スイス山里COSMOSNOMADO

アルプスの山を眺め空を見上げながら心に映る風景を綴ります

映画 Perfect Days (パーフェクトデイズ)

先週の木曜日から、チューリッヒで「パーフェクトデイズ」が公開されている。封切りの日にさっそく観に行ってきた。マチネだったが、けっこう人が入っていた。

この映画は日本映画ではなくて、ドイツのヴィム・ヴェンダース監督が撮った作品。カンヌ映画祭で、役所広司さんが最優秀男優賞を受賞したことでも話題になった。観れば納得する演技力である。何しろ淡々とした映画で、ネットフリックスのドラマによくあるようなアクションはない。何と言ったらいいか、静かな美しい映画だった。会話も少ないし、これといった事件が起こるわけでもない。それを2時間引っ張っていくには、演技者の技量に頼るところが大きい。

映画は、平山というトイレ清掃人の日常を描く。浅草界隈に住んでいる平山は、毎朝、清掃用具を積み込んだ車を走らせて渋谷に向かう。有名建築家によって作られた渋谷区のデザイン公衆トイレの清掃の仕事をしているのだ。毎朝、車の中でカセットテープを流して、好きな音楽を聴く。その音楽が、平山の人となりを表す役割も果たしていて、なかなか心憎い演出だ。なにしろ、この平山という男は極端に無口な人間で、自分の意見を言うこともないし、人との会話から人物を推し量るのは難しいのである。彼の動きと表情、周りの人間の反応からしかわからない。描かれるのは、毎日のルーティーン。朝は早く起きると、きちんと布団を畳んで定位置に置き、流しで歯磨き洗面をして、植木鉢の植物たちに水遣りをする。それから、清掃人の制服に着替え、玄関に置いてあるコインを掴み外に出る。家の前の自動販売機で缶コーヒーを買って飲みながら、車に乗り込む。走り出してから、その時々で好きなカセットテープをかける。そう、平山はデジタルとは縁のない人間なのだ。趣味の写真を撮るカメラは、昔ながらのフィルムカメラ。携帯は持っているが、スマートフォンではなくていわゆるガラケー。たぶん、これも仕方なく業務用に持たされているのだろう。平山の簡素な部屋には、文庫本とカセットテープがずらっと並ぶ背の低い本棚と小さな箪笥があるのみ。たぶん数少ない持ち物などは押し入れにしまってあるのだろう。彼は、布団を押し入れに入れることはなく、部屋の隅に片付ける。渋谷の公園の横に車を停めると、清掃用具を取り出して一日の仕事が始まる。いくつかのトイレを回り、昼時になると公園でサンドイッチを食べる。たぶん、近くのコンビニで買うのだろう。食べながら空を見上げ、木々を仰ぐ。時にはカメラを取り出し、見上げた木々の写真を撮る。彼の植物たちへの眼差しがやさしい。仕事が終わると、家に戻って車を置いてから、銭湯で汗を流し、行きつけの大衆飯屋に向かう。そこで一杯飲みながら食事。店員も顔見知りで、「お疲れさま」、と彼が好きな飲み物がさっと出てくる。夜寝入る前には、布団の中で必ず文庫本を読む。そして、静かに一日が終わる。休みの日には、コインランドリーで洗濯して、写真屋にフィルムを持っていき、現像された写真を受け取って家で分類。小さな古本屋にも行く。また、石川さゆり演じるママさんのスナックの常連でもあるらしい。平山は、素朴で質素ながらも、彼にとってのパーフェクトデイズを送っている。

そんな生活にも何人かの登場人物が現れて、平山の過去が仄めかされる。姪が家出して彼の家に泊まりに来た数日の出来事で、彼がたぶん大きな会社の後継ながら、その生き方を選ばずに、父親と決別したのではないかということ。彼にとっては、出世や物質的成功よりも、内面の豊かさが大事なのではないかということ。平山は、敷かれたレールからは外れた、容易くはない自分の生き方を選んだのでは?しかし、こういったことを、多くの言葉の説明なしに表現するためには、優れた役者が必要だ。そういう意味で、この映画は、俳優役所広司の力量によるところ大だと思うのだ。それを端的に示しているのが、ラストシーンだと思う。運転している平山の表情が長い間クローズアップされる。何分間だろう、ずいぶん長い。音楽を聴きながら運転している平山の顔には、喜びと悲哀が入り混じった何とも言えない表情が浮かんでいる。笑い出しそうにも泣き出しそうにも見える彼の顔が、今までの人生を物語っているようだ。

この映画は、元々はヴィム・ヴェンダース監督が、渋谷のモダンな公衆トイレのプロモーションフィルムを頼まれたことが発端らしい。どうして彼に依頼されたのかはわからない。ヴェンダースは、どうせ作るなら物語にしたいということで、話が膨らんでいって劇映画になったとも聞いたことがある。ヴェンダース監督は、スイスの名優ブルーノ・ガンツ主演の「ベルリン・天使の詩」などが有名だ。時々出てくる平山の夢らしき白黒の映像と、実在するのか幻想なのかわからない、ホームレスのダンサーの映像を作中に入れているところに、ヴィム・ヴェンダースらしさが出ていると感じた。

 

お餅の季節

今週のお題「餅」

お餅といえば、やはりお正月、というかお正月といえばお餅である。子供時代を思い出す。鏡餅は、父が準備して飾りつけたものだ。私が子供だった頃は、コンビニなどはなかったし、三が日は商店街もお休みで、母親たちは年の瀬におせち料理を作って、三日間の食事を用意した。いろいろとあったが、なかでも母の旨煮の味は忘れられない。三が日の朝は、みんな揃ってお膳を囲んで、お雑煮、昆布茶、黒豆、田作り、蒲鉾やお生酢その他諸々。お餅は、おやつにも食べた。一番好きだったのは辛味餅で、大根おろしにお醤油をかけて餅に絡めたもの。甘いお汁粉よりも好きだった。子供の頃から、辛党の気があったのかもしれない。

好みというのは面白いもので、必ずしも親から子に直接遺伝するものでもないらしい。というのは、息子はこちらで育ったくせに、大福とか白玉とか餅系のお菓子が好きなのだが、私は子供の頃から洋生菓子の方が好き。いつでも食べられたわけではないけれど。大福などは、こちらに来てから食べるようになった。つまり、どちらかといえば郷愁ゆえか。こちらでも、和菓子を作っている方がいる。バザーなどに出品していて人気のスタンドだ。そんな時に息子のお土産に買ったり、日本食料品店の冷凍ものを買ったりした。ある日、息子の寝顔を覗いていたら「お団子〜」と寝言を言った。小さい息子を連れて里帰りしていたから、その時に覚えた味である。そういえば、母は大福やお団子が大好きだった。そうか、隔世遺伝か。待てよ、小さい時に食べて美味しかった味は残るのかもしれない。あのモチモチ感が好きみたいだ。でも、母が好きだったということは、私も食べる機会はけっこうあったはずなのに、餡子ものはそんなに好きでもなかった。ということは?やはり持って生まれた好みがあるのかしら。そんな私が、一度腕を振るって?お団子を作ってみた。息子は楽しみにしていたのに期待が外れて半泣きの顔。本場のお団子とは違っていて申し訳ない。幼い頃のことだが、今でも思い出すと笑ってしまうというか、胸がキューンとしてしまう。以来、白玉粉に切り替えて、餡子をかけたり、甘辛醤油にこちらのMeizenaというとうもろこし粉でとろみをつけたり。それは、いつも喜んでくれたものだ。私はと言えば、苺のショートケーキが大好きで、日本で食べるのを楽しみにしている。こちらには薄力粉がないので、どうしても食感が重くなってしまう。日本のケーキはふんわりしていて美味しい。こちらのしっかりしたケーキも美味しいには美味しいが、私にはちょっと重くて甘すぎる。

もうすぐお正月がやってくる。お餅を買いに行かなくちゃ。値段はかなり高いが、日本食料品店で手に入る。少なくとも、元旦にはお雑煮を作っているし、お餅を焼いて甘辛両刀で食べたりもするので。日本にいたら、お餅にはあまりこだわりがなかったかもしれない。が、海外生活ゆえに懐かしさがあるのだ。こちらの日本人学校では父兄の手を借りて餅つき行事をしていた。今も続いているのかどうかはわからないが。それから、もうずいぶん昔のことになるけれど、チューリッヒの東洋美術館で日本祭りをした時には、日本人会の方たちが舞台の上で餅つきを披露して好評を博した。やはり、お餅は日本的なのだ。

 

クラブハウスの栄枯盛衰?

クラブハウスという音声SNSがある。2020年にアメリカで立ち上げられて、日本では2021年1月から大きなブームを巻き起こしたという。ちょうどコロナで自宅待機や外出自粛の時期だった。日本上陸当時は、招待制という特別感、有名人も参加していて直接話せるという興味もあって、多くの人の関心を集めたらしい。創立者は、日本での利用者急増を予想してなかったらしく、アプリの日本語での対応に追われたとも聞いた。クラブハウスの説明は、基本英語である。だから、最初は日本の利用者たちはそれぞれ模索しながら、互いに使い方を教え合うルームなどを開いていたようだ。

私は、2021年の4月から始めた。きっかけは、本当にたまたまのことである。こちらの日本人コミュニティーに、クラブハウスの招待券を差し上げます、という告知をしている人がいた。うん?クラブハウス?何それ?最初、ダンスクラブか何かと思ったが、読んでみて新しい音声SNSだというのはわかった。そこで、息子に、使ってる?と聞いてみたところ、アクティブには使ってないけど、一応アプリはインストールしていると言う。そして、僕が招待者になってアプリを入れてあげるよ、とサクサク進めてしまった。当時、私は遅ればせながらもデジタル元年を標榜していたので、ちょっと戸惑いながらも、ま、いいかと受け入れる。そして、恐る恐るプロフィールを書いて使い始めた。当時は、ホームラインに部屋(ルーム)が並んでいて、好きな時に好きなルームに入って、話を聞いたり自分も話したりできた。自分でルームを立ち上げるのも簡単で、たくさんの人たちの色々なルームがあって、覗いてみるのも楽しかった。あの時分は、ちょうど人が集まる催し物が出来なかった頃だ。音楽家が集まって遠隔操作で演奏をする部屋もあったりした。とても質の高い演奏で楽しませてもらった。また、仏教のお坊さんたちの部屋や、医療関係の人たちの部屋、話題のジャーナリスの方たちも参加して毎回論議する部屋など、かなり内容の濃い部屋も。あと、ビジネスのアドバイスをする部屋もあった。私は畑違いだが、主催者の方が感じがいいので、時々参加してみたりもした。また、ある若手の書道家の部屋には何百人も集まっていた。彼はかなり感情の起伏が豊かな人のようで、自分はクラブハウスに救われた、もう泣いて創業者に感謝するなどとも語っていた。そういえば、コロナが去った後はリアルが忙しくなったのだろう、とんとお見かけしなくなったが。もうクラブハウス中毒、住み込んでます、などと言う人もいたものだ。やはり、コロナの時期、みんなコミュニケーションに飢えていたのだろう。それに、なんでも出始めの頃は熱量が大きいものだ。最初はiPhoneのみの対応だったが、21年の夏頃からはAndroidにも対応するようになって、すでに入っていた人たちで歓迎の催し部屋もやっていた。みんなが、わからない人たちに教え合って、和気藹々とした雰囲気だった。考えてみれば、声ひとつで時空を超えて繋がるなんてアプリは目新しかったのだ。一方通行の音声発信はあっても、生で初めての人とも会話ができるなんていうのは画期的だったのではないか。中には、クラブハウスを通して結婚にまで至った人たちもいたらしい。また、クラブハウスの交流がきっかけで本を出版したとか、ビジネスに繋がったという話も聞いた。それだけ、最初の頃の熱気と繋がり感は大きかったということだろう。

けれでも、何かが流行ると必ず似たものが出てくるのは世の常。Twitterにも会話機能がついたし、他にも追随はあったのではないか。クラブハウスも招待制がなくなり、必ずしも本名を使う人ばかりではなくなり、最初の頃のどこかピュアな雰囲気から少しづつ変わっていったような気もする。その後ハウスが出来て、まあそこまではいいとして、それからまたまた機能が付け加わったり変わったり、複雑になってきた。しばらく使わない間にずいぶん変化して、今はかえって使いにくくなったので、あまり利用はしていない。どのくらいの人が残っているのだろうか。クラブハウスの創業者はどうやって収益を上げているのだろうか。経済的に行き詰まってはいやしないか。スタートアップ企業へのフォローはどのくらい続くのだろうか。ま、私が心配することでもないのだが、ちょっと気にはなったこと。久しく、ブームはもう去ったとも言われているし。

次々と新しいストリーミング機能やSNSが出てきている。そういった会社が生き残るにはなかなかに熾烈な戦いがあるのだろう。最近Spotifyについての新聞記事を読んで、ネットフリックスでドラマを観たから、余計にそう思う。

 

チーズフォンデュ

今週のお題「紅白鍋合戦2023」

スイスの鍋物と言ったら、それは何を置いてもチーズフォンデュだろう。寒い冬の日に、みんなで熱々のフォンデュ鍋を囲んで食べるのは楽しい。作り方もシンプルだし、お客さんを招く敷居も低くていいものだ。和食でお客さんをすると、いろいろと準備や調理に時間が掛かってしまうから、エイヤっと気合がいるが、これならほとんど手間がいらないので、思いたった時に気軽に招ける。

先日は、友人一家の家でチーズフォンデュをいただいた。11月の村のカブ祭りの後は、そこのお宅でフォンデュの夕食会をするのが恒例になっている。その時々によって、招かれるメンバーは少しずつ違うけれど、息子の代父をお願いした友人はいつも私達に声を掛けてくれる。そこは、村のチーズの専門店でチーズの特別ミックスアレンジをしてもらっている。なかなか濃厚な味だ。何種類も混ぜてあるが、何のチーズだろう。奥さんがニンニクが大好きなので、ニンニクを擦り下ろさずにそのまま鍋に入れてチーズと一緒に煮る。そして、フォンデュフォークで刺してチーズを絡めて掬い取るのだ。これがなかなか美味しい。友人宅では、ピクルスや野菜はない。ひたすらチーズ、チーズ。それに、飲み物として白ワインかキルシュ、あるいはハーブティーが付く。この間のお茶はほんのり甘味があって美味しかった。イタリアンレモンティーで、ミグロなどのスーパーで売っていると教えてもらった。後日、さっそく買いに行って、今はマイブーム真っ最中。ついこの間の、日本人の女子大生が来た時に出したら、今まで飲んだ中で一番美味しいハーブティーと感激していた。

チーズフォンデュは、各家庭で若干チーズの合わせ具合が違うらしい。我が家は、エメンタールチーズとグリュイエールチーズのミックス。まあ、一般的ではある。一度アッペンツェルチーズを試してみたが、ちょっと塩辛かった。茹でたブロッコリーやピクルスなども添えて食する。チーズフォンデュの時に飲むワインは、たいてい白ワインのファンダン。普通フォンデュには白と言われているが、別に赤だって構わない。これは好みの問題だと思っている。現に、夫は白ワインは身体に合わないので、もっぱら赤ワインを飲んでいる。初めて食べた時、水を合わせるのは良くないと聞いた。だからアルコールがダメな人はお茶というわけだ。

ホンデュシノワーズも、人気の鍋だ。日本のしゃぶしゃぶみたいな物である。薄切りの牛肉を専用の長いフォークに刺し絡め、ブイヨンに潜らせて掬い上げて、いろんなソースを付けて食する。クリスマスなど、家族が集まる時に食べる事が多いようである。肉料理でちょっと豪華だが、主婦にはあまり手間が掛からないのが人気なのかもしれない。

スイスに来たら、やはり一度はチーズフォンデュを食べてみたいというのが、ツーリストの思いだろう。だから、本来は冬の風物詩なのだが、チューリッヒのチーズフォンデュのレストランなどには、夏でもお客さんが並んでいる。ラクレットも、クリスマスマーケットの屋台の定番でもあるが、季節を問わず人気の食べ物だ。やはり、何と言ってもチーズはスイス、スイスと言ったらチーズ。チーズ、ヨーグルト、チョコレートはスイスの右に出るものはないかな?とはスイスが第二の故郷になった者の言である。

「ザ・クラウン」や「プレイリスト」を観て湧いた色々な思いについて書いてみる

ネットフリックス「ザ・クラウン」の最終シーズン6の配信が始まった。パートを二つに分けて、11月16日と12月14日に配信。シーズン5からかなり間が開いた感じだ。エリザベス女王の物語は見応えがあった。一本筋の通った人間の生き方。だが、ダイアナ元妃の登場となると、英王室が抱える問題は微妙で、いろいろ調整があったのかもしれない。私としては、ネットフリックスの視聴を始めた元々の理由は、この「ザ・クラウン」にあった。それで、ずいぶん長らく待たされた思いだ。「ダウントンアビー」は面白かったが、他にこれを観たいというものも特になかったし、そろそろ解約しようかとも思っていた。最初の頃は今よりも観ていたが、どうもネットフリックスシリーズ物の過激な描写が肌に合わず。たまに観るのはもっぱら夢あり系のアニメに落ち着いていた。

さて、待っていた「ザ・クラウン」最終シーズンのパート1は全部見終わって、あとはパート2を待つばかり。パート1は、ダイアナとドディ氏の話で、最後は、あのあまりにも有名な葬儀とエリザベス女王のスピーチで終わる。1997年のことだから、今からもう26年も前のことになる。あの事件は衝撃的だった。そして、あの時も思ったことだが、世界中のあの悲しみようにかすかに違和感を感じた。今回観て再度感じたのは、人々は有名人の悲劇の物語に心動かされるのだということ。もちろん、ダイアナさんの死は大変痛ましい。若くして最愛の息子たちを残して逝ってしまった。公爵夫人を夢見て結婚した世間知らずの若い貴族の女性。それが夫の裏切りに会い、苦しみながらも因習の残る王室で孤立無縁。彼女の愛されたいという気持ち、承認欲求を満たしてくれたのは大衆だったが、逆にそれが仇となってパパラッチに追いかけられるようになる。大衆はダイアナの写真と話題を求め、それを提供する者たちには莫大なお金が入った。ちょっとした違和感は、感情に流される大衆の姿だ。あの献花の数、抱き合って泣く人たち、まるでデモのように街頭を埋め尽くしバッキンガム宮殿を囲む人たち。でも、同じ大衆が、今も戦争で亡くなっている人たちを悼むために、あれだけの数で街頭に出て肩を抱き合い涙を流し献花をするだろうか。言ってみれば、ダイアナよりも若く美しく賢く優しいのに殺されていく無名の女性たちだってたくさんいるはずなのだ。もし、大衆があれだけのエモーションで戦争反対を叫んだならば、世界を救えるだろうか。

パート2では、ウイリアム王子とキャサリン妃の出会いとその後に焦点が当てられていくらしい。キャサリンさんは若くてもだいぶ大人な感じだったが、さてどう描かれているのか楽しみである。ところで、チャールズ皇太子の若い時の俳優さんはそっくりだったけれど、このシリーズでは全くご本人とは違う外見の俳優さんが演じている。たぶん、あまり似過ぎていると生々しくなるので、意図的に避けたのかもしれない。

次は「プレイリスト」である。最近、Spotifyについての新聞記事を読んで、この作品に興味を持って観始めた。新聞記事の見出しは、Spotifyの大きな間違い、と言うもの。私はあまり縁がないが、この音楽ストリーミングを利用している人は大変多いらしい。このSpotifyは、ダニエル・エクという人が15年前に立ち上げたスエーデンの会社だ。この創立は、音楽業界を根底から変えてしまった革命とも言えるものだそう。エクは、音楽だけでなく、音声コンテンツ全体への進出を図っているということだ。ただ、収益は損失していると言う。この「プレイリスト」がどういう作品になっているのか見ものである。Spotifyについて観たり読んだりして思うのは、こういったITというかデジタル関係の会社を立ち上げる創業者は、皆強い個性の持ち主だということ。何と言われても絶対に自分の信念を曲げることなく突き進んでいく。妥協をしない頑固者でもある。だが、本当に賢明な人間は真の曖昧さの価値を知っている。彼らが、自分の利益だけでなく人類の幸福への視点を持っている場合はいいが、もしそうでないならば、いや、初めはそうでもそうでなくなっていくならば、その危険性は計り知れない。AIだってそうだ。世界の方向性と私たちの運命が、一部のIT天才?たちに握られていると考えると、ちょっと薄気味悪いものがある。

チューリッヒで黒澤明「生きる」を鑑賞


スイス・日本協会という文化交流団体主催の日本映画上映会があった。上映作品は、黒澤明監督の不朽の名作「生きる」。1952年の作品で、志村喬が主演している。雪降る公園で、ひとりブランコに乗りながら「ゴンドラの唄」を歌うシーンは、あまりにも有名だ。志村喬は、数多くの黒澤作品に出演している。今回、この映画を見返してみて、あらためて名優だと思った。「いのち短し、恋せよ乙女…」と、掠れ声で歌う姿は、人生の意味を問うて味わい深い。

志村喬演じるこの映画の主人公は、ある市役所の市民課の課長をしている。なんの熱意もなくお役所仕事を何十年も続ける毎日だった。ある日、胃の不調を訴えて病院に行った彼は、胃潰瘍だと医者に言われるが、実は胃癌に違いないと確信する。同居している息子夫婦にも打ち明けられず、当時は死の宣告同然だった病に自殺さえ考えるがそれも出来ず、大金を下ろして街を彷徨う。そして、ある飲み屋で知り合った小説家に打ち明けることになる。「自分は今まで生きていなかった」と言う彼に、小説家は存分に享楽を味合わせようと、メフィスト役を申し出る。夜の街を案内して、パチンコ屋、ナイトクラブ、ストリップ劇場、快楽の場所を回るのだ。喧騒と女たちの艶やかな肢体。主人公の男は生涯無縁だった世界を知るが、それも一時の憂さ晴らしに過ぎない。自分は妻に死に別れた後、男やもめとして一人息子を育てるために人生を捧げてきた。しかし、息子の結婚後はなんとはなしに距離ができている。いったい自分の人生は何だったのか、自分は今まで生きてきたと言えるのか。

 

いのち短し 恋せよ乙女
あかき唇 褪(あ)せぬ間に
熱き血潮の 冷えぬ間に
明日(あす)の月日は ないものを

 

自分は何もせぬまま、何も残さぬまま人生を終えていくのか。彼の心は、どうしようもない虚しさと焦燥感に苛まれる。そこへ、辞表を出しにきた女子事務員との交流にも後押しされて、彼はある決意を固める。残された命を本当の仕事をするために捧げるのだ。その頃、地域の母親たちが近隣の不衛生な環境に困り果て、土地を整備して子供達のために公園を作ってくれるよう市役所に陳情を重ねていた。しかし、どこの課も全く取り合ってくれず、たらい回しにされるばかり。病気を得るまでの主人公もそんなお役所仕事組だったが、残された時間を本当に「生きる」ために、彼は公園の実現に尽力することを決意。しかし、何事も上を仰がなければ決められない官僚主義が立ちはだかる。彼の葬式に集まった同僚たちの口から様々に語られる思い出話から、主人公の苦労が再現される。事なかれ主義、利権、そして成功した暁にはすべてが上の者の手柄にされる文化。主人公はこの事業を全身全霊で完遂したが、所詮一課長にすぎないと。そんな時、母親たちが焼香させてほしいと訪ねてくる。泣きながら線香をあげて感謝の言葉を述べる。彼女たちは知っていた、公園を作ったのは他でもない主人公の尽力だったということを。そして、最後にその夜の巡回をしていたお巡りさんが現れる。彼の証言で、主人公の男が雪の公園でひとり「ゴンドラの唄」を口ずさみながらブランコを漕いでいたことを。あの時声を掛けていればと、巡査は涙ぐむ。だが、男はなぜか嬉しそうにも見えたので通り過ぎたと。その後、主人公は事切れたのだった。

黒澤は、やはり巨匠と呼ばれるに相応しい監督だ。彼の人間洞察は鋭い。この映画のラストシーンは、一度出来上がった社会構造の壁の厚さと人間の性(さが)をよく表していて、甘さがない。この監督の基本にはヒューマニズムがあるが、同時に人間の弱さと中に潜む闇も見逃さない。葬式の席で、一度は主人公に感銘を受けてこれからの改革を誓った職員たちも、やがてはまた元のお役所仕事に戻っていくのである。こういったラストシーンは、「七人の侍」にも見られる。非常時には侍たちを頼り敬慕していた農民たちの、平時に戻った時の豹変ぶりだ。

この「生きる」は、2022年にオリバー・ハーマス監督、ビル・ナイの主演でイギリス映画「Living」としてリメイクされ好評を博した。脚本は、あのノーベル文学賞作家のカズオ・イシグロである。見逃したこの映画もぜひ観てみたい。

 

航空券を調べていて思い出したことあれこれ

 

来春の日本行き航空券をいろいろ調べている。去年の春に比べてかなり値上がりしている感じ。ANAが気に入ったので、今回もANAにしたい。去年の春は、ルフトハンザのストライキで、帰便の急な変更を迫られて大変だった。ルフトハンザとの共同運行便だったからである。あの時は、インターネットの旅行社で切符を取らないで良かったと、つくづく思った。若い人はなんでもチャチャッとスマホで自分でやってしまうのだろうが、私には無理。電話も混み合っていて繋がらず、スイスのANAのオフィスに相談して助けていただいた。いつも本当に感じの良い丁寧な対応をしてくださる。だがしかし、ANAで航空券を取っても、直行便はスイスインターナショナルの共同運行便となって、機材も乗務員もスイスになる。乗り換えなしが一番楽なのだが、実は、ANAのドリームライナーに乗ってみたいのだ。そうなると、まずフランクフルトかミュンヘンへ飛ばなければならない。それで、Webサイトを見ながら検討しているところである。

私の記憶では、1995年頃までは航空運賃は高かった。90年代の半ば過ぎから、破格で1500フラン代の航空券が出てきたように思う。30数年前は、チューリッヒにあった欧日協会というところで、団体航空券として買うのが一番安かったが、それでも、2800フランくらいはしたと思う。エコノミーである。それも、42日以内に往復しなければならないという条件付きだった。ただ、エコノミークラスでも、今の飛行機の座席に比べるとゆったりしていた。いつごろからだろう、あんなに詰め込むようになったのは。海外旅行者が増えたからかもしれないが、価格を下げた分、たくさん乗せて採算を取るようになったのかもしれない。やがて、シーズンオフの2月などは、1000フランを切るチケットも出てきた。

痛ましい凋落は、スイスエアだった。スイスエアすなわちスイス航空は、2001年秋のグラウンディングで倒産してしまった。長い間、堅実で安全、サービスの品質の高さでも世界有数の航空会社としての名を誇っていた。けれども、経営不振に陥ったサベナ航空を傘下に置いたり、手を広げすぎて業績に翳りが出てくる。経営を一新すべく、大会社の経営を立て直した敏腕のコルティ氏をCEOに招いた。彼はすでに成功していた人だったから、わざわざ困難な仕事を引き受ける必要もなかっただろうが、やはり、ナショナルフラッグであるスイスエアを救いたいという思いが強かったのだろう。グランディングで思ったのだが、火の車で資金のやりくりをしながら立て直しに頑張っていたのではないか。大変な心労を抱えながらの仕事だったろう。2001年の10月初めに起きたことは、スイス人なら誰も忘れえないはずだ。それだけ、衝撃的なことだった。もし、UBSがその日までに融資していれば、スイスエアの飛行機が全世界で止まることはなかった。その数日前からのテレビ報道はよく覚えている。どうして融資しないのかと問われると、副頭取は、頭取りが海外出張中で捕まらないので判断できないと、私の印象では、どこかのらりくらりと答える。たぶん、融資するつもりはなかったのではないか、あるいは何か取引の意図を持っていたのか。当時の頭取オスペル氏は、経営者たちが信じられないほど高額の報酬を受け取る習慣を持ち込んだ人間の一人だ。ナショナルフラッグ、スイス人の誇りというよりも、自分と自企業だけの近視眼的利益追求型の経営者だったのかもしれない。そういう意味では、コルティ氏とは対照的だ。けっきょく、スイスエアはルフトハンザに吸収される。スイスインターナショナルとして、スイスの名前は残ったが、もうスイスの企業ではない。あの時のスイス人の嘆きと怒りは大きかった。チューリッヒに、クローネンハーレと呼ばれる高級レストランがある。銀行や企業の経営者などもよく利用しているところらしい。オスペル氏は、グラウンディング後、そこのレストランからは入店を断られた、あるいは皆に白い目で見られて行けなくなったのか、そんなふうに聞く。

さて、旅行社が航空券を売っていた時代は終わりを告げた。それには、コロナも拍車をかけたところがある。いつもお願いしていた旅行社も店を畳んでしまった。電話をすると、丁寧に要望を聞いて適切な便を提案してくれて、そして航空券を郵送してくれたものだ。もちろん、その分手数料を払うわけだが、安心感があった。今は、全部自分で調べて、ウェブ上で予約して、クレジットカードで払って、メールで送られてきたeチケットを印刷してと、自分がサービス業をやっているみたいだ。それでも、航空運賃が安ければ納得だが、これから高くなっていくとしたら、なんだかちょっと変な感じもする。

10年ほど前までは、乗客は大半が日本人のグループで、個人旅行者は少なかったし、外国人も少なかった。それが今は逆転して、大半が外国人になっている。特に今は、異常なほどの円安だから、日本人には海外旅行は高いものになっているし、外国人には逆に日本旅行は安くなったわけだ。海外にいると、日本の経済力が落ちたのが如実に感じられる。ということは、国力が落ちたということか。残念なことだ。

今は、各座席前に液晶画面が付いていて、個人個人が思い思いに好きなものを観ることができるようになっているが、それはいつ頃からだったろうか。ちょっと思い出せない。昔は、機内にいくつか大きいスクリーンがあって、みんなで同じものを観ていた。当時は、日本航空がチューリッヒまで来ていて、搭乗すると、その朝のNHKのニュースを大きいスクリーンで観たものだ。ああ、日本、と懐かしい気持ちが込み上げてきた。今では想像できないことだが、こちらでは全く日本の情報とは遮断されていたわけだから。そして、しばらくして食事が配膳される。その後は、機内の照明が落とされて、映画の上映がある。映画館というわけだ。観ない人もいただろうから、音はどうしていたのだろうか。座席にイヤフォーンが付いていたのかもしれない。けっこう記憶が遠くなっている。

みんなが同じものを観ていた時代。世代を超えて流行り歌を聴いていた時代。今は、個人個人が自分の好みで選ぶ時代になっている。それはそれでいいのだが、世代を超えた共通言語がなくなっていくとしたら、それはちょっと残念ではある。