スイス山里COSMOSNOMADO

アルプスの山を眺め空を見上げながら心に映る風景を綴ります

波に揺れる小舟のように

 

スマートフォンには色々なアプリが入っている。スイス連邦鉄道のアプリも入れているが、個人登録はしていなかった。けれども、先日、切符を買うのに往生したので、とうとう登録することにした。

よく利用する区間の回数券は持っているが、そうでない目的地に行く場合は、たいてい窓口か自動販売機で買っていた。ところが、この間のことである。昼時は窓口が閉まっているので、自動販売機で買うつもりでいたところ、それが故障中らしく作動しない。さて、困った。どうしようか。切符なしで乗ってしまって、万一検札が来たら大変だ。こちらは改札口がないので、そのまま電車に乗ることはできる。だが、乗車前に切符を買っておかなければならない。長距離列車は別として、車掌は乗っていない。たとえ乗っていたとしても、もう車掌さんから買うことはできないし。言い訳は通用せず、無賃乗車として罰金を取られるのだ。まあ、いろんな人がいるから、疑わしきは罰せよの精神だろう。考え事をしていてうっかり忘れて乗車したところ、検札が来て、問答無用だったという話は、友達から直接聞いた。短距離の電車では、私服の検札者が抜き打ちでやって来る。昔は、誇らしく制服を来て赤い皮の鞄を襷掛けにした車掌さんから切符を買うことができたが、それはもう、今となってはノスタルジックな物語だ。

それで、急ぎアプリにゲストとして入って、個人情報とクレジット番号を入れて、とアタフタしながら切符を買った。登録しておけば、もういちいち情報は入れなくていい。最近は、クイックサービスもあって、電車に飛び乗る直前にアプリをタッチすればいいらしい。ただ、それにはスマートフォンの位置情報をオンにしておかなければならない。便利ではあっても、逆に言えば、携帯がインターネットと繋がっている限り、行動が全部どこかで把握されているというわけだ。まあ、カーナビも同じ理屈だけれど。

交通機関だけではない。今や買い物もそうだ。スーパーなどのレジもどんどん減っていって、カードでの自動清算機が増えてきている。若い人たちは手慣れたもので、たぶん便利に思っていることだろう。ただ、こちらも全部買ったものが記録に残るということだ。今はインターネットで買い物をする人も多い。ホテルの予約もそうだが、検索をすると、すぐにその後から、あなたへのお勧めのホテルという連絡が入ってくる。

たしかに、IT利用の自動化で便利になった面はある。けれども、どこかで誰かに管理されているような不自由感がいつも微かに付きまとう。どこかの国では、屋台の支払いまでカードでするようになっていると聞いた。街のあちこちにはビデオカメラ。必然的に個人の行動が記録されていくわけだ。また、「良き市民」かどうか査定されるという話も。そんな社会は、ジョージ・オーウェルの「1984」を思い起こさせて薄気味悪いものがある。

人類は便利さを求めて様々なものを創造してきた。それは進歩の歴史だ。だが、その結果への問いなく、技術だけが一人歩きしていくとき、私たちはどこへ向かうのだろうかという不安が残る。

なんだか、いろんな波が押し寄せてくるようだ。私が乗っているのは小舟。とにかく、向こう岸に渡るまで、大波に拐われないようにしっかり漕いでいくしかないのだなあ、と思うこの頃である。

 

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海外の寿司話

今週のお題「寿司」

こちらでも、和食がブームになって久しい。チューリッヒのような大きな街には、日本食レストランがかなりある。この、「かなり」というのは、昔に比べての私の感覚。パリやロンドン、デュッセルドルフと比べてはいけない。

1980年代半ばまでは、スイスで一番大きい街チューリッヒでも、2軒くらいしかなかった。一般のスイス人には、寿司や刺身はエキゾチックな食べ物だった。日本通は別として、普通の人は、え?生の魚を食べるの?という感じ。それが、今はどうだろう。SUSHIは和食を代表するくらいになって、回転寿司まである。ただ、チェーンの回転寿司店は、一皿の値段は高いし、たいてい機械で握っているから、日本の人はほとんど行かない。こちらの日本人の友達同士が連れ立って行くのは、もっぱら日本の板前さんがいるお店だ。主婦も家庭でお寿司を作るが、本格的な握りはちょっと難しいので。

来たばかりの頃、パリに行った時には、必ずお寿司屋さんを探したものだ。当時、色々な意味で日本は遠かったので、手の届かない故郷の味が恋しくなることもあった。なにしろ航空運賃が高かったから、そうそう帰るわけにもいかなかったのだ。唯一、団体料金形式のチケットを扱っていた欧日協会という旅行社でも、往復2500フラン以上はしたと思う。円高になる前だったから、日本円にして27.8万の感覚だろうか。それも、42日以内に戻ってくることが条件。そんなわけで、日本街があっていろいろ和食が食べられるパリは、距離的には東京から京都くらいまでだから、行きやすかった。

ちょっと寿司の話からはそれるが、しばらくは日本航空の飛行機もチューリッヒに立ち寄っていたことがある。いつからいつまでだっただろうか。たぶん、バブルで日本の会社が大挙してチューリッヒに支社を置いていた時代だったろう。まだ、アンカレッジを経由してのフライトだった。日本航空の機内に一歩入ると、そこはもう日本の雰囲気。日本人ステュワーデスさんたち(当時はまだそう呼んでいた)の感じのいい微笑み。機内では、日本から搭載してきた「おはよう日本」の映像が流される。当時は、飛行機の中に幾つかのスクリーンがあって、乗客はみんな同じ番組を見たものだった。そして、食事の後は一斉に映画上映。今は、前の座席の後ろにそれぞれ画面が付いていて、乗客が思い思いの番組を選んで見ている。隔世の感とは、まさにこのことだ。

さて、この寿司ブーム、嬉しい反面、ちょっと考えてしまうところもある。世界的なブームは、魚の乱獲を増やしてしまうのではないか、とか。もともと日本でも、1980年代の始め頃は、まだ回転寿司はなかったように思う。握り寿司は、ある意味高級品で、そうそういつも食べるものではなかった。ましてや、子供が食べるものという発想はなかったように記憶している。その代わり子供達は、母親の作る稲荷ずしや海苔巻き、錦糸卵がのっているちらし寿司がご馳走で、晴れの日の楽しみだった。

ところで、我が家では、大勢のお客さんを呼ぶ時は、ビュッフェ形式にしている。メニューの中に、自分で工夫した巻き寿司と稲荷寿司も入れるが、なかなか好評である。握りは、新鮮な魚と、それを見る目が要るので、私には敷居が高い。それこそ、たまに日本レストランで食べる楽しみとしている。

 

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駅地下にあるチェーン店の看板写真

君よ知るや東の国

今週のお題「住みたい場所」

日本にいた頃は、国内を旅する機会がほとんどなかった。こちらに住み始めてから、かえって日本を旅するようになった。なかなか帰れないと思うから、今回はあの土地の親戚、今度はあの町のお友達に会いに行こうという計画を立てる。また、仕事柄、あそこのあれは見ておきたいとかいうのもある。それと、スイス人と一緒の場合は、日本紹介旅行になる。

そんな中で、日本で住めたら素敵だなと思った土地はいくつかある。例えば、松山と松本。両方とも、大きさ的に住みやすそうだ。松山市はおよそ50万人、松本市はその半分くらいの人口らしい。松山には前に親戚が住んでいたので、いろいろ案内してもらった。気候温暖で、海も近い。だから、お刺身など魚も美味しい。愛媛は、知る人ぞ知る日本酒の名産地だという。親戚の人の行きつけの酒処にも連れて行ってもらった。懐かしい思い出だ。路面電車も走っている。路面電車の走る町には、なんとなく風情がある。それに、環境に良い公共交通機関だし。チューリッヒ市にはトラムと呼ばれる市電が縦横に走っている。これで市内をくまなく回れるし、もちろん渋滞がない。残念なのは、京都だ。昔は市電があったそうだが、今はすべてバスになってしまった。京都は風情のある町だし、大きな観光地だから、排気ガスを出したり渋滞したりするバスや車で回るより、市電の方がふさわしいのだが。さて、もう一つの町は、松本。こじんまりしていて生活しやすそうだし、お洒落な雰囲気の町だと思った。それに、日本アルプスの町である。隣接する安曇野の美しい自然の中をサイクリングするのも楽しそうだ。東京からも遠くない。

ゲーテの「ヴィルヘルム・マイスターの修行時代」という作品の中に、「ミニヨンの歌」として知られる歌がある。森鴎外の名訳で有名だ。昔、憧れてその一節を暗唱した。

レモンの木は花さきくらき林の中に

こがね色したる柑子は枝もたわわにみのり

青く晴れし空よりしづかに風吹き

ミルテの木はしづかにラウレリの木は高く

くもにそびえて立てる国をしるやかなたへ

君と共にゆかまし

ドイツから、南の国イタリアへ向かうには、アルプスを越えなければならない。ゲーテは南国イタリアに憧れを持っていて何回か訪問している。当然、スイスを通るわけだ。チューリッヒには、ゲーテが訪れたレストランがあって、家の外壁にその旨のプレートが貼ってある。また、チューリッヒ湖畔の村にも滞在している。ゲーテのヴィルヘルム・マイスターを原作にして創られたオペラの最初の歌のタイトルが「君よ知るや南の国」だという。寒い北の国に住む人にとって、光溢れるイタリアは遠い憧れの国だったことだろう。

人は自分にない環境に憧れる。カール・ブッセの「山のあなた」という詩もそうだった。明治以降からある時期まで、日本人にとって西洋は憧れの国だったかもしれない。また、西洋の人にとっては、東方にある日本という国が憧れだったこともあるだろう。微笑みの国、礼儀正しい人たちが住む国として。今もそういう国であってほしいものだ。

住めば都と言う。紆余曲折がありながらも、今の私にとっては、スイスは住みやすい国である。そして、スイスの中では、今住んでいる場所以外に住みたいとは思わない。けれども、もしも故郷日本に住む機会があるならば、松山か松本にしばらく住んでみたいと思う。「君よ知るや東の国」と、そっと呟いてみる。

 

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mettmenの湖

壮大なロマンを描いた漫画

今週のお題「一気読みした漫画」

小学生の頃は、毎晩のように「お絵描き」をしていた。少女漫画に描かれた長い巻き毛や、夢みる瞳に魅了されて、女の子の金髪の巻き毛のツヤの出し方や、潤んだ瞳の描き方などを何度も何度も練習したものだ。頭の中にストーリーが湧いてきて、時間を忘れて描いていた。特段にお絵描き帳などなかったので、描くのは、親に貰った広告紙や印刷物の裏紙だった。

もう遠い彼方の記憶になるが、水野英子さんの作品が思い出される。何という題名だったろう、週刊マーガレットに連載されていた漫画の数々。そのひとつに、主人公の青年が会うたびに、短い間なのに、女の子が成長している不思議な物語があった。思い出した!「セシリア」だ。毎週、週刊マーガレットが楽しみだった。発売日になると、十円玉を握りしめて本屋さんに走ったものだった。以来、セシリアという名前を聞くと、何だかミステリアスでロマンチックな思いが湧く。のちに、原作となった映画を観る機会があった。「ジェニーの肖像」という映画だった。あれも面白かった。それにしても、水野英子さんの筆致と描写力は、小学生の私を虜にした。「白いトロイカ」という長編物も夢中で読んだ。帝政ロシアを舞台にした長編歴史物。そうだった、ロザリンダの巻き毛に魅了されて熱心に描き方を練習したのだった。話の筋はもうよく覚えていない。けれども、壮大なロマンだった。小学生の頃、漫画家になりたいと思っていた時期があった。自分で物語を考えて、絵を描いて、楽しかった。けれども、中学に入ってからは、もう漫画を読み難い雰囲気になっていた。何よりも、母がいい顔をしない。当時は、漫画を読むのは小学生止まりだった。少なくとも私の置かれた環境では。西谷祥子という人もいたが、彼女は水野英子より少し後の世代の人だ。絵が上手い人だった。その後、青池保子、竹宮恵子、萩尾望都など、幻想的なストーリーを描く漫画家達が輩出しているが、その台頭期に読んだ覚えがない。でも、知っているのだから、いつの頃か読んだのだろうか。それからしばらくして、池田理代子さんの「ベルサイユのバラ」が大ヒットした。実は、それも読んでいない。従姉妹がウチに泊まりに来た時に、夢中になっているという話を聞いた。フランス革命を舞台に、男装の麗人オスカルと幼馴染のアンドレ、マリー・アントワネットとフェルゼンの恋を軸にして、スケールの大きい長編歴史ロマンが繰り広げられれる。漫画は読みそびれたが、映画は観た。宝塚でも大ヒットして、ユーテューブで一部の映像は観ている。

いつ頃だったか、日本に帰省した際に買ってきた漫画がある。萩尾望都さんの「ポーの一族」と「トーマの心臓」の文庫版。彼女の作品は、発想が素晴らしい。文芸ロマンの香りがある。世界観を表現する手段として、小説ではなく漫画を選んだという感じを持つ。漫画には総合的な才能が要る。ある意味、一人で映画作りをしているような。まず、発想があって、筋書きを作って、脚本を書いて、カットを割り当てて、絵を描く。何人かでやる場合もあるのかもしれないが、萩尾さんは一人でこなしているような気がする。個人的なことや仕事のやり方はよく存じ上げないので、何となくの感じで思うだけだが。

水野英子さんは少女漫画界に一世を画し、その後、西谷祥子さん、少し後に萩尾望都さんたちの世代が続いた。思い出せば、子供の頃が甦ってきて懐かしい。

 

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平野啓一郎「本心」を読んで

平野啓一郎氏の最新作「本心」を読み終わった。氏の作品を読むのは、これが6冊目になる。最初に手に取ったのは、「マチネの終わりに」だった。そして、平野氏が23歳の時に芥川賞を取ったことを知って、その受賞作「日蝕」を読んでみた。「一月物語」も同じ本に入っていたので、その作品も同時に読んだ。次に「ある男」に行って、それから「葬送」へと進む。そして、今回の「本心」だ。作品を時系列で見れば、バラバラな読み方をしている。実は「葬送」は、氏が27歳の時に書かれたもので、およそ20年前の作品になるのだ。「マチネの終わりに」や「ある男」は、ここ数年の小説になる。「葬送」の重厚さと話の長さは、19世紀の小説を思い起こさせた。一方、最近の小説は、現代社会が持つテーマを扱っている。時期的にその間にある「決壊」や「ドーン」はまだ読んでいないので、これからだ。

さて、「本心」は幾つかの点で印象深い。まず、今の社会が抱える問題をまっすぐに見据えながら、同時に、時代を超えて人間が持つ「人の生死」についての永遠の哲学的な問いを投げかけている。それを統合的に描く作者の手法が見事だ。

物語の舞台は、今からおよそ20年後の日本。社会にはますます貧富の差が広がり、完全な格差社会になっている。語り手の「僕」朔也は、29歳。生まれた時から母と二人っきりの家庭で育つ。後の伏線となる事件によって高校を中退し、職業を転々としたあと、現在は「リアル・アバター」という仕事に就いている。物語は、その朔也が、70歳を目前にしていた最愛の母を事故で亡くし、その深い喪失感から、母親のヴァーチャルフィギュアの作成を専門の会社に依頼に行くところから始まる。朔也には、どうしても知りたいことがあった。偶然の事故で亡くなった母親だが、実は、彼女は生前「自由死」を望んでいて、それが朔也にはどうしても納得できず、反対していたのだ。そして、母は息子の承諾を得られないまま、結果的には事故死してしまった。20年後の日本では、「自由死」と呼ばれる自死が社会的に認められるようになっていた。朔也は、なぜ母が「自由死」を望んでいたのか、その本心が知りたかった。母の「もう十分だから」という言葉の真意を。本当に母は自身の人生に満足して、十分と思ったのか、あるいは、いずれ介護が必要になることによって、自分に迷惑をかけたくなかったからなのか。二人とも経済的には、何とかギリギリ働いているからこそやっていける生活だった。生前のデータを元に出来上がったVFは、とてもよく母に似ていたが、これから学習することによって、ますます実際の母親に近づいていくのだという。朔也は、「母」を母らしくするために、今まで彼女と交流のあった人たちに連絡を取っていく。母の「本心」を探求する旅が始まる。母と一緒に旅館で働いていて、やがて母の友人となった朔也より少し年上の三好彩花、「自由死」の相談をしていた主治医、若い時に交流のあった作家の藤原亮治。三好とは、災害で彼女が住まいを失ったことにより、空いている母の部屋を貸してシェアハウスメートの関係が始まる。VFの「母」は、親しい友人だった三好との会話によって、ますます本物に近づいていく。やがて三好は朔也の心に大きな位置を占めていくようになる。20年後の日本は、はっきりと二つの世界に分かれていた。持てる者と持たざる者、成功して余裕のある生活ができる者と、ギリギリの生活をしている者。勝ち組と負け組。三好は、それを「あっちの世界」「こっちの世界」と呼ぶ。三好も朔也も、経済的にギリギリの「こっちの世界」の人間だ。三好は「あっちの世界」に憧れをもっている。社会を変えることではなく、自分が「あっちの世界」に行くことによって幸せになろうとする。苛酷な過去を持つ三好は、自分は選挙にも行っている、でも、社会は変わらない、これ以上どうしろって言うのと呟く。同じ「こっちの世界」にいる人間として、もう一人、朔也が勤めるリアル・アバター会社の同僚が登場する。彼も三好と同じく恵まれない人間だが、その鬱屈を極端な手段で晴らそうとする。物語の中盤から、イフィーと呼ばれる「あっちの世界」の青年が登場する。子供の時の交通事故で、下半身に障害を持つ車椅子の若者だが、魅力的なアバターを創作する優れた才能で巨万の富を築いている。朔也は、自分の本心からの意図とは違った解釈をされて、インターネットで広められた「英雄的な行動」によって、この青年と知り合う。そして、この出会いは、朔也と三好の未来を変えていくことになる。また、最後まで「自由死」についての母親の本心は明らかにされないが、藤原と会って、朔也は自分の出生の秘密と、今まで知らなかった母の人生を知る。最終章で語られる「最愛の人の他者性」に直面するのだ。やがて、朔也が三好とも同僚とも違うやり方で、この分断された世界に向き合い、救いのある社会へと行動を始めようとする暗示で物語は終わる。豊富な語彙で表現される内面描写と個々人の詳しい関係性は省いたが、話の流れとしてはこんな感じだ。

この小説には、人間が持つ生死についての根本的な哲学的な問いと、今を生きる社会的視点が融合されている。自分を愛し、気にかけてくれる人のいない世界に価値があるのか。朔也は、母のいない世界で正しく生きることの意味を見出せなくなる。ある日、同居している三好が、自分が嵌っている「縁起」というVRのアプリを貸してくれる。それは、宇宙の始まりから未来までをも体験できる壮大なVRだった。そのヴァーチャルな宇宙空間をたゆたいながら、朔也は自分が宇宙そのものと一体化している感覚を持つ。宇宙を構成している一元素として彷徨い、いつしか太陽系の地球大気圏に突入。目眩く地球上の生命の盛衰。大宇宙の中の塵のような太陽系の中にある地球の上で、朔也という人間として存在した痕跡はちっぽけすぎて見えない。それは、何百億年のスケールの中のほんの瞬きほどの時間だった。やがて、太陽も地球も消滅して、ほんの束の間に朔也であったであろう元素は更に宇宙をたゆたう。母を構成していたであろう元素と、いつしかこの無限の宇宙で再び出会うことはあるのだろうか。「縁起」の体験は、朔也にある感覚、深い諦念というか、悟りとも呼べる感覚をもたらしたのではないか。けれども、だからこの生などちっぽけなものだ、となるのではなく、一瞬の煌めきだからこそ愛おしいという思い。人間としての肉体が消滅しても宇宙の元素として存在し続けるという実感。だが、宇宙時間の中の何百億万の1秒にも満たない瞬きであっても、人類の一員としての朔也は、人間時間の中で、今ここに生きているのだ。小説は、それを強く感じさせる。2040年のその社会は、貧富の差が歪に広がった社会。母は三好に、息子は優しい子だと語っていた。ここも、この小説の大事なところだと思う。朔也の、他者に寄り添わずにはいられないこの「優しさ」こそが、結局は強さにつながり、真っ当な社会を取り戻す鍵となるのかもしれない。朔也がコンビニで身体を張って、非暴力で外国人の店員を守ろうとした行為は、彼の知らないところで「英雄的な行動」としてユーテューブ上に広がった。それが、イフィーと知り合うきっかけにもなったし、心寄せる三好を「あっちの世界」に橋渡しして幸せを与えることにもなった。しかし、自分の本心が違うところにあったことを彼は知っている。本心と違う解釈をされていることに疚しさを抱きながらも、逆に、朔也はその「英雄的な行動」にふさわしい人間になろうとする。人の本心は様々に揺れ動く。朔也の母にせよ、もし社会的条件が違えば、「自由死」を望まなかったかもしれない。本当に十分生きたという思いだったのかは、最後までわからない。朔也の決意も、「本心」、本当の心からではなかった行為をきっかけに、やがては、心からそう行動したいという気持ちに変わっていく。人の心は不思議な力を持っていると思う。

じっくり読ませる作品だ。ストーリーとしても面白いし、作者の登場人物の設定も興味深い。読み手を時々立ち止まらせ、様々な思いを呼び起こさせる。そのうちの一つ。ふと、遠い昔の中学生の頃に新聞のコラム欄で読んだ文章が蘇った。その中で、ある思想家の言葉が引用されていた。一語一句はもう覚えていないが、内容はこんな感じだったと思う。人類も地球もいつかは滅びるけれど、我々は人類が永遠に生き続けるかのように振舞わなければならない。つまり、我々が孫子の世代、またそのずっと先の世代まで続くと思えば、自ずと明日を思い、今日を手入れする社会を作っていく姿勢になることだろう。未来から逆算して、今取るべき行動を考えるのではないだろうか。たとえ、本当は「滅びゆく存在」であろうとも。

 

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野の花

心にぴったり詩歌のリズム

今週のお題「575」

日本には、俳句や短歌がある。俳句は5・7・5、短歌は5・7・5・7・7だ。昔の日本人は、この形式で情景や心情を表した。伝統は今も脈々と受け継がれて、俳句や短歌を作る人の数は多い。いろいろな同人誌も数多あるようだ。

亡き父は俳句を作り、母は短歌を詠んでいた。二人とも趣味の会を楽しんでいたようだ。父の入っていた会の同人誌が2冊ほど手元に残っている。その中の父の一句が印象深い。 

「火車を待つ広野コスモス波のごと」たぶん、父の少年の頃の情景だと思う。おそらく大陸にいた頃だ。汽車を待つ線路の向こうに広がるコスモスの野原。渡る一陣の風に、コスモスが一面サーっと波のように揺れる。それを眺める、学制帽を被って絣の着物を着た少年の後ろ姿。そんな絵が目に浮かぶ。

母の歌は私の手元には残っていない。それが残念だ。与謝野晶子ばりの歌を詠んでいたようだ。亡くなってから思うのだが、母は秘かに自分の歌を世に出してみたかったのではないか。今の時代は、自費出版ならさほど難しくないだろう。様々なことが、母が生きていた頃とは大きく変わった。母が生きた時代は、一般の人には出版など手の届かないことだった。彼女の人生の証として、元気な間に出版してあげたかったという思いが残る。

散文詩もあるが、やはりこの詩歌のリズムは心にびったり入ってきて、日本語は美しいなあと感嘆する。それにしても、この17音、31音の中で情景を描写し、心情を歌う技の巧みさよ。この短さの中に思いを込め、詠みあげれば目の前に豊かな世界が広がる。

ところで、上田敏の「海潮音」というヨーロッパの訳詩集がある。明治時代に出版されたものだ。カール・ブッセやヴェルレーヌなど29人の詩人の詩を訳してまとめたものだという。カール・ブッセの「山のあなた」はあまりにも有名だ。

山のあなたの 空遠く「幸」(さいわい)住むと 人のいふ 

噫(ああ)われひとと 尋(と)めゆきて 涙さしぐみ かえりきぬ

山のあなたに なほ遠く「幸」住むと 人のいふ

カール・ブッセは、19世紀に活動したドイツの詩人である。日本では、彼の名はこの詩によって大変有名になったが、本国のドイツではそれほど知られていないのだという。ひとえに、上田敏の名訳のおかげらしい。それにしても、素晴らしい訳である。七五、七五と流麗に言葉がリズムを取っていく。日本人の心情にぴったりの流れだ。あこがれを謳う内容もさることながら、この日本語のリズムが情感を盛り上げていく。外国語の作品は、訳者の腕によって左右されるところが大きい。学生の時に、世界的に有名な哲学者の小説を読んだことがある。題名に惹かれて手に取ったのだが、日本語がこなれていなくて、読むのに往生した。その時に、文学作品における訳者の重要さを痛感したものだ。こちらでは、本の訳者の名前は表紙には書かれていない。けれども日本では、文学作品の場合は、作者と訳者の名前が並んでいたと記憶している。原文を日本語としていかにうまく訳すかによって、作品の味わいが違ってくるのだ。それだけ訳者の日本語力が大事になってくる。

日本語とドイツ語、日常的にこの二つの全く違う言語の間を行き来していると、言葉と文化の密接な関係についてはよく考える。俳句はHAIKUと呼ばれて、こちらでもドイツ語で作っている人たちがいる。自己流の解釈だが、俳句は叙事的描写、短歌は叙情的描写のような気がする。とすれば、俳句はHAIKUになっても、多分に日本的な情緒性を持って繊細な感情を謳う短歌は、こちらのメンタリティーに合うものだろうか。

 

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祖母と過ごした夏の思い出

今週のお題「そうめん」

そうめんというと、なぜか祖母の顔が浮かぶ。ある夏休みの昼ご飯の風景が蘇る。祖母はよくそうめんを茹でてくれた。時に酢ぞうめんにして食べたり、薬味を入れた出し汁につけて食べたり。畳の部屋に、祖母と幼い私が二人っきりで、丸い食卓を前に座っている心象風景。そうめんを食べて、麦茶を飲む。麦茶は祖母のお手製だった。毎晩、布の袋に炒った大麦を入れて薬缶で沸かして水に浸けておくと、翌朝には冷めている。冷蔵庫などない時代だった。氷売りが夏の風物詩で、毎日「氷〜、氷〜、氷はいらんかね〜」と大きな声で歌うようにして売りに来る。それを聞いて、入れ物を持って外に買いにいく人たち。アイスボックスに入れるのだ。氷屋さんは大きな氷を注文分だけ鋸で切ってくれる。霧の彼方のぼんやりした思い出だ。

そうめんから始まって、すっかり忘れていたあの頃の夏にまつわる言葉が、連想ゲームのように出てくる。麦茶、風鈴、すだれ、団扇、蚊帳、氷売り、打ち水、浴衣、線香花火、こおろぎの声、蝉しぐれ、そして、祖母のアッパッパーも。アッパッパーというのは、今風に言えば楽な木綿のサマードレス。私の中では、祖母のその姿も夏の風物詩だった。

明治生まれの祖母は、いつも着物を着ていた。いつもは楽な普段着の着物だったが、来客を迎える前にはきちんとよそ行きの着物に着替えていたものだ。それと、選挙の時には特別に紋付の羽織を着て投票に行っていた。祖母は言葉遣いや行儀作法には厳しい人だったが、さすがに真夏だけは、着物を脱いでアッパッパー姿になっていた。

祖母との思い出が懐かしい。今でも時々、麦茶の香りを嗅ぐと祖母との夏の時間の気配を感じる。夏のけだるい午後、腕枕をして横になりながら、少し掠れた声で昔の歌を歌ってくれたりした。小学生の時に世界の首都を覚えた時は、根気強く暗記の相手をしてくれたっけ。母に誉められた記憶はないが、祖母は器用な子だねえなどと言ってくれた。今思うと、ほんとにそうだったのかは怪しいところではあるが。とにかく、祖母がいてくれたことはありがたかった。

そんな大好きな祖母が亡くなった時、海外にいて子供が生まれたばかりの私は駆けつけることができなかった。その心残りはしばらく重く胸に沈んで、子供に「マッチ売りの少女」の絵本を読み聞かせる度に、涙を堪えるのがたいへんだった。少女が擦ったマッチの光の中に優しいお祖母さんが出てくるところで、どうしても涙声になってしまうのだ。あれからずいぶんと時が流れた。ほんとうに、ずいぶんと。けれども、今もふと思い出す。できることなら、もう一度会いたい。

 

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