スイス山里COSMOSNOMADO

紅葉世代の異文化通信

「風の谷のナウシカ」上映会の感想

cosmosnomado 画

先週の日曜日は、「風の谷のナウシカ」の上映会だった。朝起きたら、お日様が眩しくなりそうな気配。これはどのくらいの人が集まるかな、と気になったが、それでも60人くらいの人出になった。

上映の後、いつも交流のためにアペロの時間を取っている。今回は、けっこう10代から20代までの若者も多かった。これぞ望むところで、公開時にはまだ生まれていなかった若者たちにこそ映画館で観てもらいたかったのだ。大半の反応はとても良くて、最後のシーンでは泣いてしまったという人も少なからずいた。70代後半から80歳位の年配の人からは、メッセージがよくわからなかったという感想もあった。たとえば、「画像からは強烈な印象を受けたけれども、監督自身が何を聴衆に訴えたいのかが、余りにも内容が突拍子過ぎて付いていけなかった、人間という生き物が、名誉・地位・金銭を手に入れる為にかけがえの無い自然をどんどんと破壊して行く愚かさを理解はできるのですが…。 この映画は、それ以上の何かを表現しているようで……、何なんでしょうかね…⁇ 」と、お一人からはメールをいただいた。その方へは、下のようなお返事を差し上げたところである。

「この作品を初めて観たのは、息子がまだ子供の頃でした。映画館ではなくてビデオで観ました。その後、どこかでもう一度観たような気もしますが。今回改めてスクリーンで観て、前よりももっと、宮崎駿監督のメッセージが分かったような気がしています。やはり、映画のタイトルにあるように、メッセージは、ナウシカの存在そのものです。アニメだからこそ『抽象的な理想の観念』を人物に落とし込めたのだと感じました。現実には、あそこまで『生きとし生けるものへの慈悲』と、それを守る勇気を体現できる人間はいないでしょう。実質的に肉体を持って生きている我々には、なかなか無理です。言ってみれば、ナウシカは大乗仏教のエッセンスである『菩薩』の思想を体現しているとも思えます。菩薩の思想は、衆生の救済です。千年前、自己中心の発想しかない人間たちが凄惨な争いに行き着いて、地球環境を破壊してしまいました。おそらく核や最先端兵器が使われて、地上は草一本生えないくらい荒廃してしまったのでしょう。しかし、細々と生き残った人類の一部が、時間をかけて命を繋いでいって、地理的に恵まれた風の谷に住む人々は、小さな王国を築いて暮らしています。あの谷を支配する法則は、愛と共生です。それを象徴するのが、王国の姫ナウシカ。けれども、千年前の戦争であれほど破壊され尽くされたのに、生き残った人間たちの大半は、あのトルメキア帝国のように、いまだに暴力を持って事を解決しようとしています。それに対して、ナウシカは自分の全存在を賭けて抗います。ナウシカには、繊細な感性と慈悲の心だけではなく、論理的な思考力があります。密かに「腐海」の研究を進め、王蟲と腐海の関係にも気がつきました。だからこそ、生き残るために王蟲や虫たちに危害を与えない知恵も身につけたのです。ラストシーンが印象的なのは、ナウシカが救世主、人類滅亡以来伝えられ、待ち望まれてきた伝説の人そのものだったという暗示が示されることです。宮崎駿監督は、この業深い人類の救済は、『愛』というか『慈悲』にしかないという答えを示したのではないかと思います。今は『愛』という言葉も軽く使われていますが、これほど実践するのが難しいものもありません。それをアニメ映像という手段で『ナウシカ』に体現させたのではないでしょうか。今の世界を見ると、あまりにも『我欲』が蔓延っています。ミルトン・フリードマン的な経済の考えとやり方が、70年代から80年代にかけて主流を占めて以来、市場における利己的な循環が肯定されてきたと見ています。この映画が作られた1984年という年は、日本においてもまさにバブル前夜でしたね。正確には、1985年のプラザ合意以来の円高からだったかと思いますが。自己の欲求をほどほどに肯定すること自体は、否定することもありません。けれども、精神的にまだ成熟していない魂にとって、自らの中に倫理との対話のない欲望の肯定は、利己主義に走ってしまう危険を孕んでいます。あなたの問いにお答えするとしたら、私自身の考えでは、宮崎駿監督は『生きとし生けるものとの共存と慈悲の志』にしか我々が生き残る道はないと、ナウシカを通して訴えたかったのではないでしょうか。監督は、後に『もののけ姫』を作っていますが、そこでは自然との共存の思想を強く打ち出しています。『風の谷のナウシカ』では、題名通り、監督の理想が『ナウシカ』に集約されているのだと思います。理想を語る人を『お花畑』と揶揄する風潮があるようですが、理想を持たなければ何も始まりません。ちょっと話は逸れますが、日本の大乗仏教の思想はとても興味深いです。上映後の会話で、ナウシカと慈悲の思想についての説明をした時に、Barmhezigkeitと訳したら、キリスト教にもBarmhergkeitがあると言う人がいましたが、大乗仏教のそれとはちょっと違うんですよね。キリスト教では、神はひとつですが、大乗仏教では我々も菩薩になれるのです(上座部仏教というかテーラワーダ仏教には、大乗仏教で言うような菩薩の思想はありません)。一人一人が菩薩への道を辿れば、自ずと我欲による争いはなくなると思います。でも、それは今の我々には至難の技なのですがね。だからこそ、身を捨てて皆を救おうとしたラストシーンのナウシカに、人は涙したのでしょう。音楽も素晴らしかったですね。」

今回は、特に若い人にも観てもらいたくて、ドラマチックなアニメ映画を上映したので、次回は、年配者向けに、小津か成瀬あたりの、少し静かな作品を上映しようかと考えているところである。