スイス山里COSMOSNOMADO

アルプスの山を眺め空を見上げながら心に映る風景を綴ります

ドラマ「新聞記者」を見て思ったこと

今週のお題「現時点での今年の漢字」

1月も終わりに近い。冬至からひと月以上経って、徐々に日が長くなっていくのが嬉しい。これからまたひと月もすれば、だんだんと春の足音が聞こえてくる。そう思っただけで、ふっと沈丁花の花の香をかいだような気がした。

さて今週は、今年の漢字のお題である。年末に一年を振り返って、今年を漢字一文字で表せば何ですか、というコンテストがあるらしい。だが、これは年頭にあたっての質問である。つまり、今年への希望というか、抱負ということだろう。抱負というのは、たいてい自分自身がやりたいことを指すわけだが、いくつかあって一文字に収まりきらない。一文字とは書いてないが、「今年の漢字」と言われれば、どうも一文字の方がしっくりくる。それではと、今年への希望の方で探してみることにしよう。何だろうと考えた時、最近見たネットフリックスの「新聞記者」が思い浮かんで、「誠」という漢字がふっと降りてきた。

久しぶりに米倉涼子さんを見た。海外にいると、日本の芸能情報には疎くなる。 JSTV に加入していたり、あるいは、今は日本のテレビが見られるアプリもあるようだが、私はやっていないので。主演の綾野剛さんのことも、若手の横浜流星さんのことも知らなかった。吉岡秀隆さんは昔から子役で出ていたし、寅さん映画の甥の役で有名である。寺島しのぶさんや佐野史郎さんなどの演技派も出演する見ごたえのあるドラマだった。ネットフリックスでは、日本は韓国ドラマに押され気味の感があったので、このような質の高い社会派ドラマが全世界配信されるのはちょっと嬉しい。

まずは、ドラマの内容を簡単に見てみよう。ある学園への国有地破格の払い下げに総理夫妻が関与する。だが、国会で野党議員にそれを追求された総理は言下に否定し、もし事実であるならば総理も議員も辞めると強弁する。そして、総理の国会答弁に整合性をもたせるために、中部理財局の記録が改ざんされる。上から公文書改ざんを命じられた理財局の職員は、責任を押し付けられて自殺に追い込まれる。彼は真面目な人柄で、国家公務員は国民に仕える仕事だと誇りを持って働いていた。それなのに公文書改ざんという不正に手を染めざるを得なくなった彼の苦悩。吉岡秀隆の演技が心に迫る。妻を演じる寺島しのぶも上手い。この事件の真相を追求する東都新聞の女性記者を演じるのが米倉涼子。そして、亡くなった職員の義理の甥を演じるのが横浜流星。新聞配達のアルバイトをしている大学生の彼は、政治は自分とは遠い世界のことだと思っていた。しかし、伯父の死をきっかけにして、自分たちは政治から目を背けてはいけないのだと気づく。やがて、真実を追求し伝えようとする、米倉扮する女性記者の揺るぎない姿勢に尊敬の念を抱くようになり、自分も新聞記者を志す。一方、総理夫人の秘書として、財務省に国有地払い下げの大幅値引きの中継ぎをした官僚は、身を隠すために内閣情報調査室に配属される。それを演じるのが綾野剛。そこでは、SNSなどを使って情報操作もされていた。職務と良心の板挟みとなって苦しむ彼。話は展開していき、亡くなった職員の妻は、夫が残した手記をもとに法廷で真実を明らかにしようと決意する。

毎回、エンドクレジットにはフィクションである旨が表示されるが、数年前に起こった森友学園事件を彷彿とさせるドラマである。誰が不正値引きの本当の黒幕で、誰が公文書改ざんの本当の責任者なのかが曖昧にされたまま幕引きされた未解決事件だ。一連の経緯を見ていると、国の対応には「誠」のかけらもない。夫が死に追いやられたその真相が知りたいという、残された夫人の切なる思いも踏みにじられた。赤木夫人が真実を知るために起こした訴訟は、意外にも被告側があっさりと「認諾」する形で終わりになる。裁判が続けば証人喚問が行われるから、ある人たちをよほど証人として立たせたくなかったのだろうと、一連の報道を見ていると、そう勘ぐられても仕方のない幕引きの模様だ。その対応には、まったく「誠」の欠片も見つからない。

よく、政治なんてそんなもの、と知ったふうに斜めに構えて言う人もいるが、ほんとうにそれでいいのだろうか。私たちは、人の間で生きている。それが「人間」だ。日本語って、言い得て妙だと思う。人間は生を受けて以来、社会の中で生きていかざるを得ない。社会にはいろいろな人たちが暮らしている。生来の気質も違えば、育った環境も様々だ。そんな人間の集団がうまく機能していくための一つの政治形態が、民主主義だろう。誰かが言っていた「民主主義は他者と共に生きる知恵」という言葉が頭をよぎる。みんなで共に生きるためには、お互いの信頼が大切だ。だからこそ、昔から子供たちは、嘘をついてはいけません、約束は守りなさい、と教えられてきた。それは、「誠」を大事にして社会を存続させる、代々受け継がれた知恵であろう。

人と人の間に「誠」がなくなってしまったら、社会は機能しなくなる。「誠」という字を、手持ちの漢和辞典で引いてみる。解字の項には、こう書いてある。「形成文字。ことばと心が一致して違わない、言行が一致する意。」意味の項は「1.まこと。(ア)まごころ。偽りのない心(イ)真実。 2.まことに。まったく。実に。 3.まことにする。まことを実現する。 4.つつしむ(敬)。

そんな基本的なことが蔑ろにされる社会に未来はない。何事も信用で成り立っているのだから、そこがいい加減な社会は混乱に陥ってしまう。とりわけ、国の舵取りを任されている政治家にこそ、「誠」を大事にしてほしい。政治が社会を左右するからだ。

いろいろ考えさせられるだけでなく、「新聞記者」は、役者さんの表情や動きを捉えるカメラアングルなど、映像作品としてもなかなか良かった。

 

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私の手帳 − 予定と記録

今週のお題「手帳」

毎年、年末になると翌年の手帳を探しに街に出る。愛用の手帳が見つからない時は、何軒かの文房具屋さん巡りになる。だが、その店にないだけでなく、製造元が規格そのものを変えてしまっていることもある。そんな時はがっかりだ。長年使ってきた手帳には愛着もあるし、勝手知ったるなんとかで、使いやすい。しかたないが、また新たに使い勝手のいいものを探すしかない。

私は毎年2冊の手帳を求める。一冊は予定を書き入れるための薄いもの、もう一冊は記録するためのもの。こちらはちょっと厚いが、サイズはせいぜい葉書大だ。以前は一冊の手帳に両方を書いていた。たいていの手帳は、最初がカレンダー仕様になっていて、そこに日々の予定が書けるようになっているからだ。しかし、昔バックを盗まれて、中に入れていた手帳もなくなってしまってからは、予定帳と日誌用は分けるようにした。予定帳は持ち歩きが必要だが、日誌用は家に置いておけばいい。日々の記録を付けるようになってからどのくらいになるだろう。

いわゆる日記は、中学生の時から書いている。これは、ノートに思いを書き留めるもので、毎日の記録ではない。今思えば、悩み多き若かりし頃は、セルフカウンセリングの役割を果たしていたのかもしれない。大学ノートにいろいろと書きつけていた。書くことで、自然と頭や気持ちの整理をつけることができた。その習慣は、今も続いている。

それはさておき、手帳の話だった。あれは、チューリッヒのバーンホーフ通りの土産物屋の店先でのこと。バギーの取っ手部分にいろいろな物を入れた布製のバッグを掛けていた。日本の家族の案内をしていたのだが、ちょっと相談されてほんの一瞬バギーから手を離したすきに盗まれてしまった。観光客だと思って狙っていたのだろう。あの後しばらくは諦めきれずに、何らかの形で出てこないものかと奇跡?を祈ったものだ。ただ、幸いにも夏のことだったので、失われた記録はおよそ半年余り。それで、記憶にたよって別の手帳におおよその思い出せることを書き出した。しかし、子供の日々の「めい言」や体調も、コーナーを作って書き留めておいたので、それは痛かった。2、3歳の頃だ。それに、ちょうどその年は仕事でもいろいろあって、それも書いておいたので、その記録が失われてしまったのも残念だった。たしかにその若い時は。「その若い時は」と言うのは、年を重ねると、いずれはすべて風化するものだと悟るから。有名人の場合は、伝記作家にとっては貴重な資料となるものだが、一般人は、死ねば記録の手帳もやがてはゴミとなる運命だ。あるいは、老前整理、いや、まだまだ何か役にたつかもと、老後の整理で自分の手で廃棄することになるか。

しかし、である。日々の出来事を書き留めておくのは、本人にとっては何かの時に便利なものだ。記憶というのは薄れていくから、あの時何をしたっけ、どこに行ったっけなどと、必要があって昔の出来事を探し出すのに役にたつ。また、同じ人をもてなす時の献立にも気を配れるし。プロテスタントの洗礼を受けた子供たちは16歳で教会ゲマインデの仲間入りをする。その時の式で、それぞれの親たちが我が子に何か贈ることになった。私たちが贈ったのは「息子語録」。それは、16年の間手帳に書いておいたものをピックアップして、それにふさわしい写真を添えて作ったものである。子供は本当に、面白いことや賢いことを言う。作業をしながら思い出が蘇って、楽しい時間だった。これも、記録のおかげだ。

大学は史学科で勉強したが、過去を記憶し留めておきたいのは性分なのかもしれない。しかし、よく、「歴史に学べ」と言うではないか。「今がすべて」にしても、常に連続した「今」があり、それが過去になるわけなのだから。

お正月も過ぎて思うこと

2022年も通常モードに入った。日本からの年賀状なども配達が落ち着いたころだ。最近は、コロナのせいか少し遅れ気味の感もある。

新聞に目を通しても、コロナ感染についての記事が多い。オミクロン株は感染力が強いというので、警戒されている。だが、重症化は少ないと言われている。特に、ワクチンのブースター接種をしている人たちは、感染しても症状が軽いということだ。このコロナが社会に与えた影響は計りしれない。もう2年になる。パンデミックは、病理学的な問題にとどまらず、社会に大きな打撃を与える。経済活動への影響も非常に大きい。スイスはまだ保障があるので、何とかいけているが、日本はどうなのだろうか。長年のスイス暮らしの後に、事情があっての決断で日本へ帰った友人は、スイスは社会保障がしっかりしている国だったのだなあと思った、と言っていた。こちらに来た頃は、私は、日本は階層差のあまりない、貧富の差の大きくない国だと思っていた。バブル前のことである。

日本の年末年始のニュースを見ると、生活困窮者もずいぶんと増えているようだ。年末年始に、市民グループなどが困っている人向けに炊き出しをしているそうだが、長い列ができているという。ホームレスの人たちだけではなく、子供たちに満足に食べさせられらなくなった若い母親の姿も見られるという。この20数年で進んだ雇用の不安定さが、ギリギリのところでやってきた人たちの足元を掬ったのだろう。

前回のブログで書いたように、これは未来を考えるための昔の話になるわけだが、1990年代から、日本は徐々に変わっていった。そして、決定打は2001年の小泉政権の登場だろう。日本をいわゆる「一億総中流」社会から階層社会へと変えていった小泉竹中構造改革の功罪。「勝ち組負け組」「自己責任」などという言葉がよく聞かれるようになった。当時、建前にせよ「みんなで助け合って社会を良くしていこう」という雰囲気の日本から、こちらの個人主義の社会に来て、ちょっとしたカルチャーショックを受けた私にとっては、これまた、逆のカルチャーショックだった。へえ、あの日本が、と。国民の財産だった郵政事業も民営化、というかプライベート化の方向へ向かった。あの頃叫ばれていた「改革」にどうも納得がいかなくて、 当時作った演歌風の歌がある。

「居酒屋母さん」

1.街が茜に 染まる頃

  今日も駅前 暖簾をかける

  店を開いてもう10年ね

  ガラス戸開けた顔見れば

  お客の気持ち わかるようになった

 

  元気ないわね どうしたの 

  この一杯はあたしの奢り

  冷えた身体をまず暖めて

  演歌歌って泣くもよし

  あたしでよけりゃ 話すもいいさ

 

2.改革ばやり 今の世は

  情け切り捨て ただ急ぎ足

  ここでは時計外していいさ

  変えちゃいけないこともある

  大事なものに 時間などないよ

 

  勝負じゃないんだ 人生は

  勝った負けたは虚しいだけさ

  心の声に耳傾けて

  燃えて生きたいこの命

  そんな思いが グラスに揺れる

 

3.そろそろ街は 眠り色

  今日もありがと 茶碗を洗う

  こんなちっちゃな居酒屋だけど

  鎧預けに来てくれる

  みんなの気持ちが 私の灯り

 

小泉政権誕生の2001年に生まれた人たちが、二十歳も超えてこれから社会に出て行く。この人たちは、今は民営になっている国民のためのサービスが、以前は公営だったことを、身を持っては知らない若者たちだ。公務員も非正規雇用が増えてきたと聞く。公務員の仕事は公共のサービスだから、利潤追求とは関わりないところで存在しなければならないものだ。安定雇用が前提の仕事だと思う。また、貧しい人は自己責任だと考える若者もいるかもしれない。だから自分は頑張らなければ、と。努力することはいい。けれども、個人でできることは知れている。社会の仕組みが個人をサポートするようになっていなければ、必ず行き詰まるだろう。社会には、様々な人たちが共存している。能力的にも様々で、トータルに補い合っているのが持続可能な社会ではないだろうか。これから社会を支えていく若者たちに希望を見たい。いろいろあるが、やはり、一年の初めには「希望」という言葉がふさわしい。

 

 

  

 

新年のご挨拶

新年おめでとうございます。

ブログを始めて、およそ一年になります。折々の随想を載せるエッセイブログとして、1週間から10日に一度の更新を目安に続けてきました。以前「2021私のオンライン元年」に書いたように、コンピューター到来の前に社会に出て、人生の円熟期にIT革命に遭遇しました。言ってみれば、人生の秋を迎える頃、新しい時代に投げ込まれた世代です。デジタルとアナログ、両方の時代の雰囲気を身を持って知っている最後の世代なのかもしれません。昔のことを知りたいというある若者の言に意を強くして、今年は「未来につながる昔の話」も伝えていきたいと考えています。知られざるブログですが、読んでくださる方にお礼を申し上げ、これからも細々と継続していく所存です。本年もよろしくお願い申し上げます。

こちらの山里は、大晦日はちょうど晴天で、夜は満天の星でした。ちょうど年越しの頃には、オリオンが高く昇り、ベテルギウスとシリウスとプロキオンが形作る冬の大三角が煌めいていました。オリオンの左肩を伸ばせば、アルデバランにつながり、その先はプレアデス星団、つまり昴です。寒いので、あまり長くは外にいられませんでしたが、新しい年が始まる時に悠久の時空に思いを馳せることができました。

昨年も、世界中がコロナに明け暮れました。年末から、ヨーロッパではオミクロン株の感染が広がり、まだまだ先行き不透明です。いつになったら収束するのでしょうか。コロナだけではなく、私たちは今年もいろいろな問題に直面することでしょう。この大きな変容の時代に、希望を捨てずに生きていきたいと思います。いろいろな建築物も、初めは建築家の頭の中にあるものです。そう考えると、アイデアや思いが私たちの世界を作っていくとも言えるでしょう。「くじけないで」という、100歳の柴田トヨさんの詩集がありました。年頭にあたって、あらためてその言葉を噛み締めたいと思います。

みなさまにとって、2022年が良き年となりますようお祈りいたします。

 

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おせち料理から、いろいろ考えてみたこと

独立した子供が、お正月料理をこちらの友達に一度紹介してみたいと言う。我が家でもお雑煮は毎年作っているが、その他は食材も限られているし、いわゆる伝統的なおせち料理ではなくて自己流アレンジ。でも、この機会に少しは本格的なものに近いのを作ってみようかという気になった。お料理が好きなお友だちに相談して、食材購入などのヒントをもらった。そんなこんなで、おせち料理について考えているところである。

今日はクリスマス。こちらに住んでいると、お正月よりもクリスマスに重点がおかれるようになる。欧米では、何と言ってもクリスマスが一年で一番大きな行事だ。コロナとは言え、やはり人々にとっては、家族で集いお祝いする大切なイベントである。みんなクリスマス前は、クッキーを焼いたりプレゼントの準備をしたりなどで忙しそうだ。学校もクリスマス休暇に入り、子供に合わせて休みを取る人も多い。クリスマスが終わっても祭日の気分は続くが、31日の年越しをシャンペンで祝えば、1月1日はゆっくりする日で、日本のようなお正月の雰囲気はない。そして、3日からは仕事が始まる。特に今年は、クリスマスとその翌日の聖ステファノの日がちょうど土日に重なり、お正月1日、2日も土日になっている。祝日が週末と重なっている年は、勤め人にはあまり得した感はないかもしれない。

日本では、やはりお正月が一番の年中行事だ。私が子供の頃は、お正月にはほとんどのお店が閉まり、東京の街も静かになったものだ。故郷に帰省する人が多かったのだろう。お正月は三が日、お雑煮とおせち料理を食べた。全部大晦日までに準備し終わって、主婦たちにとっては、この三日間は台所仕事から解放される日なのだ。女性たちは、お正月は着物を着る人が多かった。ウチでは父親も着物を来ていた。そういえば、お正月にかぎらず、父は仕事から帰ってくると必ず着物に着替えていたものだ。まるで小津安二郎の映画のようだ。まだまだ昔からの習慣が続いていた時代だった。今から振り返ると、子供たちの生活もけっこう長閑なものだった。そろばんや習字の塾はあったが、学習塾などは一般的ではなかったし、宿題が終われば、小学生たちは外で遊んでいた。1964年に東京オリンピック、1970年に大阪万博があった。その頃から社会の様子もだんだん変わってきたように思う。私の印象では、1970年代の中頃から子供たちの世界にもコマーシャリズムの波が押し寄せてきたような感じがする。

戦後の日本は、アメリカの大きな影響を受けてきた。食生活においてもそうだ。学校給食が始まったが、それは、米と野菜を中心とした日本の伝統的な食事ではなくて、パン食に脱脂粉乳が中心だった。米食よりも、パン食に肉の方が栄養的に優れているなどと、欧米風の食生活が持ち上げられた。今から考えれば、まったく事実に反することだが、実は、これはアメリカの食料戦略でもあったらしい。しだいに、日本人の米の消費量は減っていった。基本としてご飯に味噌汁が当たり前だった日本人の食卓も変化していった。外食産業のアメリカ化に目を向ければ、マクドナルドの日本第1号店ができたのは、今からちょうど50年前の1971年だという。ハンバーガーとコーラが、若者たちに浸透していく。そして、ケンタッキーフライドチキンやミスタードーナツなどの店舗も次々と開店していった。

残念なのは、長い間続けられた減反政策だ。農家は美味しいお米を作るために工夫を凝らし、生産高も上がっていたらしいが、米の生産を減らす政策が取られた。米の消費が減ったからだろうか。だが、これは間違っている。瑞穂の国とも呼ばれる日本が、短絡的に水田を減らす政策をとってどうするのか、と思う。一度荒れてしまった田んぼは、なかなか元に戻らないという。米は、日本文化の中で中心的な役割を果たしている。神道においてもその存在感は大きい。今も、天皇には神道の最高神主として、象徴的な稲作作業の伝統がある。だが、車窓から見える風景は変わっていった。昔は、東北に向かう列車に乗って大宮を過ぎれば、田んぼの景色が広がったものだが、日本の高度成長とともに、徐々に消えていった。

今の日本には、食べ物が溢れているように見える。デパートの地下食料品売り場に行くと、目が眩むようだ。お正月を控え、コンビニでもおせち料理を買うことができるそうだ。お友だちが豪華なおせちの写真を見せてくれた。便利になったものだ。日本にはたくさん美味しいものがあると、こちらの人にも日本食は人気である。海の幸と山の幸を様々に使った料理の数々に魅了される人は多い。日本人の友だちや知り合いにとっても、日本に帰る楽しみの一つは食べ物のようだ。私もそうなのだが、でも、こんなにたくさんの食材はどこから来ているのだろうと考えることがある。

日本の食料自給率は38パーセントだという。ということは、何かの事情で輸入ができなくなったら大変なことになるわけだ。政治家はよく国防の話をするが、国防と言うなら、食糧自給を促す政策を取ることが最大の防衛ではないだろうか。工業製品や他の製品の輸出が盛んでも、それでは食べてはいけない。ましてや、世界的な気候変動で食糧生産への影響が懸念されている今、自国内で何とか食べていけるかどうかが、一番重要な問題になる。どの国も、食糧危機になれば自国が優先だ。食糧は、生物が生きていく上での基本の基だ。国防と言うなら、常に非常の際の対策を考えていなければならないはずだ。米英独仏は農業国でもある。日本だって、政策次第ではそうなれたと思う。だが、戦後の歩みは違ってしまった。スイスも食料自給率は高くない。しかし、他国と地続きだし、外交手腕にも長けている。日本は島国だから、航空海路を絶たれれば、食糧は入って来なくなるだろう。補給を絶たれた、孤立した船舶のようなものだ。遠くから故郷の味を懐かしく思うと同時に、心配にもなる。

まもなく、また新しい年がやってくる。コロナの問題や気候変動の問題、2022年は、どんな年になるだろうか。

 

時間は逆戻りするのか

今週のお題「忘れたいこと」

最近、「時間は逆戻りするのか」(高水裕一)という刺激的な題名の本を読んだ。ブルーバックスなので、科学的アプローチの本である。今週のお題を見て、まずはこの本のことが頭に浮かんだのだ。「ホーキング最後の弟子」が究極の問いに答えるという謳い文句で、「宇宙から量子まで、可能性のすべて」という副題が付けられている。「はじめに」で、著者は「あのとき、ああしていればどうだったかなあ」と、自分がやらなかったことに後悔することはないかと問う。そして、著者個人としては、何かをやらずに後悔するよりも、やるだけやって後悔した方が、人生が豊かになる確率は高い気がすると書いている。時間は、過去から未来へと一方向に流れる。少なくとも、我々の常識ではそうである。その流れは過去から未来へであって、未来から過去へではない。しかし、果たしてその一方向だけなのか。そんな時間の謎を、相対性理論や量子力学の視点から探る興味深い本だった。以前読んだ、現代イタリアの物理学者カルロ・ロヴェッリの「時間は存在しない」も面白かった。私にとっては、いや、すべての人にとって、時間は永遠の謎であり、尽きぬ興味の源だろう。

ゲーテの「ファウスト」の中に「時よ止まれ、おまえは美しい」という有名な言葉がある。あまりに素晴らしい瞬間に、時間は止まってくれるのか。いや、時間はいかなるときも容赦なく過ぎていくのだ。この瞬間を心に留めておこう、と思っても時は過ぎゆきすべては忘却の彼方に消えていく。私は写真が好きだが、それは、流れる時の一瞬を切り取って留めてくれるからだ。10代の頃に、図書館で「パリの街角」(たぶんそういう題名だったと思う)という写真集を見つけて、とても気に入った。おそらく1950年代のパリだろう。カフェに座って談笑する人々や、若い女性のクローズアップ、恋人たちと思しき二人連れの笑顔。街の一角にある八百屋さん、パン屋さん。あの時生きていた人たちが、ここに永遠に留められている。私が生まれる前に、その時代を生きて生活していた人たち。とても愛おしく思った。以来、人々の時を留めた写真集を見るのが好きである。

誰しも、留めておきたい瞬間を持っていると思うし、また逆に、忘れてしまいたい、できたら消しゴムで消してしまいたい過去もあるだろう。ああ、あの瞬間をもう一度やり直せたら、と思うこともあるだろう。そんな時、時間が戻ったらどんなにいいかと思ったりするかもしれない。私にも、あの時点に戻ってやり直せたらと思うこともなくはない。ただ、年の功なのか、事実は変わらないのだが、そう思うことは少なくなった。運命論者ではないが、自分の人生に起こったことや起こらなかったことを受け入れられるようになったというか。時間を遡らずに過去を変えることはできるのか。「神」の領域に属することに関しては、今のところは無理だ。ただ、限られた領域であるならば、過去を変えることはできるかもしれない。違う角度から観てみることによって、過去は変わりうる。これからも生きていく以上、後悔するだけではこれから流れていく時間が無駄になるだけだ。今ここから始めるしかない。エディット・ピアフに「わたしは後悔しない」という歌がある。数年前に仲間のコンサートで歌った時に、日本語に超意訳をしてみた。

 もう いいの、もう 過ぎたことは

 今が すべて ここが 始まりなの

 そう いいのよ 過ぎた日々は

 時の 背中に みんな 預けてきた

この「時の背中にみんな預けてきた」の下りは、ずいぶん考えた。過ぎ去ったことへの思いを込めた、原詞にはない創作だ。時間が今のところ一方向にしか流れず、私たちが物理的にその流れを遡れないのなら、想念で逆方向に時間を進めて過去に遭遇し、決着をつけてこちらに戻って、今を生きるしかないのだろうと思う。まだ、コンサートで「マイウェイ」を歌う心境ではないが、いつの日かその時が来るだろうか。

音楽好き仲間のコンサート

今週のお題「最近あったちょっといいこと」

このところ所用があって、ブログも少し間が空いてしまった。はてなブログの今週のお題を見ると「最近あったちょっといいこと」となっている。さて、何かいいことあったかな、とちょっと振り返ってみた。はてさて、いいこと?あった、かもしれない。先日、コンサートで仲間たちと一緒に楽しい時間を過ごした。いや、これはたしかに「最近あったちょっといいこと」である。

日本人の音楽好きの仲間で、夏冬と年2回、内輪のコンサートを開いている。ピアノもあれば、フルートやバイオリン、ギターもあるし、歌での参加もある。演奏は、ソロだったり仲間と一緒だったり。言ってみれば、プロ・アマ問わない音楽倶楽部で、入会の条件は音楽が好きなこと。もうかれこれ10年以上の歴史を持ち、みんなコンサートを励みに切磋琢磨している。私は、たいていシャンソンだったりバラードだったり、あるいは、何回かは自作の歌を歌ったりもしているのだが、今回の披露曲のひとつとして、You Raise Me Up に挑戦してみた。曲想が繰り返しであるだけに、表現力が要求される。もとが外国語の歌でも、自分の心情を込めて歌うには、私には日本語が一番ぴったりくる。それで、その歌に日本語訳があれば日本語で歌うし、訳がなかったり、あまりピンと来なければ、自分で意訳して歌うことにしている。その作業が、これまたなかなか楽しいのだ。日本語の場合は、たいてい一つの音符にひらがな一音乗せることになるので、原詞と照らし合わせて工夫しないといけない。ああでもない、こうでもないと、頭を捻りながら言葉を音に乗せていくのが楽しい。今回は、超意訳というか、ほぼ作詞になった。

 

流れる砂に足すくわれ、暗闇に落ちていく。諦めに目を閉じれば、瞼に淡い光。

あなたは手を差し伸べて、私を引き上げてくれる。輝く光の中で内なる力目覚める。

あなたの温もり肩に、わたしはひとりじゃない。あなたは教えてくれる、お前は強くなれると。

あなたは手を差し伸べて、わたしを目覚めさせる。高い山も登ってゆける、荒海も超えてゆける。

あなたは手を差し伸べて、星へとさえ誘う。あなたを信じながら、翼を羽ばたかせて。

You raise me up, to more than I can be...

 

ほぼ自分なりの解釈なのだが、歌いながら力が湧いてきた。これは、いいこと、である。また、コンサートには、ビフォーとアフターの楽しみがあるのだ。自分で練習するのはもちろんだが、ピアノ伴奏をしてくれる仲間の家を訪ねて、合わせの後に飲む一杯の美味しさ。また、コンサートの後の仲間とのお疲れさまの乾杯の楽しさ。だから、今週は「いいこと」がありました。