
ようやく「国宝」がスイスでも公開された。そこで、大晦日に家族と一緒にさっそく鑑賞に。長い映画だったが、休憩も挟んだせいかそれを感じなかったし、ドイツ語字幕で家族も楽しめた。吉沢亮という俳優さんを見たのは、実はこの映画が初めてだ。人気俳優ということで、話を聞いたことはあったが。この映画を観て、上手い俳優さんだなあと思った。そして、役者としての華がある。人気が出るわけだ。
特に最後の「鷺娘」を舞うシーンの渾身の演技と美しさ、カメラマンが見せてくれた映像美には心を打たれた。映画は映像の芸術、ある場面をどういう構図で切り取ってフレームに収めるか、どういう動きをさせるかは、監督とカメラマンの腕の見せどころ。そして、それに応える役者の演技力がものを言う。そういう意味で、この映画の歌舞伎の舞台の場面は素晴らしかったと、私は感じた。歌舞伎界が舞台だから、映画には必然的に踊りのシーンが大きく占めるが、それらしく見せることが大事で(幼い頃から修行してきた本物の歌舞伎役者にかなうはずはないのだし)、それはたいへん成功していたと思う。映画の観客は、歌舞伎舞踊の演目そのものを観にきているわけではない。喜久雄と俊介が人生かけて踊る姿を観るのだ。
私は原作のことは知らないが、この映画には芸を極めようとする者の苦悩、役者の、ひいては人間の業、欲、愛憎、そして最終的には昇華が描かれているのだと感じた。また、努力によってある所までは登り詰めることはできても、一歩超えられない才能の壁があるということ。だから更なる修行をしなければならない。ところが、才能に恵まれた者は、それが苦ではない。自分の持って生まれた中からの何かが、修行を促す。しなければならないではなくて、したいのだ。歌舞伎は代々血筋で受け継がれていくもので、例外的に養子もあるが、この映画には、家を受け継ぐ宿命の者が抱える苦悩、才能があっても簡単には継ぐことのできない者の苦悩が共に描かれていたと思う。その家に生まれた以上、横浜流星扮する御曹司の俊介は、襲名するのが決まっている。けれども、事故にあった父親が自分の代役として選んだのは、吉沢亮の喜久雄だった。俊介は複雑な思いを抱えながらも、楽屋で緊張に震える喜久雄を励ます。だが、その彼が舞台で見せた自分を超える圧倒的な才能に、いたたまれなくなって姿を晦ます。そして、7年後に彼が戻ってきから喜久雄が直面した困難。血がものを言う日本の伝統芸能の世界の粘着質的なうっとうしさ、それに絡み取られる喜久雄と俊介の苦悩が展開していく。
映画の中の舞台場面では、三つの演目が中心になる。そして、それぞれの演目が、二人が歩んだ過程を象徴するように描かれていたと思う。「二人道成寺」、それは少年の頃から互いに励まし合って稽古を重ねてきた、二人の友情の華の舞台。そして、決別した二人が紆余曲折の歳月を経て、再び共に踊った「曽根崎心中」の鬼気迫る演技。片足を失った俊介が切望したお初の役に、おまえがお初なら徳兵衛をやるのは俺しかいないだろと、女方一筋の喜久雄が応える。俊介は、自分の運命を悟っていたのだろう。お初を演じる横浜流星の演技も凄かったが、アップあり、引きあり、映画は映像がすべてだ。この演目には、喜久雄と俊介二人の、それぞれに対する万感の思いが重なって、それを二人の俳優とカメラワークが見事に表していた。そして、吉沢亮の喜久雄が「鷺娘」を舞うラストシーン。この長い場面は圧巻だった。すべての苦悩と葛藤を超えた昇華の舞を、吉沢亮の渾身の演技と、美しい映像と音楽で描き切る。映画の中で、二人が舞台に立ってホールの隅の上方を指差す場面がある。ここにいると、いつもあそこから何かに見られているような気がするんだと。含みのあるセリフである。最後の「鷺娘」の圧倒的な舞の映像でわかった。真の芸術は、地上を超えて「天上」と繋がるものではないかと思っている私は、ああ、喜久雄は超えたんだ、と感じて胸が高鳴った。吉沢亮とカメラワークが具現したこの最後のシーンは、「なんて美しい」と思わず口に出してしまいそうな映像だった。
李相日監督の作品は、「フラガール」を観たことがあるが、他の作品は知らない。けれど「国宝」を皮切りに、横浜流星も出演した「流浪の月」も観てみようかと考えている。あの作品では、松坂桃李が主演しているらしい。松坂桃李もいい役者だ。今回の「国宝」では、吉沢亮と横浜流星。共に整った顔立ちで、二人とも女方の役者を演じているのだが、吉沢亮は繊細に滑らかに、横浜流星の方は心持ち固く大胆に踊る。その対比が演出なのか、俳優の個性なのかはわからないが、この対称が映画的に緊張感を作っている。キャスティングを心得ている監督さんなのかもしれない。
「国宝」が大ヒットして、歌舞伎に対して関心が高まっているという。いいことである。活動に関わっている文化交流団体で、文楽や能を招聘したことがあるが、伝統芸能に携わる皆さんが一様におっしゃることは、観客の減少への憂いだった。とくに、若い人たちが来ないということ。だから、この映画をきっかけに、若い人も含めて観客が増えるとしたら、喜ばしいことである。私もいま日本にいたら、さっそく「鷺娘」の公演を探して観に行っているだろう、と思った。