スイス山里COSMOSNOMADO

アルプスの山を眺め空を見上げながら心に映る風景を綴ります

映画「EN CORPS」を見て思ったこと

先日、タイトルの映画を観た。セドリック・クラビッシュ監督、パリ・オペラ座バレエ団のマリオン・バルボー主演の今年封切られたフランス映画。とても良かった。ごくごく簡単にストーリーを要約すると、クラシックのバレリーナが、足を挫いたことをきっかけに、コンテンポラリーダンスに目覚めていく話。亡き母は、彼女の小さい時からの夢に伴走した。時々、その映像がフラッシュバックで差し込まれる。母亡き後の父親との関係や家族の物語、彼女の恋愛も交えて話は展開する。

だが、何よりも私が魅了されたのは、映画の中のかなりの時間を占めるダンスのシーン。躍動する肉体に生命力が漲り、圧倒される。映画のタイトルを直訳すると、肉体の中に、と言うことになる。肉体の中に宿っているエネルギーの力、躍動感、生きる喜びの発散が、見る者を捉える。限りある時間に、この肉体があることの喜び。限りある時間。いみじくも、父親が主人公の彼女に「どうして、一生続けられる職業を選ばないのだ」と問う。「人は、誰でも年取っていくのだぞ。なぜそんな若い時だけの仕事に賭けられるのだ」と、そんなふうに。だが、彼女は幼い頃から踊る人生を歩んできたし、母もそれを応援した。というか、もしかしたら、母の夢だったのかもしれない。自分の叶わなかった夢を子に託すというのは、よくあることだ。年取った時のためということで、今の若さが導く道を諦めたくはない。主人公はそう考える。私は、そう解釈した。人の一生は、今の積み重ねだ。若い時に老い先の心配をしても、人生がずっと続くとは限らない。今を逃したらもう後がないこともある。その最たるものが、肉体を使う事柄だ。それは、自ら老いてみて実感するものだろう。ただ、人生の刹那の時期にしか輝かないと見えることでも、本当に好きで続けていれば、何かしら道は開けるものだ。若さが促すものに蓋をしては、老いて悔いが残る。肉体の中にあるエネルギーに道を与えて精進すれば、必ず何かしらの形が見えてくるのではないか。この映画の主人公は、決して悔いることはないだろう。

映画の中で、若さの持つエネルギーと生きる喜びの発露を感じながら、同時に胸に去来したのは、今の世界と戦争だ。人は、赤ん坊から子供になり若者になる。子供を育ててわかるのは、生物は生きることが至上命令ということだ。生まれた命のベクトルは、寿命が尽きるまで生きる方向に向いている。寿命は「神」の手にあるが、それを、神ならぬ人間が奪うことなど許されない。人類の歴史は、残念ながら戦争の歴史でもある。そして、戦争は「我々」を守るためという錦の御旗を掲げながら、常に一部の権力者の特権を守るために始まる。特に、独裁者はその論理の摺り替えに巧みだ。自らとその一族はけっして戦いの地に赴くことはなく、常に他人を送る。まずは、若者を戦争の餌食にする。

今のウクライナの戦争もそうだ。ロシアの立場だ、ウクライナの立場だ、と様々に言う人たちはいるが、実際は、戦争で死にたい若者などはいないはずだ。どんな難局でも、外交で解決できないならば、政治家失格である。自らを皇帝か何かと勘違いして妄想の世界に生きている者どもに政治を司る資格などない。だが、民衆が気がついた時にはもう遅い。恐怖政治がしっかり敷かれているからだ。ロシアでは、いよいよ徴兵が始まった。しばらく前に、フィギュアスケートで有名な選手が徴兵されたというニュースを読んだ。心が締め付けられる思いだ。彼は、他人のために、人を殺し殺されるために生まれて来たのではない。彼が演じる肉体の躍動で他の人をも魅了するために、今ここにいるのだ。

世界中に溢れる理不尽さ。最近は、何を見ても人の生き死にへの思いが頭を離れない。

 

 

好きなバッグ

今週のお題「カバンの中身」

数年前に、大判の財布のようなバッグを見つけた。それ以来、大いに気に入って愛用している。私は、けっこう念の為の小物を持ち歩く人間なので、もちろんそのバッグだけでは足りない。だから、小さなシティリュックサックも同時に使っている。その前までは、けっこう大きなバッグを肩から下げていたが、この組み合わせをするようになってからは、重さが両肩に分散されるようになったし、何しろ両手が使えるようになって便利になった。それに、大事なものは、いつも肩から斜めに掛けるその小さな財布様のバックに入れているから、盗難の心配がない。外出の時は、座る時にもそのバッグを肩から外すことはないから、置き忘れの心配もないのだ。これは、昔の苦い経験の教訓である。

小さいバッグには、お金、デビットカード、クレジットカード、電車の回数券、身分証明書、運転免許証、健康保険会社のカード、スーパーのカード、小さな目薬、バンドエイド一枚、ちり紙一枚、マスク、口紅、小さな鏡、小さなペンと紙一枚、名刺一枚入っている。小さいのに、けっこう入れられるものだ。それと、バッグの外に携帯入れが付いているので、そこにスマートフォン。リュックの方には、小振のアーミーナイフ、ミニ裁縫セット、身だしなみ用品、軟膏や薬、その他何かの時に役立つ物をまとめて入れた小さなバッグ、ちり紙、消毒液のスプレー、予定帳、ペン、アイデアを書き留めるメモ帳、スマートフォンの充電器、イヤフォーン、リコラの喉飴、ちょっと小腹が空いた時のためのナッツ、折りたたみできる買い物用バッグ、傘、サングラス。

私は、バッグは中身がすっきり整理できるタイプが好きだ。なるべく、中にポケットがたくさんある方がいい。要は、必要な物がきちんと膨れずに入るかが大事で、ブランドには全くこだわらない。とにかく、気に入ったものを長く使う。洋服や靴には特に興味がある人間ではないが、バッグだけは好きみたいだ。だから、この財布様のバックとリュックもこだわりの色合わせをしている。秋になって、夏用から切り替えた。時々、使っているお気に入りを眺めるのは、ちょっとした喜びである。

 

 

マイルーティンではない車の運転の話

今週のお題「マイルーティン」

先日、自分のルーティーンについて書いたので、今度は、その反対について考えてみた。それは、車の運転である。

東京で育った私には、車そのものが縁遠かった。東京都心と近郊には、電車と地下鉄の路線網が張り巡らされていて、移動には車より公共交通機関の方が便利である。ただ、地方で暮らす人たちには、車は生活の必需品だろう。主要路線は別として、採算の取れないローカル線は廃線になっていったし。昔々の子供の頃、田舎にある母の実家の里帰りに付いていったときは、駅から降りてからが遠かった。たぶん一日に何回かしか走らないバスを待って、ガタガタと揺られて行ったものだ。ところが、もうだいぶになるが、親戚が車で迎えに来てくれるようになって、我々にとっては随分と便利になった。田舎の従兄弟などは、通勤にも買い物にも車の生活である。

概して、こちらにいる我々世代の日本人女性は、運転免許を持っていない人が多い。聞いてみると、ほとんどは東京や大阪あるいは他の大都市組で、車を乗りこなしているのは、たいてい地方出身の人たちである。もちろん、年配女性でも例外はある。都会出身で日本で若い頃に免許を取った人たちは、実家が一定裕福で、その上、車好きで活発なタイプだったように拝察する。当時、東京オリンピック前から大阪万博の頃までは、車はまだまだ高級品で、また男性が運転するものだった。たとえば、石原裕次郎主演の映画「憎いあんちきしょう」の中で、浅丘ルリ子が颯爽と車を運転して日本縦断するのが話題になったらしいが、彼女が当時を回顧していた記事を読んだことがある。車のハンドルが重くて大変だったそうだ。あの映画は1962年の作品、車のハンドルにも歴史がある。ところで、日本で車が増えていったのはいつ頃からだろうか。やはり、トヨタ自動車が興隆していった60年代半ばから70年代だろう。日本の高度成長期と重なる。子供の頃見た映像で、今も頭に残っているものがある。それは、輸出のためにずらっと港に並んだトヨタの車たちだ。ものすごい数が印象的だった。そして、子供心に思ったのは、こんなに地球上に車が増えてだいじょうぶだろうか、ということだった。その感覚を今でも覚えている。

そんな私も、ここスイスに暮らすようになって車の運転を覚えた。子供が産まれても免許を取らなかったのだが、夫が入院することになる一騒動で決心をした。ある日、風邪の症状がなかなか治らないので、夫は医者に行った。車の運転がルーティーンとなっている彼は、診療所まで自分で運転して。そして、診療所で倒れて救急車で病院まで運ばれることになる。問題は、駐車してある車だ。私は運転ができない。だから、誰かにウチのガレージまで運んでもらわなけれはならない。近所の人に頼んでウチまで戻してもらったが、その時つくづく、自分も運転しなければと思ったのだ。その時のように、いつも運転している伴侶に何かあった時には、本当に困るわけだ。そして、一念発起、日本から車の本を何冊か買ってきて、まず車の構造理論を勉強。車には全く関心がなかったから、アクセルからブレーキ、ギアチェンのことも何もわからない一からのスタートだ。エンジンブレーキって何のこと?からの話である。それから、「女性のための運転術」なんて本も読んだ。そうやって少しづつ車に目覚めて、免許を取ったのは四十路も過ぎてのことである。

こちらには、自動車教習所というものはない。運転の個人教授や学校を仕事としている人に横に乗ってもらって、最初から路上での練習である。先生でなくとも、免許を取って一定以上の年数が経っている人に助手席に乗ってもらってもいい。全部先生に付いて練習するとお金がかかる。特に、私のように中年になってからの初心者は大変な時間を費やすから。それで、夫に付いてもらって練習を重ねた。夜中に車で15分ほどののスーパーまで走って、そこの大きな駐車場をぐるぐる回ってギアチェンの練習をした。今思えば、あの気の長くない夫が、仕事の後によく付き合ってくれたものだと、感謝の気持ちだ。試験は、理論と実践。理論試験は、スイスだから独仏伊の3ヶ国語はもちろんだが、他にトルコ語やバルカン半島の言葉もあって、選べる。英語もあったろうか?私はドイツ語で受けたが、日本語で基礎知識を入れて、その上でドイツ語での勉強をした。自国語で試験を受けられる人たちは楽だなと思った。

四十路を過ぎて晴れて運転ができるようになったが、それでも、私は公共交通機関利用派である。よほど車でないと不便なとき以外は、あまり使わない。だから、今も車の運転はルーティーンにはならず、永遠の日曜ドライバーである。ただ、車の運転そのものは嫌いじゃない。これは、一つの発見だった。免許を取っておいて良かったと思うのは、家族が病気になったとき。先日も、夫がまだ夜も明けやらぬ頃、身体の不調を訴えて緊急外来に走ったが、つくづく自分が運転できて良かったと思った。マイルーティンならぬとも、役には立つものだ。

亀ジョグ、または走り禅

今週のお題「マイルーティン」

朝の時間を少しばかり「走り」に当てて10数年になる。その日の都合によって、毎日とはいかないが、だいたい週に3回から4回は走っている。活動柄、けっこうメールのやり取りがあったり書くことがあったりするので、コンピューターに向かった後、気分転換に森に走りに行く。歩いて12分のところに森があるのはありがたい。

なんでもルーティンにするまでは、時間がかかる。初めは、たった12分の森まで行くのが億劫だった。それから、最初の1周がきつかった。それと、時間帯によっては犬が多いので、それもちょっとハードルになったが、長年のうちに犬の散歩の多い時間がわかってきた。それで、なるべくその時間帯を避けるように工夫。ただ、10数年前は犬を連れた人たちが大きな顔をしていたが、ここ数年は変わってきた。行き合うと、飼い主が道の端に寄って、犬を自分の横に座らせる人が増えた。最初の数ヶ月は「走らなきゃ」だったのが、次第に「走りたい」に変わっていった。よく「3日、3ヶ月、3年」というが、ほんとにそうだと思う。3ヶ月をクリアした頃、段々楽しくなってきた。

その日の体調によっては、今でも1周目がきついこともある。特に、お酒を飲んだ翌朝は。一応3周することに決めているので、なんとか頑張って2周目に入る。そうすると、身体が自然に走ることに馴染んでいく。「亀ジョグ」と自分で命名したくらいゆっくりなので、1時間弱走るがたいした距離は走っていない。でも、スポーツ選手のようにトレーニングとして走っているわけではないので、私にとってはちょうどいい距離だ。早歩きとたいして変わらないくらいかもしれない。ただ、軽く走るのは身体が少しジャンプしてトントンと踵に負荷を掛けるので、骨にいいのではと思っている。

もう一つの効用は、メンタルへの影響だ。別名「走り禅」とも呼んでいるように、走りながら軽く瞑想している感じもある。特に、少し落ち込んでいる時は、走ることが助けになることがある。また、走りながらアイデアが湧いてくることも多い。アイデアとは違うが、時に「ああ、こうすればいいのか!」と閃くこともある。

ダンスとかは好きだが、全くスポーツ系ではなかった自分が、ジョギングをルーティンにすることになろうとは、若い頃は全く考えてもいなかった。また、コツコツ続けるタイプの人間だとも思わなかった。ある意味、年齢に関係なく、思い立ったら人は変われるものなんだなと驚いている。

 

映画「サタデーナイトフィーバー」

なんと、封切りから45年経ってから「サタデーナイトフィーバー」を観た。もちろん、この映画が大ヒットしたことは知っているし、日本のディスコブームの火付け役となったことも知っている。だが、観よう観ようと思いながらも、その機会を逃していた。そして、ついに一昨日の夜、視聴!

1977年の作品で、1954年2月生まれのジョン・トラボルタは、撮影時は22歳くらいだったろう。なかなか可愛らしかった。役の上では、もうすぐ20歳の大人になりかける微妙な年頃を好演していた。なんといっても、見どころは彼のダンスシーンである。歩き方も含めて身のこなしの素晴らしいダンサーだ。話の内容如何に関わらず、彼が踊るところを楽しむだけでも、この映画は観る価値がある。

ストーリーは、かいつまんで言えばこうだ。トラボルタ演じるトニーは、ブルックリンに両親と住みながら塗料店で働いている。お客さんに親切で真面目に働く彼は、店でも評判がいい。家では父親が失業していて、食事時には険悪な空気が漂う。トニーは特に人生の目標もないし、親から期待もされていない。両親の希望の星は、離れた場所で神父をしている兄だけである。彼の単調な生活の唯一のハイライトは、毎週土曜日に通うディスコだ。友人たちと連んで出かけるそのクラブでは、彼は誰もが認めるダンスの王者で人気者だ。女の子たちも寄ってくる。だが、彼にとって一番大事なのは踊ることそのもの。デートだけが目当ての女たちには目もくれない。そんなある日、フロアで踊る見慣れない女性が彼の目に留まる。踊りが抜群なのだ。彼女に惹かれたトニーは、このディスコテークで行われるコンテストのパートナーになってくれるよう頼む。ステファニーという名の年上の彼女は、初めは上から目線だったが、ダンスパートナーの関係のみと念を押して承諾する。性的な関係が目的の者たちも多いからだ。彼女はブルックリンに住みながら、マンハッタンにある会社で広報担当として働いている。有名なアーティストたちとも交流があるらしい。私はブルックリンのあなたたちとは違うのよ、とこれ見よがしにトニーにひけらかすが、映画では、それが本当なのかホラなのかは示されない。だが、とにかくトニーが連んでいる仲間たちとは違う世界で、人生の夢を持って生きていることは確かだ。川ひとつ隔てて、ブルックリンとマンハッタンでは住人たちが全く違う生活をしているらしい。ただその日暮らしの下層の労働者たちが住む街と、スノッブでも成功を夢みる者たちが暮らす街の違い。今はどうか知らないが、映画を見る限り当時はそんな感じだったようだ。コンテストに向けて練習するうちに、いつしか二人の間には友情が育っていく。トニーの側からは恋心だが、ステファニーの本当の気持ちは最後まで明かされない。コンテストの日がやってきた。二人は優勝するが、トニーにはそれが納得できない。自分達より上手いプエルトリコ人ペアが2番になったのだ。こんなのは本当の競技じゃない、自分がこのディスコの常連だからの馴れ合いだと言って、トニーは優勝の賞金を彼らに渡して会場を飛び出す。自暴自棄になった彼は、追いかけてきたステファニーを車の中で押し倒そうとするが、我に返って謝る。彼女とは気まずい思いで別れる。そして、連んでいる仲間たちと5人でマンハッタン橋?まで行くが、その車中で仲間の2人はトニーに言い寄っていたアネットと乱行に及ぶ。車を降りて彼らは橋の欄干の上でバカふざけをする。落ちれば即死だ。トニーと後の2人は危ない一歩手前でやめる正気は保っていたが、ガールフレンドを妊娠させて悩みに悩んでいた3人目の仲間は、やけバチになった挙句落ちてしまう。警察が来て彼らは解放されるが、トニーはもう仲間たちの車には戻らずに、夜通し歩いてステファニーのアパートを朝早く訪ねる。彼は、今までの生活との訣別を告げ、夢を実現するために彼女にいろいろ教えてほしい、友達になってほしいと頼む。ステファニーは、男と女の間に友情は成立すると本気で思うの?と半ば茶化しながら聞くが、友達になりましょう、と言って彼の頬にキスするところで映画は終わる。

「サタデーナイトフィーバー」は、トラボルタの出世作となった作品である。この映画では、彼の持つ魅力を描き切った。抜群のダンスの上手さはもちろんのこと、トニーの持つ宝石の原石のような可能性、内心の純粋さをよく表現していた。目の演技が非常にいい。また、相手役の女優さんのキャスティングも良かったと思う。オリビア・ニュートン・ジョンのような魅力はなかったから、たぶんその後はあまり活躍しなかったかもしれないが、この役には合っていたと思う。彼女の外見があまりに女性として魅力的というか、セクシーだと、トニーがまず彼女の踊りっぷりに瞠目して惹かれたことが、映像として表現できないから。19歳のトニーにとっては、踊ることが人生の意味なのだ。歳上の地味目な女優さんでこそ、たぶん出身はトニーと変わらないが、結果的には、夢を持って社会の階段を上っていく姿勢でトニーを啓発する役を演じられると思うからだ。

ビージーズの音楽は大ヒットし、あの曲に載せたトラボルタのディスコダンスの振りは一世を風靡した。当時は、いわゆるマジメだった私は、ディスコには2、3回くらいしか行ったことはなかったが、ダンスは大好きだった。そう言えば、ダンスのコースに通っていたことを思い出した。それも、ディスコダンス。だから、あの振りは知っている。今回遅ればせながら観て、トニーがステファニーに言った言葉が印象的だった。たしか、内容的には「今の自分はダンスへの情熱でいっぱいだが、年を取ってからもそれを持ち続けていられるかはわからない。だから今の自分の可能性を試してみたい」というようなものだったと思う。自分を振り返ってみる。踊ることは今も好きだ。昔は、情熱がほとばしり音楽に合わせて自然に身体が動き出したものだが、今は少し違う。やはり、身体は徐々に老いていくものだと実感している。それに合わせて情熱の質も変わっていく。肉体表現には旬というものがあるのだと思うし、だからこそ、若い人には適切な時期に思う存分に可能性を伸ばしてほしい。トニーは、たぶんあれから努力を重ねて、有名なダンサーとして活躍したのではないか。企業の広報の仕事で、有名なアーティストとの繋がりがあるというステファニーとの友情も示唆的だ。

 

 

 

 

 

映画「ビッグ・ウェンズデー」

#夏に見たい映画・ドラマ・アニメ・バラエティ

夏に見たい映画と聞いて、まず真っ先に思い浮かんだのが、「ビッグ・ウェンズデー」である。1978年のアメリカ映画で、サーファーたちの物語だ。カルフォルニアの海辺の町に住むサーファーの若者3人が主人公。彼らは、いつか水曜日にやって来るという世界最大の「ビッグ・ウェンズデー」という波に乗ることを夢見ていた。この映画は、ベトナム戦争を背景にして、当時のアメリカの若者たちのひとつの青春を描いている。

日本にいた若かりし頃、封切りの映画館で観たはずだが、サーフィンとは縁もゆかりもない自分が、どうして映画館に足を運んだのかはわからない。もしかしたら、ヒットしていたのかもしれない。今となっては、あらすじさえ確かではないし、どういう状況で誰と観に行ったのかも覚えていない。ただ、この映画の名前を聞くと、カルフォルニアの青空と広い海、開放的な夏の雰囲気が蘇ってくる。その当時の私は閉塞感の中にいたようだから、よけいにあの大きな海と波に惹かれたのかもしれない。

記憶が曖昧なのは、40数年前の映画だからなのか。だが、作品によっては古くても鮮明に覚えているものもある。たとえば、「アラビアのロレンス」や「ローマの休日」「カサブランカ」など。もしかしたら、名作と謳われて何回かリバイバルされたからかもしれない。当然「ローマの休日」や「カサブランカ」は、封切り当時にはまだ生まれていなかったし、「アラビアのロレンス」の時は子供だったから、リバイバルとテレビ名作劇場などで観ているわけだ。思えば、「ビッグ・ウェンズデー」は、あの時以来話題も聞いたことがないし、リバイバル上映はされていないのではないだろうか。

そんなわけで、インターネットで調べてみた。なんと、ユーテューブには予告編とプレビューが上がっていた。それを観て驚いた。全く忘れている場面の数々。若者たちのどんちゃん騒ぎ。ベトナム戦争に出征して戻って来た者、帰らなかった者、星条旗に包まれた棺の場面。主役の3人の中の一人、金髪巻き毛の痩身の若者が一番の好みだったのを思い出した。真面目な役柄でもあった。ところで、ボディビルがブームになってから、筋肉ムキムキの男性が女性にモテるようだが、あの映画を見ると男の子たちにはその極端さはなくて、皆程よい筋肉の持ち主だった。物語は1960年代初めから、ベトナム戦争を挟み、1970年代半ばにやってきたビッグ・ウェンズデーの大波乗りがクライマックスになっている。ベトナム戦争を抜きにして当時のアメリカは語れないが、あの映画の骨格となっているのは3人の友情だ。青春サーフィン映画である。サーフィンはしなかったが、だんだんと自分が過ごした青春時代の人間関係や、その時の感情も思い出してきた。

それにしても、あの波乗りのシーンはすごい。機会があったらもう一度観てみたい。ネット上のレンタルビデオを探してみよう。

 

雪の山越えと夏の荒れ地越え

今週のお題「人生最大のピンチ」

ピンチと言ってもいろいろある。精神的なものだったり、生活上のことだったり。長く生きていれば、誰しも振り返って精神的な面で行き詰まった時もあるだろうし、家族の問題でキツかったこともあるだろう。

そういう時もあったが、今回の「お題」を見て、まずは旅先でのピンチのことを思い出した。それも2回、そして同じく車でのこと。もうずいぶんと昔のことになる。いずれも休暇中の出来事だ。

あれは、まだこちらに来たばかりの頃、南チロルにある夫の友人の家を訪ねた時のことだった。イースターの頃だったと思う。イースターは、その年によって3月の終わりだったり4月も半ばだったりする。夫と友人たちはスキーをしていたから、3月の終わりか4月の初めだったかもしれない。ちなみに、私がスキーを始めたのはそのずっと後になる。細かいことはもう覚えていないが、とにかく楽しい数日を過ごして、帰途に着いた。フリュエラ峠を越えてダボスに降りるルートを取った。晴天で、青空が広がっていた。ところが、峠を登っていくと急に雪が降ってきた。車の向きを変えることができないので戻るに戻れず、さてどうしたものか。夫の運転技術には全幅の信頼を置いていたが、それでも先がよく見えないほど吹雪いてきた。チェーンを巻くしかない。私は当時まだ運転ができなかった。東京育ちでその必要もなかったし、車に興味もなかった。当然知識もない。だが、私がタイヤの位置を見定めてチェーンを敷くしかない。その上を夫がバックする。やり直しがきかない一発勝負である。吹雪の中、かじかんだ手にチェーンを持って必死で雪の上に敷く。夫が慎重にバックしてくる。うまくいった!タイヤを乗せた後は夫と一緒にチェーンを巻きつけた。正直あの時は、うまくいかなかったらこれで一巻の終わりだ、と一瞬思った。幸い、その後は先がよく見えないながらも、夫の抜群の運転で無事に下に降りることができた。

もう一回は、グランカナリアでのこと。こちらに来て3年目に、初めての海辺の休暇に出かけた。日本にいた頃、大滝詠一がけっこう好きで、彼が歌っていた「カナリア諸島にて」のカナリアン・アイランドというリフレインを思い出しながら、少し感慨深い旅だった。何日目かのこと、レンタカーを借りて島のドライブに出かけることにした。地図を見てルートを決める。車は普通のフィアットだ。ところが、進んでいくと、やがて石ころだらけの道になって、行き交う車はジープばかり。先の経験のように、夫は運転が上手いので何とか走ったが、荒れ地をゆっくり走るので予想よりガソリンを食う。ガソリンスタンドがありそうな集落もない。少し下りの道はギアをゼロにして節約する。何とか町まで持たせたが、携帯電話もない時代、誰もいない砂漠のようなところでガソリンがなくなったらと思うと、肝を冷やした。

あの時は自分が運転できなかったので、すべては夫の腕にかかっていた。その後、必要に迫られてこの私も運転免許を取る。ウチの車は、冬の坂道のことを考えて四輪駆動だし、オートマではない。初めは、坂道発進などギアチェンジに苦労したが、今ではかえってそれが面白い。意外に運転が好きなことも発見した。ただし、スピードが苦手なので、高速道路は走らない。こちらのアウトバーンは、時速120キロである。私の限界はせいぜい100キロだ。