スイス山里COSMOSNOMADO

アルプスの山を眺め空を見上げながら心に映る風景を綴ります

航空券を調べていて思い出したことあれこれ

 

来春の日本行き航空券をいろいろ調べている。去年の春に比べてかなり値上がりしている感じ。ANAが気に入ったので、今回もANAにしたい。去年の春は、ルフトハンザのストライキで、帰便の急な変更を迫られて大変だった。ルフトハンザとの共同運行便だったからである。あの時は、インターネットの旅行社で切符を取らないで良かったと、つくづく思った。若い人はなんでもチャチャッとスマホで自分でやってしまうのだろうが、私には無理。電話も混み合っていて繋がらず、スイスのANAのオフィスに相談して助けていただいた。いつも本当に感じの良い丁寧な対応をしてくださる。だがしかし、ANAで航空券を取っても、直行便はスイスインターナショナルの共同運行便となって、機材も乗務員もスイスになる。乗り換えなしが一番楽なのだが、実は、ANAのドリームライナーに乗ってみたいのだ。そうなると、まずフランクフルトかミュンヘンへ飛ばなければならない。それで、Webサイトを見ながら検討しているところである。

私の記憶では、1995年頃までは航空運賃は高かった。90年代の半ば過ぎから、破格で1500フラン代の航空券が出てきたように思う。30数年前は、チューリッヒにあった欧日協会というところで、団体航空券として買うのが一番安かったが、それでも、2800フランくらいはしたと思う。エコノミーである。それも、42日以内に往復しなければならないという条件付きだった。ただ、エコノミークラスでも、今の飛行機の座席に比べるとゆったりしていた。いつごろからだろう、あんなに詰め込むようになったのは。海外旅行者が増えたからかもしれないが、価格を下げた分、たくさん乗せて採算を取るようになったのかもしれない。やがて、シーズンオフの2月などは、1000フランを切るチケットも出てきた。

痛ましい凋落は、スイスエアだった。スイスエアすなわちスイス航空は、2001年秋のグラウンディングで倒産してしまった。長い間、堅実で安全、サービスの品質の高さでも世界有数の航空会社としての名を誇っていた。けれども、経営不振に陥ったサベナ航空を傘下に置いたり、手を広げすぎて業績に翳りが出てくる。経営を一新すべく、大会社の経営を立て直した敏腕のコルティ氏をCEOに招いた。彼はすでに成功していた人だったから、わざわざ困難な仕事を引き受ける必要もなかっただろうが、やはり、ナショナルフラッグであるスイスエアを救いたいという思いが強かったのだろう。グランディングで思ったのだが、火の車で資金のやりくりをしながら立て直しに頑張っていたのではないか。大変な心労を抱えながらの仕事だったろう。2001年の10月初めに起きたことは、スイス人なら誰も忘れえないはずだ。それだけ、衝撃的なことだった。もし、UBSがその日までに融資していれば、スイスエアの飛行機が全世界で止まることはなかった。その数日前からのテレビ報道はよく覚えている。どうして融資しないのかと問われると、副頭取は、頭取りが海外出張中で捕まらないので判断できないと、私の印象では、どこかのらりくらりと答える。たぶん、融資するつもりはなかったのではないか、あるいは何か取引の意図を持っていたのか。当時の頭取オスペル氏は、経営者たちが信じられないほど高額の報酬を受け取る習慣を持ち込んだ人間の一人だ。ナショナルフラッグ、スイス人の誇りというよりも、自分と自企業だけの近視眼的利益追求型の経営者だったのかもしれない。そういう意味では、コルティ氏とは対照的だ。けっきょく、スイスエアはルフトハンザに吸収される。スイスインターナショナルとして、スイスの名前は残ったが、もうスイスの企業ではない。あの時のスイス人の嘆きと怒りは大きかった。チューリッヒに、クローネンハーレと呼ばれる高級レストランがある。銀行や企業の経営者などもよく利用しているところらしい。オスペル氏は、グラウンディング後、そこのレストランからは入店を断られた、あるいは皆に白い目で見られて行けなくなったのか、そんなふうに聞く。

さて、旅行社が航空券を売っていた時代は終わりを告げた。それには、コロナも拍車をかけたところがある。いつもお願いしていた旅行社も店を畳んでしまった。電話をすると、丁寧に要望を聞いて適切な便を提案してくれて、そして航空券を郵送してくれたものだ。もちろん、その分手数料を払うわけだが、安心感があった。今は、全部自分で調べて、ウェブ上で予約して、クレジットカードで払って、メールで送られてきたeチケットを印刷してと、自分がサービス業をやっているみたいだ。それでも、航空運賃が安ければ納得だが、これから高くなっていくとしたら、なんだかちょっと変な感じもする。

10年ほど前までは、乗客は大半が日本人のグループで、個人旅行者は少なかったし、外国人も少なかった。それが今は逆転して、大半が外国人になっている。特に今は、異常なほどの円安だから、日本人には海外旅行は高いものになっているし、外国人には逆に日本旅行は安くなったわけだ。海外にいると、日本の経済力が落ちたのが如実に感じられる。ということは、国力が落ちたということか。残念なことだ。

今は、各座席前に液晶画面が付いていて、個人個人が思い思いに好きなものを観ることができるようになっているが、それはいつ頃からだったろうか。ちょっと思い出せない。昔は、機内にいくつか大きいスクリーンがあって、みんなで同じものを観ていた。当時は、日本航空がチューリッヒまで来ていて、搭乗すると、その朝のNHKのニュースを大きいスクリーンで観たものだ。ああ、日本、と懐かしい気持ちが込み上げてきた。今では想像できないことだが、こちらでは全く日本の情報とは遮断されていたわけだから。そして、しばらくして食事が配膳される。その後は、機内の照明が落とされて、映画の上映がある。映画館というわけだ。観ない人もいただろうから、音はどうしていたのだろうか。座席にイヤフォーンが付いていたのかもしれない。けっこう記憶が遠くなっている。

みんなが同じものを観ていた時代。世代を超えて流行り歌を聴いていた時代。今は、個人個人が自分の好みで選ぶ時代になっている。それはそれでいいのだが、世代を超えた共通言語がなくなっていくとしたら、それはちょっと残念ではある。