スイス山里COSMOSNOMADO

アルプスの山を眺め空を見上げながら心に映る風景を綴ります

飛行機の中で映画「ナポレオン」を観て思い出した昔のエッセイ「英雄について考えてみる」

バスの中から撮った成田の町

 

しばらく日本で忙しくしていて、ブログもご無沙汰してしまった。やっと少し書く時間ができたので、帰りの便で観た映画について思いを巡らしてみた。少し前にスイスでも映画「ナポレオン」が公開されていた。ナポレオンには好感を持っていない。それで特に興味も湧かず観に行かなかった。でも、飛行機の映画プログラムにあるので、どんな映画かとちょっと覗いてみた。うーん、やはりどうしてもあの人物には好感を持てない。思い込みの強い野心家で、どんなにたくさんの若者たちが彼の遠征によって命を落としたことか。挙げ句の果ては、自ら皇帝にまでなって。映画は、ジョセフィーヌとの愛憎に重点を置いているらしい。らしい、というのは、隣の人が席を立つ時は中断されるし、時にウツラウツラともしてしまう。まあ、私にとっては集中して観るほど面白くもなかったということか。ただ、この映画を観ていると、どうしても人間の業が引き起こす戦争というものを考えてしまう。人は勇ましい英雄の話を好むようだ。しかし、英雄にはナルシストが多い。ナルシストというよりサイコパス的な人間かもしれない。それにしても、この一人の人間を描くためにずいぶんな制作費を費やしたことだろう。壮大なシーンの多い映画だったが、デビット・リーン監督の「アラビアのロレンス」や、リーン監督の大作にあったような映画の魅力は乏しかった。あくまでも主観的な感想ではあるが。ただ、ちょうど3年ほど前の今頃に書いたブログでの思いを再確認した気がする。そんなわけで、以下、昔のエッセイをもう一度取り出してみた。

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今年はナポレオン・ボナパルトが没してから200年だという。1821年の5月5日に亡くなったということから、その頃テレビなどで盛んに取り上げられていた。ナポレオンと言えば、誰しも英雄という言葉を思い浮かべるだろう。彼は、フランス革命後のヨーロッパの歴史に大きな影響を与えた人物で、その功績も大きい。たとえば、ベートーヴェンは彼を称えて「英雄」という曲を作った。けれども曲が完成してから間もなく、ナポレオンが皇帝に即位したと聞いて、「彼も俗物に過ぎなかったか」とナポレオンへの献辞が書かれた表紙を破り捨てたという逸話があるらしい。

ナポレオンは軍人である。戦争に次ぐ戦争の人生だった。理念はあったのだろう。ナポレオン戦争によって、フランス革命の「自由・平等・博愛」の精神がヨーロッパに広がったと言われ、その功績を讃える声は大きい。ただ、その陰で死んでいった数かぎりない兵士のことを考えると、何だかなあと思ってしまう。権力欲も随分と強い人物だったことは明らかだ。自分が皇帝になって、その位を世襲制にしたことを考えても、「自由・平等・博愛」の精神は?と思ってしまう。歴史上の有名な人物を見ると、その権力欲には驚嘆する。歴史の表舞台は、ほぼ戦いに彩られている。古代で言えば、マケドニアのアレクサンダー大王だってそう。日本では、織田信長もそう。英雄って何だろう。学校で習う歴史では、有名な人物の名前を暗記させられた。たいていは、争いの歴史。

一方、歴史に名を残すこともなく、英雄的行為をして死んでいった人たちも数知れない。例えば、これは小説の話だが、カミュの「ぺスト」の主人公の医師リウーや、彼と共にペストと闘ったタルー。彼らは、自分の住んでいる町に襲いかかった不条理に立ち向かう。私は、こういった人たちをこそ「英雄」と呼びたい。こういう英雄たちは、今もこの現実社会にいて、不条理に屈しそうになりながらも日々闘っているのだと思う。今のコロナの状況下の医療従事者たちもそうだろう。「地上の星」という歌がある。中島みゆきの歌だ。この歌が好きだ。他の人のために黙々と仕事をしている人たち。エッセンシャルワーカーの人たちのことも思う。こういう人たちがいなければ社会は機能しない。

そういえば、「英雄」を作曲したベートーヴェンは、去年が生誕250年だった。ここスイスでも、各地で大々的なコンサートが予定されていたのだが、コロナで軒並み中止になってしまった。ベートーヴェンは偉大な作曲家だったが、苦難の人生を歩んだ。コロナ禍でお祝いも縮小されてお気の毒だ。けれども、彼が作った素晴らしい曲は、後の人々の胸に勇気と希望を与え続けている。「第九」で知られる交響曲中の「喜びの歌」は友愛で繋がる理想の世界を歌っているという。日本では、年末の年中行事になっている。新しい年への希望を込めて。戦争という破壊ではなくて、人々が共に平和に生きようという理想を持って歩んでいくために。当初はナポレオンを称えて「英雄」を作ったベートーヴェンは、自らの人生をもって、本当の英雄の姿を示したと言えるかもしれない。

 

 

朝のストレッチとスロージョギング

今週のお題「習慣にしたいこと・していること」

朝起きると、まずパジャマのままでストレッチヨガと若干の筋トレをする。名付けて「自己流7分体操」。これをし始めて、もうかれこれ30年以上になるだろうか。若い頃あまり体調の良くない時期があって、たまたまその頃、本屋さんで一冊のヨガの本に出会った。今まで何を試しても体調が良くならなかったという女性の書いた本である。その方は、ハタヨガを始めてから具合が良くなり、その時点で数十年、そして皆に伝えたいと本を出したということだった。私も、この本を入り口として始めてみた。それからだんだんと自分なりに取捨選択していって今に至る。

良いと聞いたものは取り入れてみた。朝の7分体操は、太陽のポーズから始まる。そして、捻りのポーズ、コブラのポーズ、バッタのポーズと続き、今度はヨガではないが、腹筋のトレーニング、プランク、膝突き腕立て伏せ、最後に名前は忘れたがヨガのポーズで締める。あとは、あぐらポーズで目を瞑って息を整え、有り難うのお唱えごと。7分体操とは言うものの、その日によっては長くなることもあるし、若干端折ることもあり、時間は変動的である。ただ、7分と自分に言い聞かせていれば、億劫感がなくなる。たぶん、これが長く続いているコツなのかもしれない。

もうひとつは、ジョギング。以前にも書いたが、これは本当にスローなジョギングだ。これも、始めてから15年くらいになるだろうか。続いているのは、たぶんあの走っている時の瞑想感が心地よいから。正直、最初は走りに行くのが億劫だった。始めたキッカケは何だったろう。少し身体を軽くしたかったのだったか。おそらく、体重を落とすためにはもっと早く走らなければならないのかもしれない。でも、走りに行ったという充実感が、身のこなしを軽くしてくれる。ほんとかどうかはわからないが、そう思い込んでいる。この頃思うのだが、思い込みの力はなかなか侮れない。それと、このスロージョギングは、私にとってはメンタルトレーニングでもあるし、アイデアの湧く時間でもあるのだ。

年を重ねてくると、知らず知らず習慣になっていることも多々ある。良いものばかりとは限らない。そんな習慣は矯正したいところだが、残り時間で出来るかどうかが見ものである。

 

節分の日に

今日は2月3日、節分でした。3年前の節分の日に書いた記事を読み返してみて、やはり煩悩は手強いものと改めて思ったので、再掲載してみます。

 

「心の鬼退治」

今年は2月2日が節分だという。子供の頃の豆まきを思い出す。豆だけでなくキャンディーも混ぜて入っている桝から、ひとつまみごとに「鬼は外!福は内!」と元気よく叫びながら撒いたものだ。そして、後でキャンディーを拾って舐めるのが楽しみだった。昔々の小学生の頃の思い出。あの頃は、鬼は他界に住んでいて、時々悪さをしにやってくるものだと思っていた。だから、そんな鬼が家の中に入り込まないように、豆を撒いて退治するのだと。

だが、鬼は本当に人間界とは無縁の場所に住んでいるのだろうか。いやいやどうして、それこそ人の心の中にも住んでいやしないだろうか。能に「葵の上」という演目がある。周知のように「源氏物語」に題材を取った能曲だ。皇太子の未亡人である六条の御息所は、年下の光源氏と恋仲であった。才色兼ね揃えた誇り高いこの女性は、葵の上を正妻に迎えた源氏の足が次第に遠のくに連れ、悩み苦しむ。光源氏は稀代のプレイボーイであちこちに想い人がいる。だから、御息所だけがご無沙汰になったわけではなくて、実は葵の上の所にもあまり足が向かず、彼女も苦しんでいるのだが。ある日、都の祭り見物に出かけた折に、六条の御息所と葵の上の家来たちの間で場所取り合戦が繰り広げられ、御息所側が屈辱を味合う。プライドを傷つけられた彼女の葵の上への恨みは一層募っていく。やがて、その恨みと嫉妬の想いは、本人の意識を離れて生き霊となって葵の上に襲いかかる。六条の御息所の前シテは、「泥眼」という女面を掛けて登場し、源氏への恨みつらみと葵の上への憎しみ、報われない恋の悲しみを高貴に表現する。「泥眼」は、もともとは人間ではない存在の面で、菩薩などに使われていた。目に金泥が施されている(能面で金の目をしているものは異界の存在)ので、泥眼と呼ぶ。そして、後シテは般若の面を付けて登場する。女面ではあるが、言わずと知れた鬼の表情である。六条の御息所は、怒りと憎悪が極まり、病床の葵の上を打ち据える。本人の手を離れた生き霊として。恐ろしい般若の面をよく見ると、その形相は怒りというより、むしろ深いどうしようもない悲しみに溢れている。今にも泣きだしそうだ。嫉妬や憎しみは、持っている本人を一番苦しめるものだろう。心を焼き尽くしてしまう。六条の御息所は、一生を賭して恨み、死してもなお苦しみに彷徨ったようだ。

たいていの人の心には、小さい鬼は棲んでいると思う。人間には基本的欲求があるし、それなしには生きていかれない。社会で他者と生きる上で湧いてくる様々な欲もある。我欲が小さいうちは、まだちっちゃな鬼だ。小鬼というと、なんだか愛嬌があって可愛らしい気もする。ちょっとした焼きもちとかが、愛情の表現であったり、人への羨望が自分を伸ばす原動力になることもあるだろう。けれども、小鬼が育ちすぎないようにしないと、身体に入りきれなくなって彷徨い出す。一年に一度、心の鬼に目を向けて退治する、それぞれの「節分の日」を設けてみるのもいいのかもしれない。

 

 

 

シャンソンは人生を語る歌

 

YouTubeのおかげで、日本シャンソン館というのがあるのを知った。群馬県の渋川市にあるという。今度帰省した際には、ぜひ訪ねてみたい。

私は、シャンソンが好きである。それも、出来れば日本語歌詞の歌を聴きたいし、歌いたい。シャンソンは、詞と語りが命。3分から5分の間に語られる物語。シャンソン歌手は、愛と命と人生を語る吟遊詩人と言う人もいる。私の母語は日本語だから、フランス語で語られても心に真っ直ぐは入ってこない。ああ、こういう心情を歌っているのだろうな、とは思っても、それは頭での理解であって、心に入るまでにワンクッションある。だから、日本人のシャンソン歌手には日本語で歌ってもらいたい。ところが、訳詞はなかなかに難しいものがあるのだ。まず、フランス語だと一つの音符に単語を載せられるから、一曲の情報量が多い。日本語では、基本的に一つの音符に1音か2音しか載せれらないから、描かれるストーリーが短くなる。

趣味でシャンソンを歌っているが、もちろん日本語で歌う。いい訳詞があれば、そのまま歌うが、今一つピンとこない時は、意訳してみる。難しいけれど、楽しい作業である。Je ne regrette rien を訳した時は、あれこれ頭を悩ませた。昔のことはもういいの、後悔はしないというのをどう表すか。そして、ハタと思いついたのが、これ。「 そう、いいのよ、そう、過ぎたことは。時の背中にみんな預けてきた」。この文句が湧いてきた時は、思わず膝を叩いた。「パリの空の下」も意訳してみた。意訳というか、かなり違ったものになった。パリの空はシテ島に恋しているというのが、最後の歌詞だったと思うが、私の詞には、それはなし。パリの空が、人々の乗っている人生の回転木馬をずっと見ている、てな感じにしてみた。

最近、瀬間千恵さんの「貴婦人」を聴いて鳥肌が立った。真に迫った語りと歌唱で一人の老婦人の人生を描き出す。素晴らしい表現力だ。シャンソンは、話す声で語るように歌うもの。朗読の表現にも通じる。瀬間さんは、なんと87歳だという。初めは、クラシックの声楽を勉強して、オペラ歌手として活躍するつもりだったのが、実際に本場ヨーロッパでオペラを聴いて、自分には合わないと、方向転換したのだそうだ。それから、地声で歌うように歌い方を変える訓練をして、やがて銀巴里で活躍。現在、現役最高齢のシャンソン歌手だそう。ソプラノ歌手は高齢になると難しくなるが、シャンソンは声帯が多少衰えても、声の渋さがかえって深みを出せる場合もあると思う。何だか希望を感じることだ。

もうひとつ、これは別の若い人が歌っていたのだが、「恋のロシアンカフェ」を聴いて思ったこと。これもまた、内容が深い。昔パリに、ロシア人が集うロシアンカフェと呼ばれるカフェがあった。そこには、黒い髪と黒い瞳の若い女性がいて、いつも紳士たちに囲まれていた。その美しさに男たちは恋心を掻き立てられるのだ。そこのバラライカ弾きは、彼女に恋していたが、叶わぬ恋の想いをバラライカの音に託すのみ。たくさんの恋が彼女を訪れていったが、やがて時は過ぎ、年老いて落ちぶれた彼女は、ささやかに貯めたお金を持って月に一度やってくる。そこにバラライカ弾きはもういない。この歌を聴いて思い出したのは、サマーセット・モームの小説「クリスマスの休暇」だ。10代の頃に読んだので、詳しいことはもうすっかり忘れてしまったが、オルガ公女の言葉だけは覚えている。オルガ公女は、ロシア革命の時にパリに亡命してきた貴族の娘である。近づいてくる者はたくさんいるが、彼女は思い上がらない。私がもし今きれいだとしたら、それは若さゆえのこと。時が経てばなくなるたぐいの美しさに過ぎない、というような。あの「ロシアンカフェ」の美女と違って、たぶん彼女は賢い選択をしたに違いない。と、書いたけれど、本当はどうなったか全く覚えていない。もう手元にはないので確認ができないのが残念。いつか機会があったら読み直してみよう。

シャンソンは、人生と命の儚さを歌う。すべては過ぎゆくもの。「ミラボー橋」の歌のように。だからこそ、すべては愛おしい。

 

石狩鍋とキムチ鍋

今週のお題「最近おいしかったもの」

 

ついこの間、日本人の盆踊りグループの初練習と新年会があった。総勢15人ほどが集まっての新年会で、一人一品持ち寄りの集まりなので、ご馳走がずらっと並ぶ。皆んな料理上手で、煮物やサーモンのサラダ、和え物、工夫を凝らした野菜や肉の料理などなど。お正月らしく、つきたてのお餅を用意してくれた人もいる。メイン料理は、恒例の二つの鍋物。石狩鍋とキムチ鍋である。ここ数年、これが主役になっていて、この鍋の元祖の地元メンバーが買い出しから仕込み、そして当日の鍋奉行を務めてくれる。彼女たちを見ていると、本当に甲斐甲斐しくて、まさに大和撫子とはこのことか、と思う。もちろん、スイス人女性にも甲斐甲斐しい人はいるのだが、何というかちょっとニュアンスが違うのだ。この鍋奉行たちは、自分のことは後回しにして、皆んなに取り分けてくれるし、よく気がつく。威勢がいいのに出しゃばらない。大和撫子ここスイスにあり、である。石狩鍋もキムチ鍋もとても美味しかった。

 

 

お腹がいっぱいになると、今度はカラオケが始まる。これも、マイクを持ってきてくれる仲間がいる。今は便利になったものだ。スマートフォンのカラオケと繋げて歌えるようになっている。思えば、昔々はそんなものはなかったから、カラオケパーティーをするときは、装置を持っている日本か韓国のレストランに行ったものだ。

この十数年で、すべてが急速に変わっていった。海外に暮らしていても、日本がぐっと近くなった。スイスのスーパーにも、お醤油は普通にあるし、アジア食品(生鮮以外)のコーナーがあって、日本の物も一通り置いてある。寿司ブーム以来、関連食品がぐっと増えた。デパートには、日本的な器もけっこう置いてあるし、わざわざ日本から買ってくる必要もなくなった。もちろん立派なものというわけでもないが、それでも重いものを持ってくる手間と労力を考えれば、便利で助かる。また、インターネットの普及で、居ながらにして日本と繋がれるようになった。日本のお友達とZoomで顔を見ながらお喋りができるなんて、昔は思いもよらないことだった。ただ、これらすべては、世界が災害もなく戦争もなく、ちゃんと機能しているというのが前提でのこと。たとえば、ウクライナの戦争で飛行機のルートは変わったし、もしコンピューターに世界的な問題が生じれば、全てアウトである。また、福島の原発事故では、飛行機が日本まで飛ばなくなったし。コロナの時も渡航には制限があった。あの時は、改めて日本と欧州の距離を感じた人は多かったと思う。そういう意味では、距離的に離れていても繋がれるというのは、全てが機能しているという前提があってのことなのだ。すべては、不安定な均衡の上に立っている。やはり、身を置いている地元と繋がる生活は大事だと、改めて思うこの頃である。

 

 

宮崎駿「君たちはどう生きるか」映画鑑賞記

期待の宮崎駿アニメ「君たちはどう生きるか」を観てきた。数週間前からチューリッヒでも封切られていたのに、最近気がついた。人があまり入らないと早々と打ち切りになるのだが、まだ続いているということは、それなりに集客があるということだろう。

さて、感想は。。。言わんとするメッセージはわかったけれど、それを伝えるために2時間はちょっと長すぎるような気がした。また、今までの宮崎作品に出てきたフィギュアたちの総集編のような感もある。絵は素晴らしい。宮崎駿アニメの背景画は本当に精密で、登場者たちの動きも細やかだ。背景画の立体性と、人物や動物たちの平面的な絵のコントラストが面白い。音楽はいつもの久石譲だったのだが、気が付かなかった。というのは、今までの作品とは違って、ずいぶんと引けているのだ。彼のテーマ音楽には、いつもそれ自身でドラマ性があったが、今回は背景に引っ込んでしまっている。意図的に、音楽にあまり場所を与えなかったのだろうか。今回の作品は、何と言うか、色々詰め込んで広がり過ぎてしまってから気がついて、急いで〆に入ったような印象を受けた。もちろん、映画には編集作業があるから、そんなことはないのだろうが、私の受けた感じとしてだ。あっちこっち行ってしまったが、そうだ、「君たちはどう生きるか」のテーマに戻さねば、と収束に持っていったような。。。

ここからは、私の解釈である。この映画にはいくつかの要素がある。メーテルリンクの「青い鳥」の中に出てくる未来の子供たちのような二人。眞人とヒミコは、この世に生まれる前の異世界では、世界を救うために協力し合う。だが、この世界には母と息子として、違う時間に生まれ出ることになっている。眞人は1943年現在で、たぶん13歳くらいか。母親は空襲で亡くなり、眞人は父親の工場がある、東京から離れた土地に疎開する。そこには、亡くなった母の実家で、妹の夏子が住んでいる大きな屋敷がある。父親は母の妹と結婚して、新しい母のお腹には赤ちゃんが宿っているらしい。夏子が異世界である塔の中に吸い込まれるように消えてしまい、眞人が彼女を救いに行く、そして、夏子が特別な産屋にいるというのも、何か示唆的だ。その異世界を支配しているのは、夏子たちの大叔父と巨大なインコの王様らしい。あとでわかるのだが、この塔は地球外から降って湧いたものらしく、変わり者の天才、大叔父は若い頃その中に入ったきり、この世界から忽然と姿を消して行方不明になっていたのだ。異世界で眞人の前に現れた、アインシュタインにも似た大叔父は、目の前の積み木が崩れないようにして、危うい世界の均衡を保っていた。そして、その自分の仕事を引き継ぐ者を待っていたのだ。それが、眞人だったらしい。眞人は、自分には世界は救えないと答えるが、その後、戦後の日本でどう生きていったのかが、私には興味深い。今の世界を見ていると、結果的には救えなかったのだと思う。眞人は、母の実家の部屋で、母が自分に贈ろうとした本を見つける。その中には手紙が挟んであって、大きくなってわかるようになったら読んでほしいというようなことが書いてある。そして、その本というのが、タイトルの「君たちはどう生きるか」なのだ。眞人は読みながら、自分の卑劣さを悔いて涙を流す。映画の最後の場面で、ふと思ったのが、宮崎駿は1943年生まれだったなあということ。終戦から程なく、眞人と継母の夏子は、あの時生まれた2歳くらいの子供を連れて東京に帰って行く。終戦の2年前に生まれたのだから、1943年生まれだ。この作品には、世界を救えなかった宮崎駿の無念と、後継に託す希望のメッセージが込められているのだろうか。

このアニメ映画は、受け手にわかりやすく伝えるよりも、作り手自身が目眩くファンタジーの作画を楽しんだ作品なのかもしれないな、というのが私の感想である。絵は、いつもどおり本当に見事だった。それにしても、こちらでのタイトルは「The Boy and the Heron」なのだが、青鷺は主役というより狂言回しというか、眞人を大叔父に導くためのメッセンジャーの役回りだ。この日本語タイトルの訳を考えた人は頭を捻ったに違いない。「君たちはどう生きるか」を直訳してもわかりにくいし、ここは意訳して観客を混乱させないための配慮が必要になる。映画タイトルというのは、集客にとても大事な役割を果たすから。それにしても、宮崎駿は、なぜメッセンジャーに青鷺を選んだのか、何を象徴しているのか気になって、ちょっと調べてみた。何でも、スピリチュアルの世界では、青鷺は決断力や判断力、自立心、知性、忍耐力を象徴しているのだそうだ。なるほど、世界を救うためには必要なキーワードではある。神からのメッセージを受け取るという意味もあるらしい。たしかに、あの塔は地上のものではなかったし、大叔父はもうすでに神の領域の人だった。

映画 Perfect Days (パーフェクトデイズ)

先週の木曜日から、チューリッヒで「パーフェクトデイズ」が公開されている。封切りの日にさっそく観に行ってきた。マチネだったが、けっこう人が入っていた。

この映画は日本映画ではなくて、ドイツのヴィム・ヴェンダース監督が撮った作品。カンヌ映画祭で、役所広司さんが最優秀男優賞を受賞したことでも話題になった。観れば納得する演技力である。何しろ淡々とした映画で、ネットフリックスのドラマによくあるようなアクションはない。何と言ったらいいか、静かな美しい映画だった。会話も少ないし、これといった事件が起こるわけでもない。それを2時間引っ張っていくには、演技者の技量に頼るところが大きい。

映画は、平山というトイレ清掃人の日常を描く。浅草界隈に住んでいる平山は、毎朝、清掃用具を積み込んだ車を走らせて渋谷に向かう。有名建築家によって作られた渋谷区のデザイン公衆トイレの清掃の仕事をしているのだ。毎朝、車の中でカセットテープを流して、好きな音楽を聴く。その音楽が、平山の人となりを表す役割も果たしていて、なかなか心憎い演出だ。なにしろ、この平山という男は極端に無口な人間で、自分の意見を言うこともないし、人との会話から人物を推し量るのは難しいのである。彼の動きと表情、周りの人間の反応からしかわからない。描かれるのは、毎日のルーティーン。朝は早く起きると、きちんと布団を畳んで定位置に置き、流しで歯磨き洗面をして、植木鉢の植物たちに水遣りをする。それから、清掃人の制服に着替え、玄関に置いてあるコインを掴み外に出る。家の前の自動販売機で缶コーヒーを買って飲みながら、車に乗り込む。走り出してから、その時々で好きなカセットテープをかける。そう、平山はデジタルとは縁のない人間なのだ。趣味の写真を撮るカメラは、昔ながらのフィルムカメラ。携帯は持っているが、スマートフォンではなくていわゆるガラケー。たぶん、これも仕方なく業務用に持たされているのだろう。平山の簡素な部屋には、文庫本とカセットテープがずらっと並ぶ背の低い本棚と小さな箪笥があるのみ。たぶん数少ない持ち物などは押し入れにしまってあるのだろう。彼は、布団を押し入れに入れることはなく、部屋の隅に片付ける。渋谷の公園の横に車を停めると、清掃用具を取り出して一日の仕事が始まる。いくつかのトイレを回り、昼時になると公園でサンドイッチを食べる。たぶん、近くのコンビニで買うのだろう。食べながら空を見上げ、木々を仰ぐ。時にはカメラを取り出し、見上げた木々の写真を撮る。彼の植物たちへの眼差しがやさしい。仕事が終わると、家に戻って車を置いてから、銭湯で汗を流し、行きつけの大衆飯屋に向かう。そこで一杯飲みながら食事。店員も顔見知りで、「お疲れさま」、と彼が好きな飲み物がさっと出てくる。夜寝入る前には、布団の中で必ず文庫本を読む。そして、静かに一日が終わる。休みの日には、コインランドリーで洗濯して、写真屋にフィルムを持っていき、現像された写真を受け取って家で分類。小さな古本屋にも行く。また、石川さゆり演じるママさんのスナックの常連でもあるらしい。平山は、素朴で質素ながらも、彼にとってのパーフェクトデイズを送っている。

そんな生活にも何人かの登場人物が現れて、平山の過去が仄めかされる。姪が家出して彼の家に泊まりに来た数日の出来事で、彼がたぶん大きな会社の後継ながら、その生き方を選ばずに、父親と決別したのではないかということ。彼にとっては、出世や物質的成功よりも、内面の豊かさが大事なのではないかということ。平山は、敷かれたレールからは外れた、容易くはない自分の生き方を選んだのでは?しかし、こういったことを、多くの言葉の説明なしに表現するためには、優れた役者が必要だ。そういう意味で、この映画は、俳優役所広司の力量によるところ大だと思うのだ。それを端的に示しているのが、ラストシーンだと思う。運転している平山の表情が長い間クローズアップされる。何分間だろう、ずいぶん長い。音楽を聴きながら運転している平山の顔には、喜びと悲哀が入り混じった何とも言えない表情が浮かんでいる。笑い出しそうにも泣き出しそうにも見える彼の顔が、今までの人生を物語っているようだ。

この映画は、元々はヴィム・ヴェンダース監督が、渋谷のモダンな公衆トイレのプロモーションフィルムを頼まれたことが発端らしい。どうして彼に依頼されたのかはわからない。ヴェンダースは、どうせ作るなら物語にしたいということで、話が膨らんでいって劇映画になったとも聞いたことがある。ヴェンダース監督は、スイスの名優ブルーノ・ガンツ主演の「ベルリン・天使の詩」などが有名だ。時々出てくる平山の夢らしき白黒の映像と、実在するのか幻想なのかわからない、ホームレスのダンサーの映像を作中に入れているところに、ヴィム・ヴェンダースらしさが出ていると感じた。