
中指の先が小さく割れてしまった。指先に出来た小さな傷は、けっこう痛いものだ。その上、手を洗ったり家事をしたり、手指はいつも水や物に触れるからなかなか治らない。水仕事をする時にゴム手袋をするにしても。だから、保護するために膏薬を塗って絆創膏を貼る。時には空気に当てなきゃならないから、乾かすために絆創膏を外すと、また小さく傷口が開いてしまう。こまったものだ。
指先を保護している絆創膏を見ながら、なんかありがたいなと思う。何処かにこういう物を作ってくれてる人がいるのだなあと。もちろん、手仕事で製造しているのではなかろうが、こうして役に立つものを生産してくれる会社があるわけだ。それから、綿棒もコットンも毎日使うたびに、ありがたいなと思う。普段何気なく使っている小さな日用品を作ってくれている人たち。とても大事な仕事をしている人たちだ。私たちの身の回りには、無くなってみて初めて気がつく、無くては困るものがたくさんある。食べ物はもちろんのこと、衣食住に関わる様々な物たち。
ところで日本では、食べる前に「いただきます」と言う。こちらではそれがない。その代わりに、スイスドイツ語では、"En Guete!" と言う。ただし、これは「召し上がれ」であって「いただきます」ではない。ドイツ語の "Guten Appetit!" である。日本人は、一人で食べる時も「いただきます」と言う。そして、食べた後は「ごちそうさま」で、セットになっている。この「いただきます」は、その食べ物と食卓に載るまでに関わってくれた人達への感謝の言葉である。そういう意味で、すべての物事が繋がっていて感慨深い。生産されたものが、滞りなく流通して私たちの所に届く。それが上手くいかないとどうなるかは、コロナの時期に皆実感したことだろう。島国の日本では、原発事故の時にそれを経験したはずだ。しばらくの間、海外からの飛行機が日本に飛ばなくなって、不自由したのではないか。
朝のスロージョギングに行く道筋で、よくゴミ収集車や郵便配達の小型三輪車に行き合う。ゴミの収集が止まってしまったら、数年前にナポリであったように、町にゴミが溢れて大変なことになる。また、郵便屋さんはいろいろなものを届けてくれる。みんな、人々の日常が滞りなく運ぶように、生活を守ってくれている人たちだ。また、湖沿いの小道を散歩すると、この地域の浄水場の横を通る。その度に思うのだ、こうやって上下水道を整える仕事をしてくれている人たちがいるのだなと。こういう施設を設計して運営してくれる人たちがいるのもありがたいことだ。生きている上で、たくさんのありがたいことがある。「ありがたい」は、「有り難い」と書くけれど、有ることが当たり前ではないということなのだ。だから、それが有ることには頭が下がる。
一方、すべてを壊しにかかる者たちもいる。人々が営々と築いてきた生活を破壊して苦しめながら、自分たちはのうのうと生きている。最たるものは、戦争を始める者たちだ。世界各地で紛争がある。ウクライナで、ガザで、人々の生活のすべてが壊され、命が奪われていく。そして、壊す者たちは生き延びるのだ。このあまりの理不尽に言葉がない。この者たちは、この世界の有り難さへの感性を持たない輩だ。
驚くべきことに、新しい日本の政権を見ていると、勇ましい言葉で国民を苦難の道に引きずり込もうとしているようだ。政治の場に長く居座り、いったいこの人たちは何を作り、何を守ってきたというのだろう。上っ面のパフォーマンスばかりで、自らの言動への責任感、そもそも倫理観がない。ふっと唐突に昔の歌の歌詞が頭に浮かんだ。「義理が廃ればこの世は闇さ」というもの。調べたら東海林太郎の「旅笠道中」という歌だった。「義理」を「道理」に置き換えれば、まさに今の政治状況を表していると思う。