スイス山里COSMOSNOMADO

アルプスの山を眺め空を見上げながら心に映る風景を綴ります

宮崎駿「君たちはどう生きるか」映画鑑賞記

期待の宮崎駿アニメ「君たちはどう生きるか」を観てきた。数週間前からチューリッヒでも封切られていたのに、最近気がついた。人があまり入らないと早々と打ち切りになるのだが、まだ続いているということは、それなりに集客があるということだろう。

さて、感想は。。。言わんとするメッセージはわかったけれど、それを伝えるために2時間はちょっと長すぎるような気がした。また、今までの宮崎作品に出てきたフィギュアたちの総集編のような感もある。絵は素晴らしい。宮崎駿アニメの背景画は本当に精密で、登場者たちの動きも細やかだ。背景画の立体性と、人物や動物たちの平面的な絵のコントラストが面白い。音楽はいつもの久石譲だったのだが、気が付かなかった。というのは、今までの作品とは違って、ずいぶんと引けているのだ。彼のテーマ音楽には、いつもそれ自身でドラマ性があったが、今回は背景に引っ込んでしまっている。意図的に、音楽にあまり場所を与えなかったのだろうか。今回の作品は、何と言うか、色々詰め込んで広がり過ぎてしまってから気がついて、急いで〆に入ったような印象を受けた。もちろん、映画には編集作業があるから、そんなことはないのだろうが、私の受けた感じとしてだ。あっちこっち行ってしまったが、そうだ、「君たちはどう生きるか」のテーマに戻さねば、と収束に持っていったような。。。

ここからは、私の解釈である。この映画にはいくつかの要素がある。メーテルリンクの「青い鳥」の中に出てくる未来の子供たちのような二人。眞人とヒミコは、この世に生まれる前の異世界では、世界を救うために協力し合う。だが、この世界には母と息子として、違う時間に生まれ出ることになっている。眞人は1943年現在で、たぶん13歳くらいか。母親は空襲で亡くなり、眞人は父親の工場がある、東京から離れた土地に疎開する。そこには、亡くなった母の実家で、妹の夏子が住んでいる大きな屋敷がある。父親は母の妹と結婚して、新しい母のお腹には赤ちゃんが宿っているらしい。夏子が異世界である塔の中に吸い込まれるように消えてしまい、眞人が彼女を救いに行く、そして、夏子が特別な産屋にいるというのも、何か示唆的だ。その異世界を支配しているのは、夏子たちの大叔父と巨大なインコの王様らしい。あとでわかるのだが、この塔は地球外から降って湧いたものらしく、変わり者の天才、大叔父は若い頃その中に入ったきり、この世界から忽然と姿を消して行方不明になっていたのだ。異世界で眞人の前に現れた、アインシュタインにも似た大叔父は、目の前の積み木が崩れないようにして、危うい世界の均衡を保っていた。そして、その自分の仕事を引き継ぐ者を待っていたのだ。それが、眞人だったらしい。眞人は、自分には世界は救えないと答えるが、その後、戦後の日本でどう生きていったのかが、私には興味深い。今の世界を見ていると、結果的には救えなかったのだと思う。眞人は、母の実家の部屋で、母が自分に贈ろうとした本を見つける。その中には手紙が挟んであって、大きくなってわかるようになったら読んでほしいというようなことが書いてある。そして、その本というのが、タイトルの「君たちはどう生きるか」なのだ。眞人は読みながら、自分の卑劣さを悔いて涙を流す。映画の最後の場面で、ふと思ったのが、宮崎駿は1943年生まれだったなあということ。終戦から程なく、眞人と継母の夏子は、あの時生まれた2歳くらいの子供を連れて東京に帰って行く。終戦の2年前に生まれたのだから、1943年生まれだ。この作品には、世界を救えなかった宮崎駿の無念と、後継に託す希望のメッセージが込められているのだろうか。

このアニメ映画は、受け手にわかりやすく伝えるよりも、作り手自身が目眩くファンタジーの作画を楽しんだ作品なのかもしれないな、というのが私の感想である。絵は、いつもどおり本当に見事だった。それにしても、こちらでのタイトルは「The Boy and the Heron」なのだが、青鷺は主役というより狂言回しというか、眞人を大叔父に導くためのメッセンジャーの役回りだ。この日本語タイトルの訳を考えた人は頭を捻ったに違いない。「君たちはどう生きるか」を直訳してもわかりにくいし、ここは意訳して観客を混乱させないための配慮が必要になる。映画タイトルというのは、集客にとても大事な役割を果たすから。それにしても、宮崎駿は、なぜメッセンジャーに青鷺を選んだのか、何を象徴しているのか気になって、ちょっと調べてみた。何でも、スピリチュアルの世界では、青鷺は決断力や判断力、自立心、知性、忍耐力を象徴しているのだそうだ。なるほど、世界を救うためには必要なキーワードではある。神からのメッセージを受け取るという意味もあるらしい。たしかに、あの塔は地上のものではなかったし、大叔父はもうすでに神の領域の人だった。