スイス山里COSMOSNOMADO

アルプスの山を眺め空を見上げながら心に映る風景を綴ります

シャンソンは人生を語る歌

 

YouTubeのおかげで、日本シャンソン館というのがあるのを知った。群馬県の渋川市にあるという。今度帰省した際には、ぜひ訪ねてみたい。

私は、シャンソンが好きである。それも、出来れば日本語歌詞の歌を聴きたいし、歌いたい。シャンソンは、詞と語りが命。3分から5分の間に語られる物語。シャンソン歌手は、愛と命と人生を語る吟遊詩人と言う人もいる。私の母語は日本語だから、フランス語で語られても心に真っ直ぐは入ってこない。ああ、こういう心情を歌っているのだろうな、とは思っても、それは頭での理解であって、心に入るまでにワンクッションある。だから、日本人のシャンソン歌手には日本語で歌ってもらいたい。ところが、訳詞はなかなかに難しいものがあるのだ。まず、フランス語だと一つの音符に単語を載せられるから、一曲の情報量が多い。日本語では、基本的に一つの音符に1音か2音しか載せれらないから、描かれるストーリーが短くなる。

趣味でシャンソンを歌っているが、もちろん日本語で歌う。いい訳詞があれば、そのまま歌うが、今一つピンとこない時は、意訳してみる。難しいけれど、楽しい作業である。Je ne regrette rien を訳した時は、あれこれ頭を悩ませた。昔のことはもういいの、後悔はしないというのをどう表すか。そして、ハタと思いついたのが、これ。「 そう、いいのよ、そう、過ぎたことは。時の背中にみんな預けてきた」。この文句が湧いてきた時は、思わず膝を叩いた。「パリの空の下」も意訳してみた。意訳というか、かなり違ったものになった。パリの空はシテ島に恋しているというのが、最後の歌詞だったと思うが、私の詞には、それはなし。パリの空が、人々の乗っている人生の回転木馬をずっと見ている、てな感じにしてみた。

最近、瀬間千恵さんの「貴婦人」を聴いて鳥肌が立った。真に迫った語りと歌唱で一人の老婦人の人生を描き出す。素晴らしい表現力だ。シャンソンは、話す声で語るように歌うもの。朗読の表現にも通じる。瀬間さんは、なんと87歳だという。初めは、クラシックの声楽を勉強して、オペラ歌手として活躍するつもりだったのが、実際に本場ヨーロッパでオペラを聴いて、自分には合わないと、方向転換したのだそうだ。それから、地声で歌うように歌い方を変える訓練をして、やがて銀巴里で活躍。現在、現役最高齢のシャンソン歌手だそう。ソプラノ歌手は高齢になると難しくなるが、シャンソンは声帯が多少衰えても、声の渋さがかえって深みを出せる場合もあると思う。何だか希望を感じることだ。

もうひとつ、これは別の若い人が歌っていたのだが、「恋のロシアンカフェ」を聴いて思ったこと。これもまた、内容が深い。昔パリに、ロシア人が集うロシアンカフェと呼ばれるカフェがあった。そこには、黒い髪と黒い瞳の若い女性がいて、いつも紳士たちに囲まれていた。その美しさに男たちは恋心を掻き立てられるのだ。そこのバラライカ弾きは、彼女に恋していたが、叶わぬ恋の想いをバラライカの音に託すのみ。たくさんの恋が彼女を訪れていったが、やがて時は過ぎ、年老いて落ちぶれた彼女は、ささやかに貯めたお金を持って月に一度やってくる。そこにバラライカ弾きはもういない。この歌を聴いて思い出したのは、サマーセット・モームの小説「クリスマスの休暇」だ。10代の頃に読んだので、詳しいことはもうすっかり忘れてしまったが、オルガ公女の言葉だけは覚えている。オルガ公女は、ロシア革命の時にパリに亡命してきた貴族の娘である。近づいてくる者はたくさんいるが、彼女は思い上がらない。私がもし今きれいだとしたら、それは若さゆえのこと。時が経てばなくなるたぐいの美しさに過ぎない、というような。あの「ロシアンカフェ」の美女と違って、たぶん彼女は賢い選択をしたに違いない。と、書いたけれど、本当はどうなったか全く覚えていない。もう手元にはないので確認ができないのが残念。いつか機会があったら読み直してみよう。

シャンソンは、人生と命の儚さを歌う。すべては過ぎゆくもの。「ミラボー橋」の歌のように。だからこそ、すべては愛おしい。