スイス山里COSMOSNOMADO

アルプスの山を眺め空を見上げながら心に映る風景を綴ります

「大人になったなと感じる時」スイスの若者編

今週のお題「大人になったなと感じる時」

ああ、日本はちょうど成人式の季節なのですね。私自身は大人になって幾星霜、「大人になったな」という感慨も遠い昔になりました。そこで今回は、スイスの若者たちがどんな風に社会の中で大人になっていくのか、親の経験という視点も含めて振り返ってみたいと思います。

まずは、スイスの教育制度を見てみましょう。大半が高校に進学する日本の中学生と違って、こちらでは中学2年生はちょっと大変です。というのは、この時期、好むと好まざるとにかかわらず、自分の将来について具体的に考えざるを得ないからです。スイスの教育制度は日本とは少し違っています。義務教育が9年間というのは同じですが、その仕組みは少し複雑になります。

まず、小学校6年間を終えたところで道が二つに分かれます。地元の中学校に行く道と州立の6年制のギムナジウムに行く道。私立の学校もありますが、一般的ではありません。地元の中学校に行く場合も、小学校の時の成績によってABCと三種類に分かれます。この時点では中学A種とB種に行く子が大半で、地域にもよりますが、試験に合格してギムナジウムに行くのはクラスで2人位というところでしょうか。行っても、3ヶ月間の試用期間に合格しなければ地元の中学に戻されます。

次に、中学2年が終わる段階でまた選択肢があります。4年制のギムナジウムに行くか (中学A種に行った場合のみ受験資格がある)、3年まで行って、その後自分の希望の職種の職業訓練を受けるか。もちろん3年の時に進学を選ぶこともできますが、大半は3年の時に就職先を探して、中学卒業後そこで訓練生として仕事を教えてもらいながら、たいていは週1日、職業学校でそれぞれの職種の勉強をします。そして、4年後に国家試験を受けてその職種の資格を取ることになります。いずれにしても、中学2年生は、自分は何をやりたいのか、一度は将来に向けて真剣に道を考えざるを得ません。親と生徒を集めての進路説明会はありますが、先生が生徒個々人の面倒を見てくれるわけではないので、親もなかなか大変です。特に現在は、昔のような経済成長ブームではないこと、また、企業の社会的責任の自覚が薄れていっているということもあって、就職先を探すのがなかなか難しくなっているようです。ギムナジウムに合格して進学した場合も、成績が悪ければ退学になるし、卒業前に行われる大学入学資格試験に受からなければ、社会的な資格としては何もありません。本当に本人にやる気がなければ、親の圧力で無理して合格しても、その後はうまくいくとは限らないのです。総合大学に進む割合は、現在は20パーセントほど。1980年代半ば頃は、10パーセントほどでした。専門大学入学資格者も入れると、40パーセント弱くらいのようです。大学に進むということは、その後アカデミックな職に就くということになります。考えたり勉強したりするのが好きな子、手仕事をするのが好きな子、身体を動かすのが好きな子、子供の適性はいろいろです。好きなこと、向いていることを選んで、手に職を付ける職業訓練の道に進んだ方がいい場合も多いです。その辺の見極めが親子にとって大事になります。最近は、まずは職業訓練生として働き学びながら、さらに週にもう1日授業を受けて専門大学に行くための資格を得る道もあります。とにかく、就職した場合も、国家試験に受からなければ資格が取れず、その後の仕事の選択範囲が狭くなります。ですから、皆一生懸命。学校に行く子も就職した子も、毎日朝早くから夕方遅くまで大変です。お店などで、まだ幼顔の残る若者が、見習生という名札を下げて健気に応対しているのを見ると微笑ましく、頑張ってと応援したくなります。

それから、16歳というのは、親子関係にとって一つの節目です。例えば、親と一緒に電車など公共交通機関で移動する場合など、15歳までは無料ですが、16歳からは大人と同じ料金が掛かります。また、洗礼を受けている子供達は、その教会共同体で16歳から一人前です。アルコールもビールとワインに限り原則16歳から飲めるようになります。ただし、州によっては18歳からにしているところもあるようです。選挙権は、18歳からです。こうして、社会的には大人になっていくわけですが、気持ち的にはどうなんでしょう。息子が18歳になる頃だったか、私は何となく感慨深くて「大人になったねえ」と言ったら、「心はまだ子供で〜す」と、ちょろっと舌を出してふざけて笑いました。16歳から18歳というのはとても多感な時期ですね。身体もまだ成長し続けています。一人前として認められたい気持ちと、何となく大人の世界に入っていくのが不安な気持ち。この時期に友人でも先輩でも、あるいは師でも、いい出会いに恵まれて、たくさん学び吸収していけたら、その後の人生の確かな土台が築けることでしょう。そして、本当の意味で成熟したいい大人になっていけるのかもしれない。子供と若者を大切にする環境は、良い社会をつくっていく基盤になるのではないかと思うのです。 

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印象に残ったインタビュー

スイステレビに、Sternstunde (星の時間)という日曜の番組がある。毎週午前10時から午後1時まで、宗教・哲学・芸術と1時間ずつ3部構成で放送する。2020年最後の「哲学の時間」は、連邦内務大臣アラン・ベルセ氏のインタビューだった。連邦内務省保健庁はコロナ感染対策の指揮を執っているが、内務大臣であるベルセ氏はその最高責任者。昨年は彼にとってはハードな一年となったし、今年もそれは続くだろう。インタビューの中で大変だったか聞かれて、生理的に昼夜がわからなくなった時期があったと答えていた。つまり、まだウイルスについてよくわからなかった時期は、寝もやらず対策に忙殺されていたからだろう。でも、彼はそれをただ事実として淡々と語る。家に帰る暇もなかったようだ。「哲学の時間」だから、政治の話ではなくて彼の考え方と生き方についての話が主で、アラン・ベルセという政治家の内面性がわかって印象深かった。ここでちょっとだけスイスの政治システムを説明。スイスは連邦制で26州(Kanton)から成る。スイス連邦政府は、主要政党から選ばれた7人の大臣で構成され、それぞれの担当省庁を持つ。そして、それと兼務しながら一年間の持ち回りで大統領を務める。社会民主党のベルセ氏も大統領経験者だ。昨年は、同じく社会民主党のシモネッタ・ソマルガ氏が大統領だった。今年は、国民党出身で経済相のギー・バルメラン氏が大統領に就任した。さて、話をインタビューに戻そう。いろいろ話があったが、特に二つ印象に残っていることがある。それは、政治家として何が一番大切だと思うかと聞かれて、Empathieと答えたこと。共感力というか他者に感情移入できる力というか、そういった能力だ。もう一つは、なぜ政治家になったのかと聞かれての答え。もちろん、若くして方向を選ぶにはいろいろな要因はあっただろう。ただ、感銘を受けたのは、たぶん人間が好きなんだと思うという一言。受け答えを聞いていると、頭の回転が速くて論理的に考える人だというのがわかる。見終わった後の感想。論理的思考ができるのはもちろんとして、その上に人間に愛着を感じ、他者への共感力がある人たちが政治に携われば、世界はどんなにか良くなっていくことだろう。スイスには、けっこうそういう政治家がいるのではないかと思っているのだが。はてさて、それはスイスで生まれ育ってない人間の、隣の芝生視点なのだろうか。いずれにしても、私たちの生活が政治家とその政治に左右されるのは確かだ。

 

ということで(?)前回申し上げたように、ずいぶん昔に書いて最近出てきた、猫のクロのお話第二弾を載せます。

「クロです。こんにちは。毎日寒~い日が続いてますが、皆さんお元気ですか。ボクは外があんまり寒いので、このところずっと外に出ないで、居間のソファの横の専用ふかふかマットで、まあるくなってることが多い。それで、飼い主さんがテレビをつけたりすると、何となく一緒に見たりしてる。人間の世界では、ここ二週間のうちに暦が変わって新しい年になったんだそうだ。この間は夜中に皆でシャンペンを開けて、「おめでとうございます!」って言ってた。でも、テレビ見てると、あんまりおめでたそうでもない感じだ。どこだかよく知らないけど、新しく戦争が始まったらしいんだ。子供たちまで爆弾にやられてる。全くひどい話だよな。子供は生きようと思って生まれてくるんだぜ。小さな芽が真っ直ぐに育ちたがっているんだ。それを摘むなんて許せないよ。ほんとにボカアあんまり極端な言葉は使わないタイプだけど、こればっかりは許せない。子供は大人の作った世界に暮らすしか生きるすべがないだろ。そもそも、世界の偉そうにしてる「指導者」って連中は、人がこの世に生まれてくる意味をわかってるんだろうか。ボカア伸びをしたりジャンプしたりしている時、元気な身体があるってほんとに有り難いなって思う。その身体を取り上げることができるのは、「神さま」だけだ。人間たちはお互いあっちが悪い、そっちが悪いって、聞く耳を持たない奴が多い。「悪い奴」をやっつけろって言ってる「指導者」って連中は、若い兵隊を送るくせに、自分は危ない所には行かないで、号令をかけてるだけだ。自分が行きたくないなら、行かせるのもやめろってのに。世の中そんなに単純ではないって言う人が必ずいる。ま、狭い庭のことを「猫の額ほどの」って言うくらいだから、自分の脳みその量を誇れるわけじゃあないけれど、ボカア、人間ももっと物事を単純に見ればいいのにって思う時がある。ボクの飼い主さんは、『What a wonderful World』っていう歌が好きで時々歌ってるんで覚えちゃったんだけど、ありゃボクも好きだね。いっぱしのこと言わせて貰えば、こうして生きてるってことだけでもWonderに満ちていて知りたいことがいっぱいだ。人に押し付けられて死にに行ったり殺したりしてる暇なんてないよ。生命は育っていきたいんだもん。それには平和で調和の取れた世界が必要だろ。そうじゃなくなりそうだったら、すみません、私が欲張ってましたって引き下がるのもひとつの道だ。猫だって欲張りな奴もいるけど、その為に殺し合いまではしないぜ。人間の勝手でボク達も住んでるこの世界を壊されたかあないね。ボカア、単純って言われたって、飼い主さんと顔を見合わせて微笑みあったり、(ま、ボクはニャーンって鳴いてるだけにしか見えないだろうけどさ)原っぱを跳び回ったり、時々はお日様に当たって居眠りしたり、そんな小さな幸せを大事にしてたい。ところで、いま飼い主さんがハマっているのは、「篤姫」ってビデオ。この間なんか何時間も見てた。ボクもつい釣られて見てたんだけど、あの篤姫って人はすごいね。何か問題にぶち当たったら、ちょっと見には複雑なことでも原点に戻して単純に考えようとする。自分が間違ってたらそれを認めて、また原点から道を見つけようとする。あの人の大前提は、皆が幸せに生きることだ。ボカア、彼女に惹かれちゃったね。ま、とにかく、ちょっと暖かくなったら、また賢猫の「おやじさん」の所に行って、いろいろ考えを聞いてこようと思っている。では、また。」

 それでは、また折を見て第三話を載せたいと思います。では、また!

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iPad

お題「#買って良かった2020

iPad

この春に念願の新しいアイパッドを買った。思い切らせたのは、縦書き機能の誘惑。私の初めてのコンピューターは、Windows XP搭載のものだったが、10年ほど前に壊れてしまい、その時にマックブックに買い換えた。白い陶器のようなノートブックで、もう店頭で見ることはない。今は全てシルバーの薄型になっているから。少々重たいが、その優雅な姿から、プリンセスと呼んで愛用していた。一度画面がダメになってしまったけれど、その白い美しさが気に入っているので、買い換えずに修理に出してずっと使い続けている。10年前にマックに切り替えても、慣れがあって、ワープロはマイクロソフトのアップル対応のワードを使っていた。ただ、難点はこちらで買ったものなので縦書きができないこと。元々入っているマックのワープロアプリのページスには、もちろん縦書き機能はなかった。ところが、2019年になんとそのページスに縦書き機能が加わったと聞いた。だが、なにせ我がプリンセスは少々お年を召しているので、新機能がインストールできない。その時、耳寄りな情報をキャッチ、新しいアイパッドは縦書きができるというのだ。そこで、思い切って買ったという次第。私にとってこのアイパッドもう一つのヒットは、作業をしながら、家の中のどこででもユーテューブが見られるということ。台所だったり居間だったりで、ながら視聴をしたり、ソファに座ってゆっくり見たり。スマートフォンは携帯に便利ではあるけれど、若くない目には画面が小さすぎて見難いし疲れる。その点、程よい大きさと携帯性を兼ね揃えたこのアイパッドはちょうどいい。

さて、そんなこんなで、去年はユーテューブ視聴に精が出た。そこで発見したのが、日本の芸人さんの番組。たまたま、「風の谷のナウシカ」関連を探していたら、中田敦彦という人が解説している映像が飛び込んで来た。見ると、ユーテューブ大学と書いてある。この人誰だろう?大学と言うから先生?先生にしてはちょっと型破りだし面白い。調べてみると、オリエンタルラジオという漫才の芸人さんだという。なんでも、ずいぶん前に「武勇伝」という漫才でブレイクしたらしい。日本にずっといる人なら知っているのだろう。いや、こちらの日本人の友人たちも知っていた。興味がある人なら、今の時代は日本にいなくても情報を取りにいけるわけだし。子供時代は、父がよく漫談を聴いていたので、それなりに漫才師も知っていたし、長じてからもタモリの話芸は面白いと思って楽しんでいた。でも、いつ頃からだろう、叩いたり小突いたり、人を悪し様に嘲って笑いを取る芸人たちが台頭してきて、お笑いの主流を占めるようになってからは見なくなった。端的に言って、芸がなくて面白くないのだ。そして、本来は人を楽しませるのが使命であるはずなのに、俺様感が鼻につく人が偉そうにするようになってからは、笑う門には福来たる、ストレス解消のご利益がなくなってしまった。それで、遠ざかった。ところが、アイパッドのユーテューブ漫遊でのこの発見。アルゴリズムで、次々に関連のお勧め映像が出てくる。それで、全く知らなかった芸人さんたちにも辿り着くことになる。そしたら、ハートを持った芸人さんたちも若い世代にはいるのだということを知った。中田敦彦という人の稀有なところは、あれだけ自分をアピールしながらも、俺様感がないところ。たぶん、自己主張だけじゃなく、根底に他者へのリスペクトもあるのだろう、というか、自分だけじゃなく人間が好きなのだろう。みんなに楽しんでもらうのが大きな喜び、というようなことを言っていた。日本のエンターテイメント業界に新風を吹き込む芸人さんになるのかもしれない、などと今までの経緯を全く知らないながら思ったことである。2020年はコロナの年だった。その影響は各方面に及んでいる。たとえば、テレビの仕事が不安定になった芸能人たちが、ユーテューブに活躍の場を求めて参入してきているという。どうやら2020年は、この動画投稿プラットフォームにも変化の風が吹き始めた年なのらしい。ちょうどそんな時に新しいアイパッドを買ったというわけか。

ということで、私の買ってよかった2020年は、アイパッド。おっと、元々の動機だった縦書きソフトはまだほとんど使ってなかった。2021年は、物語を書くときなどこちらも大いに活用してみよう。

 

 

大晦日に思うこと

日本はすでに年が明けて2021年が始まりましたね。こちらはあと数時間です。今年は、コロナに始まりコロナに終わりました。世界中が、本当に大変な年でした。ヨーロッパは現在第二波に見舞われており、まだまだ収束の兆しは見えていません。

日本はいかがでしょうか。いずれにしても、2020年がこれからの私たちの暮らし方を変えていくターニングポイントになったとは言えるでしょう。環境を顧みないグローバル化、大量生産大量消費、効率優先で人間性を蔑ろにして邁進する経済優先主義。この道を突き進んでいけば、我々には未来がないかもしれないという予感を、多くの人が感じているのではないかと思います。これから始まる2021年に何が待っているのかわかりませんが、心の中に軸足をしっかり持って過ごしていけたらいいなと思っています。

 年末にいろいろ整理していたら、その昔ある日本人の会に持ち回りで投稿した原稿が目に入ってきました。猫をテーマにして、たしか4人で順番に短いお話を書いたように思います。懐かしくなって読んでみたら、なんと猫のクロが人間社会の成果主義を斜めに眺めている内容。もう随分昔のことで、すっかり忘れていました。時空を超えて綴るつもりのブログ、ちょっと掲載してみたいと思います。

 クロの巻(1)

 「ミケどん、タマくん、虎さん、それではお後を引き継がせていただきやす。

みんな自己紹介をしていたから、ボクもした方がいいのかな。まず、名前はクロです。理由はいたって簡単。黒猫だからね。年齢は自分でもよくわからない。小さい時に捨てられてニャーニャー泣いていた時に、『おやじさん』に見つけられてしばらく世話になったあと、今の飼い主に引き取られた。『おやじさん』ってのは、15歳の長老で孤高の猫、賢人ならぬ賢猫だ。時々エサを持ってくる人達がいて、『フール・オン・ザ・ヒル』って呼んで気にかけてくれているけれど、どこの飼い猫にもならない。ただ、当時のボクみたいな子猫には、やさしい人間の家の暖かい寝床が必要だからって、『おやじさん』は、その中の一人の人に貰われて行けって言ったんだ。ボカア、『おやじさん』のことは尊敬してるし大好きだから、ずっと一緒にいたかったんだけど、ダメだって言われた。でも、いつでも遊びに来ていいぞって。だから、今でも時々会いに行く。どっから仕入れるのか、いろんなことをよく知っていて話してくれるんだ。ま、猫ってのは、人間には見えない聞こえないこともわかるからね。

 今日はこのあいだ聞いてきた話をしてみようかな。なんでも、ここじゃなくて日本っていう所の話らしい。『おやじさん』の耳には時空の制限なんてないみたいなんだ。さて、ある時小さな猫が前足というか、手に大きな怪我をして、あるお家の庭に迷い込んで来たんだそうだ。たまたま、その時縁側で日向ぼっこをしていたその家のおばあさんが、可哀そうに思って、その子の手に薬を塗ってやって、おまけにそいつが猫の習性で薬を舐めないように、手袋を縫って履かしてやった。そして、毎日世話をしてやってるうちに、そのひどい傷も治ったんだって。よその猫に毎日そんな世話をしてやるなんて、手間暇かかってなかなかできないことだよって。今は人間たちはみんな忙しそうにしているからね。でも、そのおばあさんは、近ごろ急にコーキコーレイシャとか呼ばれるようになって、なんだか肩身の狭い思いをさせられているらしい。『おやじさん』が言うには、ええと、何て言ってたっけ、ああそうだ、セイカシュギだとかコウリツだとかいう言葉が幅を利かせていて、ご隠居さんとかの、ただそこに居てくれるだけでほっとする、言ってみれば、人徳みたいなもんの有り難味ってのは忘れられているんだって。ボカア、難しい言葉は、そうだ、セイカシュギだっけ?よく意味がわからないけど。目に見えるものばかりに価値があるわけじゃあないよってのが、『おやじさん』の考えだ。ボカア何にもしてないけれど、飼い主さんは「猫は癒しだ」なんて、よく撫でてくれる。ま、人間の勝手な都合で捨てられちゃう猫もいるんだから、可愛がってもらっているボクは恵まれているんだろうが。『おやじさん』の話を聞いて、「おまえはどれだけ稼げるのか」なんてことで評価されないだけ、猫でよかったなあって思った。また『おやじさん』の所に遊びに行くつもりだ。ひとの話を聞くのは面白いし勉強になる。今度のミケどんの話も楽しみだなあ。」

お話は、あと二話ありますが、長くなるのでまたの機会に。

それでは、新しい年の皆さまのご健康とお幸せをお祈り申し上げます。

2021年正月 スイスの山里より

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一箱のマッチに思うこと

冬の夕暮れは早い。電気をつける前に蝋燭に火を灯す。マッチをシュッと擦って、アドベントクランツのキャンドルに火をつける。部屋の隅に置いてあるポインセチアも、ぼんやりとした光の中に赤く浮かび上がる。明日はクリスマスだ。

 マッチを擦るたびに思うのは、今もマッチを作り続けている人たちのこと。小さいけれど、私たちの暮らしには欠かせない物だ。たぶんマッチを製造する会社は、いわゆる大企業ではないだろう。勝手な想像だが、家業を引き継いで、より良い製品を作り続けるために、日夜頑張っている小さな会社が目に浮かぶ。日本の企業の大部分は、中小企業だという。マッチだけではなく、いろいろな生活用品が小さな会社や工場で作られているのだろう。大銀行や保険会社ばかりが目を引きがちだが、スイスだって中小企業が主である。スイスも日本も、派手に語られない小さな会社と、そこで働く人たちが社会を支えている。どの企業も何らかの社会的貢献をしていることは確かだが、特に生活に必要な物の生産販売に関わる仕事は大事だと思う。今の時代、IT関係の仕事が脚光を浴びることが多い。GAFAなどはまさに時代の寵児のように言われ、世界を牛耳っている感がある。おかげで一面では様々なことが便利になり、またオンラインの交流が進んでいることは確かだが、人間が有機的存在である以上、第一次産業はないがしろにしてはならないものである。上下水道などのインフラに関わる仕事もそうだ。人は霞を食べて生きていくことはできないのだから。食物を口に入れ消化する。生きる為には暑さを凌ぎ寒さを防がなくてはならない。人間が生身の生き物だという原点を忘れて、経済成長や金融ばかりを語るのは、ちょっと違うと思う。そんなことを、マッチを擦りながら考える。

 ちょうど冬至の夜に、木星と土星が大接近したのに、あいにく空は厚く雲に覆われていて、見ることが叶わなかった。次は60年後だとか。60年後か…。もう自分がこの地上にいないことは確かだが、そのころ地球はどうなっているのだろうか。

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12月の星空に思うこと

冬の星座といえば、何と言ってもオリオンだ。オリオン座は、満天の星空でもすぐに見つかる。オリオンの左肩から線を伸ばしていくと、アルデバランがある。明るい星なので、いったん見つかると、目を離してもう一度見上げてもすぐに見つけられる。アルデバランがわかれば、その先にぼんやりとした昴、つまりプレアデス星団も見えてくる。今の時期は夜も深まると、南東の空高く冬の大三角が輝く。オリオン座のベテルギウス、こいぬ座のプロキオン、そしておおいぬ座のシリウスだ。全天21の一等星の中でも一番明るいシリウスは、冬の夜空の中で凛として美しい。早い時間だと、シリウスはまだ山の陰に隠れてここからは見えない。それで夜も更けて一層冷え冷えと凍てつく中、ダウンコートを着込んでから庭に出てしばらく空を見上げている。

最近、スマートフォンに星のガイドアプリを入れた。それ以来、昼間の星を探すのも楽しみになっている。昼間でも、太陽の光で目視できないだけで、頭上には星があるわけだから。スマートフォンをかざすと、今朝は木立の向こうに、こと座のベガと白鳥座のデネブが現れた。夏の夜空では、わし座のアルタイルと共に夏の大三角を形づくっている星たちだ。それにしても、宇宙にはなんと沢山の星があることだろう。私たちの敬愛する「お天道さま」太陽は、天の川銀河の中の数多ある恒星の一つで、母なる地球は太陽系の第三惑星。太陽系は、中心からかなり離れたところにあって、この銀河の中を約2億5千万年かけて周っているという。そして、天の川銀河もこの大宇宙に数多ある銀河の中の一つにすぎない。太陽系ができて46億年、地球ができてからはおよそ45億年?そこに生命が誕生したのは、40億年ほど前のことだそうだ。そういうスケールで見れば、人類の誕生はついついこの間のこと。宇宙のちっぽけな砂粒のような辺境での小さな出来事だ。空を見上げながら意識を宇宙に向けてから、今いる時空に戻ってくる。そして、この地球で現在進行中の、私たちにとって大きな事柄の数々を思う。現在、人類が直面している生存に関わる様々な問題、例えば気候変動のこと、コロナウイルスのこと、世界中の紛争のこと、などなど。この地上で人間として暮らしている我々には、生き残るために解決しなければならない重要な課題の数々だ。人々は、自分の人生の夢の実現や幸せを求める。でも、世界が繋がっている以上、これらの問題への解決の道を見つけられなければ、日常の小さな幸せさえなくなってしまうだろう。最近話題のユヴァル・ノア・ハラリ氏の「サピエンス全史」は面白かった。人類の歴史を文明の発生から述べるのではなく、そのずっと以前から書き起こして考察するのだ。過去を俯瞰しながら現在と未来への見通しを述べている。我々サピエンスという種が己を知ることの大切さが求められる。

ところで、12月21日だったか22日だったか、木星と土星が大きく接近するそうだ。「お天気お姉さん」によると、ちょうどクリスマスの星のように見えるという。空を見上げるのを楽しみにしている。お天気が良ければいいのだが。

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半世紀前の懐かしのドラマ「天下御免」

今週のお題「もう一度見たいドラマ」

今からおよそ半世紀近く前になろうか、NHKで「天下御免」というドラマを放送していた。痛快斬新な時代劇で、出演者たちも生き生きと魅力的な役者さん揃い。ほんとうにもう一度見たい!けれどそれは叶わぬ願いと知っているから、なおのこと懐かしい。ビデオ録画が残っていないのだから、ドラマ史を振り返るという枠での再放送もありえないのだ。当時はビデオ録画が大変高価だったらしく、普通のドラマの録画はしなかったのだろう。NHKアーカイブスに一部残っているが、それは主演の山口崇さんが個人的に録画していたのを寄贈したものらしい。出演者は、山口崇、林隆三、津坂匡章、中野良子、ハナ肇など錚々たるメンバー。一年ものだから、エピソードによって当時の人気俳優さんたちもいろいろ出てきたような気がする。若かりし頃の山口崇さん、林隆三さんは爽やかでとても素敵だった。10代の私は毎週見るのを楽しみにしていて、言ってみれば一週間のハイライトのひとつだった。物語は、江戸時代中頃に活躍した、ある意味で変人のような天才平賀源内を主役として繰り広げられる。脚本は早坂暁で毎回切れ味がよく、またユーモアと人情味のあるストーリー展開だったように記憶している。時代劇でありながら、70年代の日本の世相とリンクさせた筋書きで進んでいく。そこがまた新しく面白いところだった。ほんとに面白いドラマで、映画のように残っていないのがつくづく残念だ。