スイス山里COSMOSNOMADO

紅葉世代の異文化通信

年末に一枚自分の絵の解説をしてみる

                                                                    Life             @cosmosnomado

上の絵は、よく「何を描いたのですか?」「月ですか?」と聞かれる。具象画は、観れば何なのかは大抵わかるけれど、抽象画となると、そもそも装飾を目的とした絵は別としても、一見しただけではよくわからない絵も多々ある。作者の意図を聞いてみたくもなるわけだ。

自分で自分の絵をあらたまって解説するのも何だが、つい最近もそんなことがあったので、ちょっと自分のイメージを言葉にしてみたいと思った。

この絵は夜空の月を表したものではない。でも、そうも見えるだろうとは思う。絵は、描かれて展示されたならば、作者の手を離れて観てくれる人の心に渡るもの。童謡にあるように「まあるい大きなお月さま」でもいいのかもしれない。ただ、描き手の心は、違うところにあった。

実は、このお月さまに見える黄色い丸は、私たちの命というか人生のつもりで描いた。タイトルのように、英語では両方とも「life」である。生物学的には、何億もの精子のうちから一個だけが一個の卵子に出会って、母親のお腹の中で育っていく。胎児は時が満ちるまで、母親のお腹の中で守られている。遺伝子の連鎖と新しい命の始まりに、ふと大自然への畏敬の念が湧く。偶然のことなのに、こうして世界に生まれ出た私たちの命に必然を感じてしまう。そして、人がずっと問い続ける「我々は何処からきて何処に行くのか?」という疑問も。

生まれた私たちを取り巻く世界は、けっして穏やかなものではない。未知の世界に投げ出された私たちは、自分の核を守りながら人生を歩んでいかなければならない。けれど、外にはどんなに嵐が吹き荒れようと、その外界との間には結界がある。結界を張って、円の中に灯る暖かい光を守る。それは、人によっては家庭かもしれないし、仲間との居場所かもしれないし、自分の信じる拠り所かもしれない。

生まれてきたこと、生きることの不思議を思うと、今の世界に吹き荒れる理不尽の嵐にやりきれない思いがする。ただでさえ人が生きていくのは容易いことではないのに、なぜそれぞれの命のサークルを認め合えないのか。

今年も、残すところあとわずか。アメリカから始まった変化は、否が応でも世界に大きな影響を与えた。その影響は、ひいては波が押し寄せるように、私たち一人一人にも及んでくる。自覚していなくても、誰も政治の手からは逃れられない。つい最近「Prime Minister」というドキュメンタリー映画を観た。ジャシンダ・アーダーン、ニュージーランドの若き元女性首相を7年間に渡って追ったもの。公的映像と私的な映像を取り混ぜて、彼女の姿を描いている。とても見応えがあった。人々の心情や共感を重視する「共感のリーダーシップ」で国民から支持を集めたリーダーだったという。だが、2023年に自らの意志で辞任した。「この仕事を正義感とエネルギーを持って続ける余力がもう残っていない」ということだったらしい。観ていてよくわかったのは、彼女が権力欲で首相になったのではないということ。そもそも政治家を志した動機は、国民がより幸せに暮らしていける公正な社会を作りたかったということである。kind leadershipという言葉を知った。日本の初の女性首相とは、だいぶタイプの違う人である。張子の虎というか、強さを演出しているような高市氏に、本物のリーダーシップはあるのだろうか。一方、アーダーン氏は「思いやりのあるリーダーシップ」、国民に寄り添うリーダー、つまり「強さ」と「優しさ」を両立しようとした首相だったようだ。これもまた難しいことだが、目指すことはできる。来年は、どこかにそういう理想を持ったリーダーが現れてくれることを願ってやまない。

さてさて、あらためてもう一度。絵は、文章と違って説明して心に訴えるものではない。あくまでも視覚から心に訴えるもの。だから、いろいろ上の絵について解説はしたけれど、解釈はもちろん観る人に任せたいと思う。