スイス山里COSMOSNOMADO

紅葉世代の異文化通信

ああ、日本よ「Quo vadis?」

観音 (cosmosnomado画)

夫の姪に頼まれて、"Altersstube"  という集まりで話をすることになった。シニアの集いとでも言うか、姪の住んでいる地域のシニアの方達30人から50人くらいが、月に一回何かをテーマにした催しに集まってお茶する会らしい。姪は長年そこの世話役の一人で、毎回企画に頭を悩ませていると言う。そこで、最後の頼みの綱というか、私に何か日本について話してほしいと頼まれたのだ。これには、前日談がある。家族の記念パーティーの時に、ピアフの歌 "Non, je ne regrette rien" を日本語に訳して、ドイツ語字幕付きで歌ったことがある。「ここが始まり」と題して、仲間にギター伴奏を頼んでの披露だった。ピアフの原詞は恋の歌だが、私はかなり大胆に人生の歌に意訳してしまった。それを聴いた姪がとても気に入ってくれて、彼女のやっている集まりで歌ってほしいというのだ。プロじゃないけどいいのねと確認した上で、アイデアに困っている姪を助けるつもりで引き受けた。何せ持ち時間は1時間である。プロの歌手ではないので、歌だけでは間がもたない。そこで、彼女と相談して、スイスで長年暮らす日本人女性が、日本文化と異文化相互理解、インテグレーションについて自分の体験に基づいて語るという内容になった。そこに、日本の歌やシャンソンやスイスの歌を散りばめるわけである。そして、最後に「今までいろいろあったけど後悔はない。私の道はここからまた始まる」といった内容の、姪のご所望の歌で締めるというコンセプトだ。

ただ、今ちょっと困っている。日本について、昔のように誇らしく語ることが、内心ちょっと難しくなっているのだ。今の日本の状況は、戦後コツコツと築き上げた平和国家のイメージを自ら壊しにかかっているように見える。なぜ、わざわざ「普通の国」のレベルに降りていくのだろう。人類史上唯一の被爆国、本来なら不断の努力で外交をして、世界を人間の性(暴力)から解放する高みへ向かわなければならなかったのに。日本が戦争の当事国にならないからこそ、デン・ハーグの国際司法裁判所と国際刑事裁判所でも、日本人判事である小和田氏や赤根氏が所長にもなれたのではないだろうか。また、あの平和憲法があるからこそ、アジアの国々の不信を払拭できたのだし、アラブ諸国の信頼も得てきたのではないか。どういう経緯で作られたのかはこの際棚上げだ。白黒つけないことは、時に強みになる。戦争を否定し個人の人権を尊重する憲法こそ、争いの連鎖を断ち切って、人類を生き残りへ導く灯火となる最も先進的なものではないのか。このまま行くと「風の谷のナウシカ」の世界になってしまう。

海外での日本のイメージには、ある意味「特別な国」という雰囲気があった。伝統とモダンが両立している国。平和と安寧祈念の祭祀を執り行う天皇が、国民の象徴として存在し、高層ビル工事の際にも、神主を招いて地鎮祭をしたり、国民が日常的に神社で祈りを捧げる国。それと同時に大乗仏教が人々の無意識に浸透している国。それでいながら、高度な科学技術が発達している国。そして、戦後の廃墟から急速に経済成長を成し遂げた勤勉な国民性。親切で穏やかに微笑む人々。秩序があって約束を守る信頼できる人々。少なくとも、戦後の日本のイメージが良い方向に向かっていったことは確かだろう。戦争の暗い影を少しづつ払拭して、平和国家のイメージを打ち立てていったのだ。1980年代の初頭、しばらくイギリスに住んだことがある。ある集まりで知人から紹介された初老の男性は、初め日本人の私にわだかまりがあったようだ。その人は、戦争中インドネシアにいて、日本軍によって酷い扱いをうけたらしい。その後、私個人に対しては友好的に接してくれたが、海外に出た日本人は、ある意味で国のイメージを背負っているのだと感じさせられる体験だった。

スイスでの肌感覚としては、日本人は他のアジアの国の人たちと比べてリスペクトされていた。それもやはり、上に挙げたような国のイメージがあったからだろう。何回も「イメージ」という言葉を使った。平和国家と信頼は、戦後の日本のブランドだったのだ。企業ではよく、ブランドデザインという言葉を使う。今、日本は高市政権の下でそのブランドを自ら手放そうとしている。なんともったいないことだろう。醜聞の多い欧州の王族とは対照的に、人間としての品格が滲み出る誠実な天皇を国民の象徴に戴く「特別な国」の首相が、品位のないトランプ並みに傲慢で、国民の信頼を平気で裏切りそうな人物だというのは、誠に残念なことである。そして、今この時期に憲法を変えようなどとは、長い目で見れば時代が読めていない。

だがしかしと言うか、だからこそと言うか、やっぱりこれからも、今までそうしてきたように、日本の良いブランドイメージを伝えていきたい。それが、やがて訪れる困難な時期に日本の人々のためになると信じている。そして、今度の集まりでは、自分がこの地で時代と共に歩み紡いだ物語を語ることになるだろう。さて、そろそろ具体的に内容を決めて、歌の方も伴奏との合わせ練習を始めないと、と思っている今日この頃である。