スイス山里COSMOSNOMADO

アルプスの山を眺め空を見上げながら心に映る風景を綴ります

歌くらべのプレイリスト

今週のお題「わたしのプレイリスト」

さて、もしリストを作るとしたら、ひとつは「歌くらべのプレイリスト」にしてみたい。同じ歌でも別の歌手が歌っていると、全く違う絵が見えてくることがある。それから、同年代で同じ時代の空気を吸いながらも、全く違う雰囲気を醸し出すシンガーソングライターもいる。そんな歌手を二人ずつ並べてみるのだ。すぐに、3組が思い浮かんだ。

まず、竹内まりやと中森明菜の「駅」。これは、同じ歌が歌手の解釈と歌い方によって、これほどまでに違うストーリーを紡ぎだすという例になる。歌詞の主人公は、たぶんまだ20代半ばの女性だろう。それは、2年の月日が遠い日になっているところに伺い知れる。あの年頃の2年3年は長くて、人生も大きく変わっていく可能性があるのだ。偶然のことから、2年前に別れた男性を駅で見かけて心が揺れる若い女性。その心情を歌う竹内まりやの主人公は、すでに2年前の過去を振り切って今を生きている感じだ。最後のくだりのララララなど、前向きにさえ響く。ところが、中森明菜の歌う女性は、この2年間、彼への思いを残したまま新しい人生に踏み出せないでいる。最後も切ない。ああ、いつ彼女は彼を過去の人、甘い感傷の中の影として、自分の今を生きられるようになるのだろうかと心配にさえなる。この二人の違いは、「今になってわかる、私だけ愛していたことも」の歌い方に垣間見える。私だけが彼を愛していたのか、あるいは、彼は私だけを愛していたのか、解釈が難しいところだ。中森明菜風だと前者、竹内まりや風だと後者だと思う。ということは、前者の場合は、別れを告げたのは彼、後者の場合は彼女というふうにも取れる。別れを告げられた側には未練が残るものだ。これは竹内まりやの楽曲だから、解釈は彼女に任せるしかないが、中森明菜の切なさも捨て難い。いずれにしても、この歌は名曲だ。5分の間に見事に一つの物語を語っている。どちらの歌い方もいい。

次は、さだまさし作詞作曲の「秋桜」。本人自身と、山口百恵が歌っている。これも、しみじみと心に残る名曲だ。嫁ぐ娘の母へ心情を歌い上げている。これもまた二人の歌い方で見える世界が少し違ってくる、と私は思う。さだまさしの歌を聴いていると、何より母親の背中が見えてくる。何となく和服を着ているような気もする。母が過ごしたそれまでの人生が見えるようだ。庭には秋桜だけではなくて、柿の木もあるんだろうな。夕方近く、どこからか焚き火の煙が流れてきて、お豆腐屋のラッパの音も聞こえてきそうだ。百恵ちゃんの歌の方は、歌詞の通り娘の側から見た母の姿。母への感謝の気持ちが表れている。

プレイリストの3組目は、中島みゆきと松任谷由実。二人は同世代である。二人とも作詞作曲をして、自分でも歌うが、他の歌手に楽曲を提供してもいる。若い頃の印象では、中島みゆきの歌はどこかリアルで土の匂いがあるのに対して、ユーミンの方は都会派の雰囲気を醸し出していた。本人の生い立ちを知らないから、あくまでも勝手なイメージだが、苦労人の家庭に育った娘と、比較的恵まれた家の娘が描くストーリーというか。二人ともミュージシャンとしては優れているが、歌手としては今ひとつという点では共通している。もちろん、これはあくまでも私の好みの話として。いずれにしても、二人ともあの昭和の時代に明星のように現れて燦然と輝いた女性たちだ。今は大御所として、その楽曲の世界も恋の歌を超えて大きく広がり、人々の心の歌として残る作品の数々を作り続けているようだ。

さて、プレイリストの作成は、いつになることだろうか。頭の中で作ってはみたけれど、今のところは未定としておこう。

 

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