばかりの頃にお土産屋さんで働いていた時期がある。毎日ドイツ語の専門学校に通う傍ら、週に数回パートの仕事をしていた。あれから日本に帰った人、こちらで独立して仕事を始めた人といろいろだが、来たばかりの頃に知り合った仲間たちとは今も交流がある。異文化学校に一緒に入った同級生のようなものだ。「あの頃み〜んな若かった〜」って、何か歌の文句にあったような。あの頃は、アジア人観光客と言えば、他でもない日本人の全盛時代だった。面白いエピソードも、街のそこかしこに落ちている「時の欠片」だ。集合時間に来ない人がいて困った添乗員さんのために、皆んなで手分けして探したこともそのひとつ。寒い街角をコートも着ずに走り回る店長の姿も目に浮かぶ。肩で風切るいなせな兄さんのごとく。携帯もない時代だから、見つからなかったら大変。ある意味、お土産屋さんは同郷人を助ける拠点のような役割も果たしていた。ある添乗員さんは、海外で日本人の人たちに出会うと、何となくホッとすると言っていたっけ。日本はまだまだ遠かった。また、日本に興味のあるスイス人からの問い合わせがあったりもした。経済成長で日本が存在感を示していった時代でもある。そんな日本も、今では海外での関心と位置付けがすっかり変わってしまった。「時の欠片」を拾いながら、それぞれの時代にこの街角を歩いた人々の姿がふっと見える。

チューリッヒの街の建物は変わらねど、時代は変わっていく。私が来てからでも、東欧からの亡命者、ソ連崩壊後の90年代にはユーゴの戦争でバルカン半島からの難民。その後はタミールや、アフリカや、アフガニスタンや、イラクや、シリアからの難民。今はウクライナからの難民など、このスイスはたくさんの移民や難民が暮らしている。80年代には600万人代だった人口も、今や900万人近くになっている。駐在者も含めて、チューリッヒには外国人が多く暮らす。街角で見かける顔も多種多様である。時代の流れの中で多くを見ながら過ごしてきた歳月。「時の欠片」を拾いながら街を歩くと感慨深い。あの時あそこであの人に会ったっけ。もう亡くなった人の笑顔も思い出す。「行く川の流れは絶えずしてしかも元に水にあらず」という句が、ふと心に浮かぶ年の瀬である。