スイス山里COSMOSNOMADO

アルプスの山を眺め空を見上げながら心に映る風景を綴ります

映画 Perfect Days (パーフェクトデイズ)

先週の木曜日から、チューリッヒで「パーフェクトデイズ」が公開されている。封切りの日にさっそく観に行ってきた。マチネだったが、けっこう人が入っていた。

この映画は日本映画ではなくて、ドイツのヴィム・ヴェンダース監督が撮った作品。カンヌ映画祭で、役所広司さんが最優秀男優賞を受賞したことでも話題になった。観れば納得する演技力である。何しろ淡々とした映画で、ネットフリックスのドラマによくあるようなアクションはない。何と言ったらいいか、静かな美しい映画だった。会話も少ないし、これといった事件が起こるわけでもない。それを2時間引っ張っていくには、演技者の技量に頼るところが大きい。

映画は、平山というトイレ清掃人の日常を描く。浅草界隈に住んでいる平山は、毎朝、清掃用具を積み込んだ車を走らせて渋谷に向かう。有名建築家によって作られた渋谷区のデザイン公衆トイレの清掃の仕事をしているのだ。毎朝、車の中でカセットテープを流して、好きな音楽を聴く。その音楽が、平山の人となりを表す役割も果たしていて、なかなか心憎い演出だ。なにしろ、この平山という男は極端に無口な人間で、自分の意見を言うこともないし、人との会話から人物を推し量るのは難しいのである。彼の動きと表情、周りの人間の反応からしかわからない。描かれるのは、毎日のルーティーン。朝は早く起きると、きちんと布団を畳んで定位置に置き、流しで歯磨き洗面をして、植木鉢の植物たちに水遣りをする。それから、清掃人の制服に着替え、玄関に置いてあるコインを掴み外に出る。家の前の自動販売機で缶コーヒーを買って飲みながら、車に乗り込む。走り出してから、その時々で好きなカセットテープをかける。そう、平山はデジタルとは縁のない人間なのだ。趣味の写真を撮るカメラは、昔ながらのフィルムカメラ。携帯は持っているが、スマートフォンではなくていわゆるガラケー。たぶん、これも仕方なく業務用に持たされているのだろう。平山の簡素な部屋には、文庫本とカセットテープがずらっと並ぶ背の低い本棚と小さな箪笥があるのみ。たぶん数少ない持ち物などは押し入れにしまってあるのだろう。彼は、布団を押し入れに入れることはなく、部屋の隅に片付ける。渋谷の公園の横に車を停めると、清掃用具を取り出して一日の仕事が始まる。いくつかのトイレを回り、昼時になると公園でサンドイッチを食べる。たぶん、近くのコンビニで買うのだろう。食べながら空を見上げ、木々を仰ぐ。時にはカメラを取り出し、見上げた木々の写真を撮る。彼の植物たちへの眼差しがやさしい。仕事が終わると、家に戻って車を置いてから、銭湯で汗を流し、行きつけの大衆飯屋に向かう。そこで一杯飲みながら食事。店員も顔見知りで、「お疲れさま」、と彼が好きな飲み物がさっと出てくる。夜寝入る前には、布団の中で必ず文庫本を読む。そして、静かに一日が終わる。休みの日には、コインランドリーで洗濯して、写真屋にフィルムを持っていき、現像された写真を受け取って家で分類。小さな古本屋にも行く。また、石川さゆり演じるママさんのスナックの常連でもあるらしい。平山は、素朴で質素ながらも、彼にとってのパーフェクトデイズを送っている。

そんな生活にも何人かの登場人物が現れて、平山の過去が仄めかされる。姪が家出して彼の家に泊まりに来た数日の出来事で、彼がたぶん大きな会社の後継ながら、その生き方を選ばずに、父親と決別したのではないかということ。彼にとっては、出世や物質的成功よりも、内面の豊かさが大事なのではないかということ。平山は、敷かれたレールからは外れた、容易くはない自分の生き方を選んだのでは?しかし、こういったことを、多くの言葉の説明なしに表現するためには、優れた役者が必要だ。そういう意味で、この映画は、俳優役所広司の力量によるところ大だと思うのだ。それを端的に示しているのが、ラストシーンだと思う。運転している平山の表情が長い間クローズアップされる。何分間だろう、ずいぶん長い。音楽を聴きながら運転している平山の顔には、喜びと悲哀が入り混じった何とも言えない表情が浮かんでいる。笑い出しそうにも泣き出しそうにも見える彼の顔が、今までの人生を物語っているようだ。

この映画は、元々はヴィム・ヴェンダース監督が、渋谷のモダンな公衆トイレのプロモーションフィルムを頼まれたことが発端らしい。どうして彼に依頼されたのかはわからない。ヴェンダースは、どうせ作るなら物語にしたいということで、話が膨らんでいって劇映画になったとも聞いたことがある。ヴェンダース監督は、スイスの名優ブルーノ・ガンツ主演の「ベルリン・天使の詩」などが有名だ。時々出てくる平山の夢らしき白黒の映像と、実在するのか幻想なのかわからない、ホームレスのダンサーの映像を作中に入れているところに、ヴィム・ヴェンダースらしさが出ていると感じた。