スイス山里COSMOSNOMADO

アルプスの山を眺め空を見上げながら心に映る風景を綴ります

チューリッヒで黒澤明「生きる」を鑑賞


スイス・日本協会という文化交流団体主催の日本映画上映会があった。上映作品は、黒澤明監督の不朽の名作「生きる」。1952年の作品で、志村喬が主演している。雪降る公園で、ひとりブランコに乗りながら「ゴンドラの唄」を歌うシーンは、あまりにも有名だ。志村喬は、数多くの黒澤作品に出演している。今回、この映画を見返してみて、あらためて名優だと思った。「いのち短し、恋せよ乙女…」と、掠れ声で歌う姿は、人生の意味を問うて味わい深い。

志村喬演じるこの映画の主人公は、ある市役所の市民課の課長をしている。なんの熱意もなくお役所仕事を何十年も続ける毎日だった。ある日、胃の不調を訴えて病院に行った彼は、胃潰瘍だと医者に言われるが、実は胃癌に違いないと確信する。同居している息子夫婦にも打ち明けられず、当時は死の宣告同然だった病に自殺さえ考えるがそれも出来ず、大金を下ろして街を彷徨う。そして、ある飲み屋で知り合った小説家に打ち明けることになる。「自分は今まで生きていなかった」と言う彼に、小説家は存分に享楽を味合わせようと、メフィスト役を申し出る。夜の街を案内して、パチンコ屋、ナイトクラブ、ストリップ劇場、快楽の場所を回るのだ。喧騒と女たちの艶やかな肢体。主人公の男は生涯無縁だった世界を知るが、それも一時の憂さ晴らしに過ぎない。自分は妻に死に別れた後、男やもめとして一人息子を育てるために人生を捧げてきた。しかし、息子の結婚後はなんとはなしに距離ができている。いったい自分の人生は何だったのか、自分は今まで生きてきたと言えるのか。

 

いのち短し 恋せよ乙女
あかき唇 褪(あ)せぬ間に
熱き血潮の 冷えぬ間に
明日(あす)の月日は ないものを

 

自分は何もせぬまま、何も残さぬまま人生を終えていくのか。彼の心は、どうしようもない虚しさと焦燥感に苛まれる。そこへ、辞表を出しにきた女子事務員との交流にも後押しされて、彼はある決意を固める。残された命を本当の仕事をするために捧げるのだ。その頃、地域の母親たちが近隣の不衛生な環境に困り果て、土地を整備して子供達のために公園を作ってくれるよう市役所に陳情を重ねていた。しかし、どこの課も全く取り合ってくれず、たらい回しにされるばかり。病気を得るまでの主人公もそんなお役所仕事組だったが、残された時間を本当に「生きる」ために、彼は公園の実現に尽力することを決意。しかし、何事も上を仰がなければ決められない官僚主義が立ちはだかる。彼の葬式に集まった同僚たちの口から様々に語られる思い出話から、主人公の苦労が再現される。事なかれ主義、利権、そして成功した暁にはすべてが上の者の手柄にされる文化。主人公はこの事業を全身全霊で完遂したが、所詮一課長にすぎないと。そんな時、母親たちが焼香させてほしいと訪ねてくる。泣きながら線香をあげて感謝の言葉を述べる。彼女たちは知っていた、公園を作ったのは他でもない主人公の尽力だったということを。そして、最後にその夜の巡回をしていたお巡りさんが現れる。彼の証言で、主人公の男が雪の公園でひとり「ゴンドラの唄」を口ずさみながらブランコを漕いでいたことを。あの時声を掛けていればと、巡査は涙ぐむ。だが、男はなぜか嬉しそうにも見えたので通り過ぎたと。その後、主人公は事切れたのだった。

黒澤は、やはり巨匠と呼ばれるに相応しい監督だ。彼の人間洞察は鋭い。この映画のラストシーンは、一度出来上がった社会構造の壁の厚さと人間の性(さが)をよく表していて、甘さがない。この監督の基本にはヒューマニズムがあるが、同時に人間の弱さと中に潜む闇も見逃さない。葬式の席で、一度は主人公に感銘を受けてこれからの改革を誓った職員たちも、やがてはまた元のお役所仕事に戻っていくのである。こういったラストシーンは、「七人の侍」にも見られる。非常時には侍たちを頼り敬慕していた農民たちの、平時に戻った時の豹変ぶりだ。

この「生きる」は、2022年にオリバー・ハーマス監督、ビル・ナイの主演でイギリス映画「Living」としてリメイクされ好評を博した。脚本は、あのノーベル文学賞作家のカズオ・イシグロである。見逃したこの映画もぜひ観てみたい。