スイス山里COSMOSNOMADO

紅葉世代の異文化通信

モヤモヤ感とスッキリ感

今週のお題「スッキリ!」

ギターで伴奏できる曲が少しづつ増えてきた。音域に合わせるために、カポタストを付ける曲もあるが、私のギターは小振りなので、できれば付けない方が弾きやすい。カポ無しでもなんとか歌えて難しくはないのだが、どういう表現ができるのか練習している曲がある。それは、サトー・ハチロー作詞、加藤和彦作曲の「悲しくてやりきれない」である。今の世界や日本の状況を見ているとあまりにも理不尽で、スッキリした気持ちになるのはむずかしい。だが、逆療法と言うか、演奏することで、内に籠ったモヤモヤを音楽に預けて発散する効果がある。悲しい歌は、たいていそうかもしれない。さて、3番まで該当する部分を書いてみよう。

1番「悲しくて悲しくてとてもやりきれない。このやるせないモヤモヤを誰かに告げようか」2番「悲しくて悲しくてとてもやりきれない。このかぎりない虚しさの救いはなんだろうか」3番「悲しくて悲しくてとてもやりきれない。このもえたぎる苦しさは明日も続くのか」

不条理、理不尽が罷り通る世の中である。こんな世界でも、スイスは国としてまだよく機能していると思う。問題は多々あるが、制度が整っていて政治家はそれを守っているからだ。だが、今のアメリカの様子は目を覆うばかりだ。そして、世界的な混乱を引き起こしているそのトランプに、日本の首相はわざわざこの時期に会いに行った。それも、今まで仲良くしながらも、イランの件では毅然として一線を引いたイタリアのメローニ首相とは正反対の振る舞いで。孤立を深めるトランプに、飛んで火に入る夏の虫、とはこのことだろう。写真と動画を見たが、あの一連の態度はいかがなものだろう。結果がどうこうよりも、何よりもあの媚びた振る舞いが情けない。驚いたのは、最初の挨拶が、あの抱き付き方だ。西欧社会に長く住んでいるが、ああいうスキンシップは、離れ離れになっていた家族の再会や恋人たち以外では見たことがない。そして、あの手の組み方や繋ぎ方や目付きは、なんというか、媚を売る仕事をしている人のようだった。首相の振る舞いとして恥ずかしすぎる。卑しくも一国を代表している人間のものではない。さらに驚愕したのは、トランプのバイデン元大統領への嫌がらせ写真の前で可笑がるあの態度。彼女は外交をなんと心得ているのか。いや、それ以前に、軽すぎる人間性と品性のなさが露呈してしまった。我々在留邦人は、ネガティブな意味で「日本人は」と言われないように振る舞っている。あの女性の態度が、日本人を、日本人女性を代表するものだとは思われたくない。まあ、こちらでも常識ある人々ならそうは思わないはずだが。日本の人々に問いたい。あの人が首相でいいのですか、と。政治信条以前の問題である。何とかしないと、日本人が戦後築き上げてきた良いイメージが損なわれる。

だが、日本には、その対極にある女性もいる。上で言及した女性よりも、ずっとずっと若い方だ。その方を見ることで、このモヤモヤが晴れて、少しスッキリした気持ちになる。それは、敬宮愛子殿下。この内親王殿下の立ち居振る舞いには、内側から滲み出る品格がある。まだお若いのに、最近はますます風格が増している。親しみやすさがあって、笑顔も可愛らしいのに、そこには何とも言えない品位が感じられる。そして、時折見せる真剣な眼差し。実は、愛子内親王のラオス訪問動画の数々を観てから、そのお人柄に魅了されてしまった。先のシニア女性の場合がそうであったように、動画は嘘をつけない。他者への気遣い、その誠実さ、その品格が、自然と立ち居振る舞いに現れている。愛子内親王が中学の修学旅行の後に書いた感想文を読んだ。平和への強い思いが綴られている。原爆で亡くなった人々の苦しみに心を寄せ、平和の大切さと、そのためには自らも貢献していこうとする決意が読み取れる。激痩せされた時期があったが、思えば、ちょうどこの頃と重なる。愛子内親王の今の輝きは、自らの存在と役割にとことん悩み苦しみ、それでも逃げずに向き合って生きる決意をした人間だけが持つものだと推察する。言葉ではなく自ら実行する決意。それが、日本赤十字社への就職にも表れているのではないか。

このように、人間性において対照的な二人の女性が、今の日本のトップにいる。一人は首相として、もう一人は皇女として。一人は過去の残像であり、もう一人は未来の希望を象徴している。年齢の問題ではない。これからの日本と世界を担う姿勢において、これほど対照的な女性がいるだろうか。このまま争いの世界が続いていけば、前にも書いたように、人類は「風の谷のナウシカ」の地球に生きることになるだろう。一人は、日本初の女性首相だということで期待されながら、その品位と誠意に欠ける言動にはモヤモヤ感が増すばかりだ。一方の若い女性には、日本国民及び日本国の象徴としての立場を担いうる品格と誠実な人間性があり、澱んだ空気をどこかスッキリさせる清涼感が溢れている。

 

「風の谷のナウシカ」上映会

今週のお題「準備していること」

cosmosnomado画

活動に携わっている文化交流団体では、年に2回映画会をしている。この春は、宮崎駿監督の「風の谷のナウシカ」を上映する予定で準備を進めている。1984年の作品で、もうかれこれ40年以上前のアニメ映画ではあるけれど、テーマは少しも色褪せていない。いや、かえって今こそ、皆で一緒に観て考えてみたい作品である。「風の谷のナウシカ」は、こちらでも過去に何回も上映されているし、ビデオも出回っている。特にアニメファンには親しみがあるわけだが、この映画は、アニメの枠を超えて、ファンでない人たちにも幅広く観てもらいたい作品だ。この作品が扱っているテーマは、戦争と環境破壊、人類の生き方への問いかけである。去年の12月には、原作漫画のドイツ語新版が出たということが、ラジオで報道されていた。古い作品だが、まさに現代的なテーマであるとの論評だった。宮崎駿は、アニメ界の巨匠として世界的に知られている。その絵と表現の腕はもちろんだが、彼の作品には、それ以上のもの、常に人類存続への問いかけと深い思索がある、と私は思う。

「風の谷のナウシカ」の舞台は、『火の七日間』と呼ばれる最終戦争1000年後の地球である。巨神兵なる兵器が世界を焼き尽くし文明を滅ぼした。たぶん、核と超近代兵器を使った壮絶な戦争だったのだろう。地球は有毒物質に汚染され、生命環境は徹底的に破壊された。そして、長い年月をかけて、今は腐海と呼ばれる巨大菌類の森が広がっている。腐海の菌類は、地上の有毒物質を自分の中に取り込み、結果的には有毒物質を浄化している。人類は汚染の少ない地域に集落というか国を作って暮らしていて、ナウシカは風の谷にある小さな王国のプリンセスである。勇敢で賢い上に心やさしく、民の敬愛を一身に集めている姫君だ。この風の谷は、風の流れと地形によって守られ、人々は農業中心の中世的な生活をしている。だが、谷を一歩出れば、毒を自身に濃縮している腐海が発する障気から身を守るために、防毒マスクを付けなければならない。小さな集落の人々は、長老のような王のもとで平和に暮らしていた。そして、ナウシカは王の一人娘で、正統な継承者として、病弱な父王に代わって実質的なリーダーの役割を果たしている。文武両道に優れ、腐海の研究にも精を出す知性的な若い姫だ。

風の谷だけでなく、他にも生き残った人類が、住める場所に集団で暮らしているのだが、戦争で人類が滅びたというのに、いまだに争いは続いていて、大国は小国を攻めて自分のものにしようとしている。やがて、トルメキアという大国が風の谷を争いに巻き込んでいく。トルメキアのプリンセスは、冷徹で野心的な軍事指導者で戦争推進者、ナウシカとは正反対の属性を持っている。物語には、もう一つの国も絡んできて話は展開していく。ここでは詳細には触れないが、ラストシーンは圧巻である。久石譲の美しい音楽と相まって、感動的で壮大な一大叙事詩だ。

もし、今の世界がこのまま行けば、この話のようにもなりかねない。人類が戦争の循環からどう抜け出していくのか。この作品にも描かれているように、あんなに荒れ果てた世界でも、トルメキアのように、自国だけの利益を追求して自分たちの覇権を拡大しようとする国がある。共に知恵を絞って生きていこうという姿勢とは反対だ。一方、風の谷のナウシカは、全く違う発想を持っている。何よりも、この賢く勇敢な姫には、生きとし生けるもの全てを、植物や動物や虫も含めて、大切に思う慈しみの心がある。これが平和と共生への鍵となるのだ。2時間かけて話が展開していくが、最後の場面は示唆的である。

さて、もう一度この作品をたくさんの人に観ていただきたい。特に、ストリーミングに慣れている若い人たちにも映画館に足を運んでもらって、上映後のアペロで参加者同士でお喋りする機会になればいい。映画を選んで上映権と映画館を確保した後は、今度は集客のための宣伝作業がある。何にせよ、一つの催し物が実現するまでには、毎回いろいろと準備があるものだ。

 

 

 

作る人、守る人、壊す者

Berg (cosmosnomado画)

中指の先が小さく割れてしまった。指先に出来た小さな傷は、けっこう痛いものだ。その上、手を洗ったり家事をしたり、手指はいつも水や物に触れるからなかなか治らない。水仕事をする時にゴム手袋をするにしても。だから、保護するために膏薬を塗って絆創膏を貼る。時には空気に当てなきゃならないから、乾かすために絆創膏を外すと、また小さく傷口が開いてしまう。こまったものだ。

指先を保護している絆創膏を見ながら、なんかありがたいなと思う。何処かにこういう物を作ってくれてる人がいるのだなあと。もちろん、手仕事で製造しているのではなかろうが、こうして役に立つものを生産してくれる会社があるわけだ。それから、綿棒もコットンも毎日使うたびに、ありがたいなと思う。普段何気なく使っている小さな日用品を作ってくれている人たち。とても大事な仕事をしている人たちだ。私たちの身の回りには、無くなってみて初めて気がつく、無くては困るものがたくさんある。食べ物はもちろんのこと、衣食住に関わる様々な物たち。

ところで日本では、食べる前に「いただきます」と言う。こちらではそれがない。その代わりに、スイスドイツ語では、"En Guete!" と言う。ただし、これは「召し上がれ」であって「いただきます」ではない。ドイツ語の "Guten Appetit!" である。日本人は、一人で食べる時も「いただきます」と言う。そして、食べた後は「ごちそうさま」で、セットになっている。この「いただきます」は、その食べ物と食卓に載るまでに関わってくれた人達への感謝の言葉である。そういう意味で、すべての物事が繋がっていて感慨深い。生産されたものが、滞りなく流通して私たちの所に届く。それが上手くいかないとどうなるかは、コロナの時期に皆実感したことだろう。島国の日本では、原発事故の時にそれを経験したはずだ。しばらくの間、海外からの飛行機が日本に飛ばなくなって、不自由したのではないか。

朝のスロージョギングに行く道筋で、よくゴミ収集車や郵便配達の小型三輪車に行き合う。ゴミの収集が止まってしまったら、数年前にナポリであったように、町にゴミが溢れて大変なことになる。また、郵便屋さんはいろいろなものを届けてくれる。みんな、人々の日常が滞りなく運ぶように、生活を守ってくれている人たちだ。また、湖沿いの小道を散歩すると、この地域の浄水場の横を通る。その度に思うのだ、こうやって上下水道を整える仕事をしてくれている人たちがいるのだなと。こういう施設を設計して運営してくれる人たちがいるのもありがたいことだ。生きている上で、たくさんのありがたいことがある。「ありがたい」は、「有り難い」と書くけれど、有ることが当たり前ではないということなのだ。だから、それが有ることには頭が下がる。

一方、すべてを壊しにかかる者たちもいる。人々が営々と築いてきた生活を破壊して苦しめながら、自分たちはのうのうと生きている。最たるものは、戦争を始める者たちだ。世界各地で紛争がある。ウクライナで、ガザで、人々の生活のすべてが壊され、命が奪われていく。そして、壊す者たちは生き延びるのだ。このあまりの理不尽に言葉がない。この者たちは、この世界の有り難さへの感性を持たない輩だ。

驚くべきことに、新しい日本の政権を見ていると、勇ましい言葉で国民を苦難の道に引きずり込もうとしているようだ。政治の場に長く居座り、いったいこの人たちは何を作り、何を守ってきたというのだろう。上っ面のパフォーマンスばかりで、自らの言動への責任感、そもそも倫理観がない。ふっと唐突に昔の歌の歌詞が頭に浮かんだ。「義理が廃ればこの世は闇さ」というもの。調べたら東海林太郎の「旅笠道中」という歌だった。「義理」を「道理」に置き換えれば、まさに今の政治状況を表していると思う。

 

ああ、日本よ「Quo vadis?」

観音 (cosmosnomado画)

夫の姪に頼まれて、"Altersstube"  という集まりで話をすることになった。シニアの集いとでも言うか、姪の住んでいる地域のシニアの方達30人から50人くらいが、月に一回何かをテーマにした催しに集まってお茶する会らしい。姪は長年そこの世話役の一人で、毎回企画に頭を悩ませていると言う。そこで、最後の頼みの綱というか、私に何か日本について話してほしいと頼まれたのだ。これには、前日談がある。家族の記念パーティーの時に、ピアフの歌 "Non, je ne regrette rien" を日本語に訳して、ドイツ語字幕付きで歌ったことがある。「ここが始まり」と題して、仲間にギター伴奏を頼んでの披露だった。ピアフの原詞は恋の歌だが、私はかなり大胆に人生の歌に意訳してしまった。それを聴いた姪がとても気に入ってくれて、彼女のやっている集まりで歌ってほしいというのだ。プロじゃないけどいいのねと確認した上で、アイデアに困っている姪を助けるつもりで引き受けた。何せ持ち時間は1時間である。プロの歌手ではないので、歌だけでは間がもたない。そこで、彼女と相談して、スイスで長年暮らす日本人女性が、日本文化と異文化相互理解、インテグレーションについて自分の体験に基づいて語るという内容になった。そこに、日本の歌やシャンソンやスイスの歌を散りばめるわけである。そして、最後に「今までいろいろあったけど後悔はない。私の道はここからまた始まる」といった内容の、姪のご所望の歌で締めるというコンセプトだ。

ただ、今ちょっと困っている。日本について、昔のように誇らしく語ることが、内心ちょっと難しくなっているのだ。今の日本の状況は、戦後コツコツと築き上げた平和国家のイメージを自ら壊しにかかっているように見える。なぜ、わざわざ「普通の国」のレベルに降りていくのだろう。人類史上唯一の被爆国、本来なら不断の努力で外交をして、世界を人間の性(暴力)から解放する高みへ向かわなければならなかったのに。日本が戦争の当事国にならないからこそ、デン・ハーグの国際司法裁判所と国際刑事裁判所でも、日本人判事である小和田氏や赤根氏が所長にもなれたのではないだろうか。また、あの平和憲法があるからこそ、アジアの国々の不信を払拭できたのだし、アラブ諸国の信頼も得てきたのではないか。どういう経緯で作られたのかはこの際棚上げだ。白黒つけないことは、時に強みになる。戦争を否定し個人の人権を尊重する憲法こそ、争いの連鎖を断ち切って、人類を生き残りへ導く灯火となる最も先進的なものではないのか。このまま行くと「風の谷のナウシカ」の世界になってしまう。

海外での日本のイメージには、ある意味「特別な国」という雰囲気があった。伝統とモダンが両立している国。平和と安寧祈念の祭祀を執り行う天皇が、国民の象徴として存在し、高層ビル工事の際にも、神主を招いて地鎮祭をしたり、国民が日常的に神社で祈りを捧げる国。それと同時に大乗仏教が人々の無意識に浸透している国。それでいながら、高度な科学技術が発達している国。そして、戦後の廃墟から急速に経済成長を成し遂げた勤勉な国民性。親切で穏やかに微笑む人々。秩序があって約束を守る信頼できる人々。少なくとも、戦後の日本のイメージが良い方向に向かっていったことは確かだろう。戦争の暗い影を少しづつ払拭して、平和国家のイメージを打ち立てていったのだ。1980年代の初頭、しばらくイギリスに住んだことがある。ある集まりで知人から紹介された初老の男性は、初め日本人の私にわだかまりがあったようだ。その人は、戦争中インドネシアにいて、日本軍によって酷い扱いをうけたらしい。その後、私個人に対しては友好的に接してくれたが、海外に出た日本人は、ある意味で国のイメージを背負っているのだと感じさせられる体験だった。

スイスでの肌感覚としては、日本人は他のアジアの国の人たちと比べてリスペクトされていた。それもやはり、上に挙げたような国のイメージがあったからだろう。何回も「イメージ」という言葉を使った。平和国家と信頼は、戦後の日本のブランドだったのだ。企業ではよく、ブランドデザインという言葉を使う。今、日本は高市政権の下でそのブランドを自ら手放そうとしている。なんともったいないことだろう。醜聞の多い欧州の王族とは対照的に、人間としての品格が滲み出る誠実な天皇を国民の象徴に戴く「特別な国」の首相が、品位のないトランプ並みに傲慢で、国民の信頼を平気で裏切りそうな人物だというのは、誠に残念なことである。そして、今この時期に憲法を変えようなどとは、長い目で見れば時代が読めていない。

だがしかしと言うか、だからこそと言うか、やっぱりこれからも、今までそうしてきたように、日本の良いブランドイメージを伝えていきたい。それが、やがて訪れる困難な時期に日本の人々のためになると信じている。そして、今度の集まりでは、自分がこの地で時代と共に歩み紡いだ物語を語ることになるだろう。さて、そろそろ具体的に内容を決めて、歌の方も伴奏との合わせ練習を始めないと、と思っている今日この頃である。

 

郷愁 – ご飯と味噌汁と日本語

今週のお題「スープ」

冬場は、何といっても暖かいスープがいい。寒い外から帰ってきてあまり料理の時間がない時など、前日の作り置きスープを夕食にして身体を温める。というか、日本の感覚ではシチューを食べてと言った方がいいだろう。グラウビュンデン地方の名物、コクのある大麦入りの野菜クリームスープだったり、グラーシュスープだったり、我が家風ウインナー入り野菜スープだったり。こちらのスーパーで手に入る固い豆腐を手で潰して入れたけんちん汁を作ることもある。

ここで言葉の定義を考えてみよう。日本語にはスープとシチューがあって、スープは「飲む」で、シチューは「食べる」と言う。ドイツ語ではいずれもSuppeで括れて、あえて区別するとしたら、シチューの方はEintopfになるかもしれない。動詞は、いずれもessen (食べる) になる。日本語で言うスープの方は前菜や副菜感があって、シチューの方は主菜感がある。

シチューといえば、小学生の時の祖母の思い出が蘇る。時々作ってくれたシチューは、言葉からして何となくモダンな感じを醸し出していた。「今日はシチューよ」と言われると、食べる前からそこはかとない異国情緒が漂った。日本の「スープ」、つまり汁物と言えば、なんといっても味噌汁である。子供の頃の毎日の食卓には欠かせないもので、朝と晩の食事にご飯と味噌汁は付き物だった。他の家、また、今の日本人の食生活はわからないけれど、当時の我が家ではそうだった。

こちらの和食レストランでも、たいていの昼定食には必ず味噌汁がついてきて、けっこう人気である。店によっては、ちょっと味の薄いのが難であるが。味噌は安くないので経費節約かもしれないけれど。とにかく面白いのは、最初に味噌汁が出てきて、たいていチレンゲがついていること。前菜のスープ感覚だ。初めて見た時は、違和感大だったが、まあ、こちらの人にはスープの容器を口に持っていくことにこそ違和感ありなのだろう。日本食は、今やスイスにもすっかり馴染んで、昔々来た時とは天と地ほどの違いだ。MigorsやCoopの一般スーパーでも、お醤油をはじめ、海苔や振り掛け、寿司の生姜や紅生姜、寿司用の米やうどんや蕎麦なども売っている。味醂もあるし、最近は味噌まで見かけて驚いた。そういう意味では、日本を離れてこちらで暮らしていても、グルメさんのように難しいことを言わなければ、日本恋しさが募ることはない。来た当時は、食べ物も含めて日本が恋しかったものだ。

故郷が恋しい気持ち、それを郷愁と言うのだろう。郷愁を誘うものはいろいろあった。食べ物もそうだし、社会に流れる空気もそうだった。生まれ育った日本にはウエットな粒子が漂っていたが、それに比べてこの土地の空気というか雰囲気はドライだった。そして何よりも、私は日本語が恋しかった。当時は、日本を離れたら日本語に触れることは滅多になかったのだ。インターネットに繋がっている今からは想像もできないことだが、短波ラジオで必死にチューニングして日本語を探したりした。けれども、一瞬は聞こえたこともあったが、山に遮られてうまくいかなかった。

ふと、エリアーデの言葉を思い出す。ミルチャ・エリアーデはルーマニア人の宗教学者で、1945年にフランスに亡命した人である。彼は、亡命後もルーマニア語に強い愛着を持ち、自分にとって言語こそが故郷であると言ったという。物理的な土地ではなく、自分が夢を見、日記を書き続ける言語としてのルーマニア語こそが自分の故郷ということを語ったそうだ。彼はもちろんフランス語も堪能だったことだろう。それでも、母語は自分の血肉となっているのだ。その気持ちが痛いほどわかる。

食べ物と言葉は文化である。日々食べるもの、日々使う言葉は、私たちの生活の基本だ。やっぱり日本人として、あったかいご飯と味噌汁は食の原点になっている。だから、こちらの食生活に合わせながらも、米と味噌は欠かせない。こちらのSuppeも好きだし作るけれども、味噌汁やけんちん汁や豚汁などを作って、ほっこりしている。

 

ギターをば友にしたいと思う初春

今週のお題「チャレンジしたいこと」

ギターを始めたことは、前にも書いた。冬眠期間を経ての再チャレンジである。今度こそは、一生の友となりそうだ。まず、毎日ちょっとでもギターに触るようにしている。こうして、すきま時間に練習とも言えない練習をしていると、やはり指が少しずつ滑らかに動くようになっていくのを実感する。気のせいか、前よりいい音が出るようになって、そうするともっと弾きたくなってくる。よし、いいループに入ったぞ、なんて自分を励まして、今年も更なるチャレンジだ。

音楽療法というものがある。どういうメソッドがあるのかはよく知らないけれど、音楽が心を癒してくれることはたしかだ。聴くのもいいが、自分で楽器を弾いてみるのは、行動的な一つの療法になるだろう。私の場合で言えば、ギターを爪弾いていると、その音色が心身の不調感を吸い取ってくれることもある。心ごと音の世界に吸い取られていくというか。体調が今ひとつの時は、自分にはマイナーコードが、かえってしっくりくる。Am、Dm、Emをいろいろなアルペジオパターンで弾いていると、心の中から何かが湧き上がってきて、メロディーになっていく。この三つでもいいのだが、何かもうひとつ加えたくなっていたところ、E7を入れてみたら少し広がりが出た。ただ、最後はAmで終わるのが腑に落ちる。コード進行のパターンというものがあって、それぞれ王道進行 (C, G, Am, F) (F, G, Em, Am)、カノン進行 (C, G, Am, Em, F, C, F, G)、50's進行 (C, Am, F, G)、循環コード (C, Am, Dm, G) など、いろいろあるようだ。ただ、心身がすぐれない時は、マイナーコード中心でまとめた方が、やはり私としては気持ち的に落ち着く。考えてみれば、心の声を音に乗せていくという作業は、けっきょく作曲に通じるのかもしれない。便利な世の中、自分の心の中の音をギターに乗せたものを吹き込んでおくのも、今年のいいチャレンジかもしれない。趣味は楽しみながらやっていくのが、長続きのコツである。

けれども、音楽活動を仕事にしている人は、苦しいことも多いだろう。楽しみだけではいかない世界だ。好きで始めたことも、仕事となるとまた違う。知り合いに、シンガーソングライターとして、歌とギターの活動をしているスイス人の若者がいる。コンサートはけっこうしているし、ラジオに彼の歌が流れていたこともあるが、その道一本で暮らしていけるようになるには、なかなか大変そうだ。暮らしのために違う仕事もしている。本当は、音楽の道だけに専念したがっていたのだが、諦めることも考えているらしい。今の時代、やりたい人、実力のある若者はたくさんいるから、最終的には運がものを言ってくる。芸能活動をしたい人間が多くなかった時代、たとえばテレビの初期などは、競争が少なかったと思う。だから、実力はまあまあでも、一度チャンスを掴めば、あとはやりながら能力を磨いていけた。ところが、今はそうはいかない。アーティストと呼ばれるようになって、社会的にも地位が上がった分だけ、なりたい若者も格段に増えた。ただ、昔と違ってSNSを通じてブレイクする可能性はある。彼もファンを増やすために、インスタに毎日アップしているが、それも手間ひまかかるものだ。いずれにせよ、一部の人間を除いて、芸能活動で生計を立てていくのは難しいことだ。

芸能活動と社会の中での位置といえば、ある親戚の男性の話を思い出す。親たちが集まった時に話していたことだ。昭和30年代、もうずいぶん昔のことである。その人はギターと歌が好きで、田舎の家を飛び出すような形でバンドのグループに入って、ナイトクラブで演奏をしていたという。あの頃は、アーティストなどという言葉はなかったし、バンドマンと呼ばれる夜の仕事は、いわゆる"カタギの仕事"とは見られていなかったらしい。けっきょく、田舎の親からキツく言われて"フツウの仕事"についたのだそうだ。胸を突かれたのは、その人が急死したあとに残っていたカセットテープの話だ。そこには、自分の演奏と歌が吹き込まれていたという。もう年月が経って、彼も中年になっていた頃だ。まるで自分が舞台に立って演奏しているかのような録音テープだったという。音楽の夢をずっと捨てきれなかったのだろう。今の時代だったら、自分でYouTubeにチャンネルを作って、発表の場とすることもできたのに。好きなことは、取り上げられてもどこかにずっと残っているものなのだ。

我々紅葉世代は、昭和のアナログ時代も経験したし、また、この令和のデジタル新時代でも、現在進行形で活動している。まだまだいろいろなチャレンジの可能性がある、と考えるのは励みになる。

 

 

スイスで映画「国宝」を観る

大晦日の路地

ようやく「国宝」がスイスでも公開された。そこで、大晦日に家族と一緒にさっそく鑑賞に。長い映画だったが、休憩も挟んだせいかそれを感じなかったし、ドイツ語字幕で家族も楽しめた。吉沢亮という俳優さんを見たのは、実はこの映画が初めてだ。人気俳優ということで、話を聞いたことはあったが。この映画を観て、上手い俳優さんだなあと思った。そして、役者としての華がある。人気が出るわけだ。

特に最後の「鷺娘」を舞うシーンの渾身の演技と美しさ、カメラマンが見せてくれた映像美には心を打たれた。映画は映像の芸術、ある場面をどういう構図で切り取ってフレームに収めるか、どういう動きをさせるかは、監督とカメラマンの腕の見せどころ。そして、それに応える役者の演技力がものを言う。そういう意味で、この映画の歌舞伎の舞台の場面は素晴らしかったと、私は感じた。歌舞伎界が舞台だから、映画には必然的に踊りのシーンが大きく占めるが、それらしく見せることが大事で(幼い頃から修行してきた本物の歌舞伎役者にかなうはずはないのだし)、それはたいへん成功していたと思う。映画の観客は、歌舞伎舞踊の演目そのものを観にきているわけではない。喜久雄と俊介が人生かけて踊る姿を観るのだ。

私は原作のことは知らないが、この映画には芸を極めようとする者の苦悩、役者の、ひいては人間の業、欲、愛憎、そして最終的には昇華が描かれているのだと感じた。また、努力によってある所までは登り詰めることはできても、一歩超えられない才能の壁があるということ。だから更なる修行をしなければならない。ところが、才能に恵まれた者は、それが苦ではない。自分の持って生まれた内からの何かが、修行を促す。しなければならないではなくて、したいのだ。歌舞伎は代々血筋で受け継がれていくもので、例外的に養子もあるが、この映画には、家を受け継ぐ宿命の者が抱える苦悩、才能があっても簡単には継ぐことのできない者の苦悩が共に描かれていたと思う。その家に生まれた以上、横浜流星扮する御曹司の俊介は、襲名するのが決まっている。けれども、事故にあった父親が自分の代役として選んだのは、吉沢亮の喜久雄だった。俊介は複雑な思いを抱えながらも、楽屋で緊張に震える喜久雄を励ます。だが、その彼が舞台で見せた自分を超える圧倒的な才能に、いたたまれなくなって姿を晦ます。そして、7年後に彼が戻ってきから喜久雄が直面した困難。血がものを言う日本の伝統芸能の世界の粘着質的なうっとうしさ、それに絡み取られる喜久雄と俊介の苦悩が展開していく。

映画の中の舞台場面では、三つの演目が中心になる。そして、それぞれの演目が、二人が歩んだ過程を象徴するように描かれていたと思う。「二人道成寺」、それは少年の頃から互いに励まし合って稽古を重ねてきた、二人の友情の華の舞台。そして、決別した二人が紆余曲折の歳月を経て、再び共に踊った「曽根崎心中」の鬼気迫る演技。片足を失った俊介が切望したお初の役に、おまえがお初なら徳兵衛をやるのは俺しかいないだろと、女方一筋の喜久雄が応える。俊介は、自分の運命を悟っていたのだろう。お初を演じる横浜流星の演技も凄かったが、アップあり、引きあり、映画は映像がすべてだ。この演目には、喜久雄と俊介二人の、それぞれに対する万感の思いが重なって、それを二人の俳優とカメラワークが見事に表していた。そして、吉沢亮の喜久雄が「鷺娘」を舞うラストシーン。この長い場面は圧巻だった。すべての苦悩と葛藤を超えた昇華の舞を、吉沢亮の渾身の演技と、美しい映像と音楽で描き切る。映画の中で、二人が舞台に立ってホールの隅の上方を指差す場面がある。ここにいると、いつもあそこから何かに見られているような気がするんだと。含みのあるセリフである。最後の「鷺娘」の圧倒的な舞の映像でわかった。真の芸術は、地上を超えて「天上」と繋がるものではないかと思っている私は、ああ、喜久雄は超えたんだ、と感じて胸が高鳴った。吉沢亮とカメラワークが具現したこの最後のシーンは、「美しい」と思わず声に出してしまいそうな映像だった。

李相日監督の作品は、「フラガール」を観たことがあるが、他の作品は知らない。けれど「国宝」を皮切りに、横浜流星も出演した「流浪の月」も観てみようかと考えている。あの作品では、松坂桃李が主演しているらしい。松坂桃李もいい役者だ。今回の「国宝」では、吉沢亮と横浜流星。共に整った顔立ちで、二人とも女方の役者を演じているのだが、吉沢亮は繊細に滑らかに、横浜流星の方は心持ち固く大胆に踊る。その対比が演出なのか、俳優の個性なのかはわからないが、この対称が映画的に緊張感を作っている。キャスティングを心得ている監督さんなのかもしれない。

「国宝」が大ヒットして、歌舞伎に対して関心が高まっているという。いいことである。活動に関わっている文化交流団体で、文楽や能を招聘したことがあるが、伝統芸能に携わる皆さんが一様におっしゃることは、観客の減少への憂いだった。とくに、若い人たちが来ないということ。だから、この映画をきっかけに、若い人も含めて観客が増えるとしたら、喜ばしいことである。私もいま日本にいたら、さっそく「鷺娘」の公演を探して観に行っているだろう、と思った。