スイス山里COSMOSNOMADO

紅葉世代の異文化通信

郷愁 – ご飯と味噌汁と日本語

今週のお題「スープ」

冬場は、何といっても暖かいスープがいい。寒い外から帰ってきてあまり料理の時間がない時など、前日の作り置きスープを夕食にして身体を温める。というか、日本の感覚ではシチューを食べてと言った方がいいだろう。グラウビュンデン地方の名物、コクのある大麦入りの野菜クリームスープだったり、グラーシュスープだったり、我が家風ウインナー入り野菜スープだったり。こちらのスーパーで手に入る固い豆腐を手で潰して入れたけんちん汁を作ることもある。

ここで言葉の定義を考えてみよう。日本語にはスープとシチューがあって、スープは「飲む」で、シチューは「食べる」と言う。ドイツ語ではいずれもSuppeで括れて、あえて区別するとしたら、シチューの方はEintopfになるかもしれない。動詞は、いずれもessen (食べる) になる。日本語で言うスープの方は前菜や副菜感があって、シチューの方は主菜感がある。

シチューといえば、小学生の時の祖母の思い出が蘇る。時々作ってくれたシチューは、言葉からして何となくモダンな感じを醸し出していた。「今日はシチューよ」と言われると、食べる前からそこはかとない異国情緒が漂った。日本の「スープ」、つまり汁物と言えば、なんといっても味噌汁である。子供の頃の毎日の食卓には欠かせないもので、朝と晩の食事にご飯と味噌汁は付き物だった。他の家、また、今の日本人の食生活はわからないけれど、当時の我が家ではそうだった。

こちらの和食レストランでも、たいていの昼定食には必ず味噌汁がついてきて、けっこう人気である。店によっては、ちょっと味の薄いのが難であるが。味噌は安くないので経費節約かもしれないけれど。とにかく面白いのは、最初に味噌汁が出てきて、たいていチレンゲがついていること。前菜のスープ感覚だ。初めて見た時は、違和感大だったが、まあ、こちらの人にはスープの容器を口に持っていくことにこそ違和感ありなのだろう。日本食は、今やスイスにもすっかり馴染んで、昔々来た時とは天と地ほどの違いだ。MigorsやCoopの一般スーパーでも、お醤油をはじめ、海苔や振り掛け、寿司の生姜や紅生姜、寿司用の米やうどんや蕎麦なども売っている。味醂もあるし、最近は味噌まで見かけて驚いた。そういう意味では、日本を離れてこちらで暮らしていても、グルメさんのように難しいことを言わなければ、日本恋しさが募ることはない。来た当時は、食べ物も含めて日本が恋しかったものだ。

故郷が恋しい気持ち、それを郷愁と言うのだろう。郷愁を誘うものはいろいろあった。食べ物もそうだし、社会に流れる空気もそうだった。生まれ育った日本にはウエットな粒子が漂っていたが、それに比べてこの土地の空気というか雰囲気はドライだった。そして何よりも、私は日本語が恋しかった。当時は、日本を離れたら日本語に触れることは滅多になかったのだ。インターネットに繋がっている今からは想像もできないことだが、短波ラジオで必死にチューニングして日本語を探したりした。けれども、一瞬は聞こえたこともあったが、山に遮られてうまくいかなかった。

ふと、エリアーデの言葉を思い出す。ミルチャ・エリアーデはルーマニア人の宗教学者で、1945年にフランスに亡命した人である。彼は、亡命後もルーマニア語に強い愛着を持ち、自分にとって言語こそが故郷であると言ったという。物理的な土地ではなく、自分が夢を見、日記を書き続ける言語としてのルーマニア語こそが自分の故郷ということを語ったそうだ。彼はもちろんフランス語も堪能だったことだろう。それでも、母語は自分の血肉となっているのだ。その気持ちが痛いほどわかる。

食べ物と言葉は文化である。日々食べるもの、日々使う言葉は、私たちの生活の基本だ。やっぱり日本人として、あったかいご飯と味噌汁は食の原点になっている。だから、こちらの食生活に合わせながらも、米と味噌は欠かせない。こちらのSuppeも好きだし作るけれども、味噌汁やけんちん汁や豚汁などを作って、ほっこりしている。