スイス山里COSMOSNOMADO

アルプスの山を眺め空を見上げながら心に映る風景を綴ります

「ザ・クラウン」や「プレイリスト」を観て湧いた色々な思いについて書いてみる

ネットフリックス「ザ・クラウン」の最終シーズン6の配信が始まった。パートを二つに分けて、11月16日と12月14日に配信。シーズン5からかなり間が開いた感じだ。エリザベス女王の物語は見応えがあった。一本筋の通った人間の生き方。だが、ダイアナ元妃の登場となると、英王室が抱える問題は微妙で、いろいろ調整があったのかもしれない。私としては、ネットフリックスの視聴を始めた元々の理由は、この「ザ・クラウン」にあった。それで、ずいぶん長らく待たされた思いだ。「ダウントンアビー」は面白かったが、他にこれを観たいというものも特になかったし、そろそろ解約しようかとも思っていた。最初の頃は今よりも観ていたが、どうもネットフリックスシリーズ物の過激な描写が肌に合わず。たまに観るのはもっぱら夢あり系のアニメに落ち着いていた。

さて、待っていた「ザ・クラウン」最終シーズンのパート1は全部見終わって、あとはパート2を待つばかり。パート1は、ダイアナとドディ氏の話で、最後は、あのあまりにも有名な葬儀とエリザベス女王のスピーチで終わる。1997年のことだから、今からもう26年も前のことになる。あの事件は衝撃的だった。そして、あの時も思ったことだが、世界中のあの悲しみようにかすかに違和感を感じた。今回観て再度感じたのは、人々は有名人の悲劇の物語に心動かされるのだということ。もちろん、ダイアナさんの死は大変痛ましい。若くして最愛の息子たちを残して逝ってしまった。公爵夫人を夢見て結婚した世間知らずの若い貴族の女性。それが夫の裏切りに会い、苦しみながらも因習の残る王室で孤立無縁。彼女の愛されたいという気持ち、承認欲求を満たしてくれたのは大衆だったが、逆にそれが仇となってパパラッチに追いかけられるようになる。大衆はダイアナの写真と話題を求め、それを提供する者たちには莫大なお金が入った。ちょっとした違和感は、感情に流される大衆の姿だ。あの献花の数、抱き合って泣く人たち、まるでデモのように街頭を埋め尽くしバッキンガム宮殿を囲む人たち。でも、同じ大衆が、今も戦争で亡くなっている人たちを悼むために、あれだけの数で街頭に出て肩を抱き合い涙を流し献花をするだろうか。言ってみれば、ダイアナよりも若く美しく賢く優しいのに殺されていく無名の女性たちだってたくさんいるはずなのだ。もし、大衆があれだけのエモーションで戦争反対を叫んだならば、世界を救えるだろうか。

パート2では、ウイリアム王子とキャサリン妃の出会いとその後に焦点が当てられていくらしい。キャサリンさんは若くてもだいぶ大人な感じだったが、さてどう描かれているのか楽しみである。ところで、チャールズ皇太子の若い時の俳優さんはそっくりだったけれど、このシリーズでは全くご本人とは違う外見の俳優さんが演じている。たぶん、あまり似過ぎていると生々しくなるので、意図的に避けたのかもしれない。

次は「プレイリスト」である。最近、Spotifyについての新聞記事を読んで、この作品に興味を持って観始めた。新聞記事の見出しは、Spotifyの大きな間違い、と言うもの。私はあまり縁がないが、この音楽ストリーミングを利用している人は大変多いらしい。このSpotifyは、ダニエル・エクという人が15年前に立ち上げたスエーデンの会社だ。この創立は、音楽業界を根底から変えてしまった革命とも言えるものだそう。エクは、音楽だけでなく、音声コンテンツ全体への進出を図っているということだ。ただ、収益は損失していると言う。この「プレイリスト」がどういう作品になっているのか見ものである。Spotifyについて観たり読んだりして思うのは、こういったITというかデジタル関係の会社を立ち上げる創業者は、皆強い個性の持ち主だということ。何と言われても絶対に自分の信念を曲げることなく突き進んでいく。妥協をしない頑固者でもある。だが、本当に賢明な人間は真の曖昧さの価値を知っている。彼らが、自分の利益だけでなく人類の幸福への視点を持っている場合はいいが、もしそうでないならば、いや、初めはそうでもそうでなくなっていくならば、その危険性は計り知れない。AIだってそうだ。世界の方向性と私たちの運命が、一部のIT天才?たちに握られていると考えると、ちょっと薄気味悪いものがある。