スイス山里COSMOSNOMADO

アルプスの山を眺め空を見上げながら心に映る風景を綴ります

続・この春は映画三昧

前回に引き続いて映画感想文を書いてみたい。

あれから、5本ほど観た。ジャンルは様々。だが、2作品は一括りにできるかもしれない。それは、「銀河鉄道999」と「スターウォーズ」(第一回作品)で、いずれも未来の宇宙が舞台になっている。それから、日本映画「夏への扉」と「キネマの神様」、そして、ドキュメンタリー映画の「メルケル」だ。

「スターウォーズ」は1977年の作品、「銀河鉄道999」は1979年の作品で、両方観ると何とはなしに似ている感じがする。何と言ったらいいだろう、今流行りのShowa的という感じだろうか。私自身は、昭和に生まれ若い時代を昭和に過ごし、昭和のうちに海外に出た人間、ある意味昭和をリアルタイムで過ごした人間である。だが、考えてみれば、平成に生まれたり、物心つく頃に平成を迎えた今の若い人たちにとっては、懐古趣味の時代になるわけだ。我々にとっての明治時代の感覚か、とも思う。同じくふた元号前になるのだけれど、ただ、変化のスピードが速い。私にとって明治は生まれるずっと前になるわけだが、昭和は今から30年ちょっと前のこと。何やかやあっても、明治から昭和までの技術革新はアナログの変化である。現在進行中のIT革命は、質的な大変化だ。あの「スターウォーズ」も「銀河鉄道999」も、言ってみれば、和文タイプや写植や青焼きコピーの時代に作られたSFファンタジーの映像というわけだ。たぶん、当時の封切りの時ではなくて、40数年の時を経て観たせいか、どことなくゆったり感、手作り感がある。ストーリーには二つとも共通しているものがあって、悪に立ち向かっていく少年の成長物語。舞台を宇宙に移してはいるが、内容的には中世からある典型的な英雄伝説の物語である。「スターウォーズ」はアレック・ギネスがよかった。後年、出演を後悔したという話も聞いたが、真偽の程はわからない。とにかく、ああいう映画の中でも名優ぶりが光る。「銀河鉄道999」は歌謡曲っぽい映画だなと思った。

「夏への扉」は、2021年のSF作品で、皆ほとんど知らない若い俳優さんたちだったが、その中でアンドロイドを演じた人が印象に残った。調べてみたら、藤木直人という役者さんだった。アンドロイドでありながら、人間的な感情も微妙に表わす役はなかなか難しいと思うが、上手く演じていた。偶然見始めたのだが、わりに面白かった。タイムトラベルの話がけっこう好きだからかもしれない。

もうひとつ2021年の「キネマの神様」は、観たいと思って鑑賞した作品だ。往年の寅さんシリーズで有名な松竹の大御所監督、山田洋次さんがメガホンを取っている。松竹映画100周年を記念して撮られた映画というから、映画史的な期待もあって観たのだが、その期待は裏切られた。映画の中の出水宏監督は、たぶん清水宏かなとか、俳優の所作一つ一つに細かい指示を出す監督は、たぶん小津安二郎かな、あと成瀬巳喜男みたいな監督かな、とかいろいろ想像はしたが、ストーリーは、あくまでも当時助監督として撮影所で働いていたゴウという一人の男が中心に描かれる。若き日を菅田将暉、50年後の彼を沢田研二が演じている。はじめに主役に予定されていた志村けんさんが急死され、急遽変更になったという話は聞いていた。まずは舞台は現在、78歳でギャンブルと酒に溺れている父親に手を焼いている家族の話から始まる。ゴウちゃんと呼ばれているその男は、50年後のあの若き助監督の姿だった。映画の神様を信じ続けた男の物語とあったので、どんな生き方をしてきたのかと知りたかったのだが、途中の話は一切なくて、50年前の撮影所時代に戻った後、また家族に迷惑をかけ続けている現在の不甲斐ない姿に飛んでいる。沢田研二のダメぶりがなかなかよくて、その夫を突き離せない妻を演じる宮本信子、娘役の寺島しのぶもいい。だが、主人公を巡るただの人情物語になってしまって、映画愛を描こうとしたであろうはずが、それが伝わる核となる話がない。ゴウは、若き日に斬新な脚本を書いてメガホンを取ることになるが、本番で尻込みしてしまい失敗。その傷から映画界を去る。そして、50年後はあの姿だ。彼の孫が昔の脚本を発見して才能に感服し、脚本賞に応募することを薦める。孫がコンピュータで打ち直しと手直し作業をしてくれたその作品は、見事新人賞に輝く。本人も家族も大喜びで目出たし目出たしとなるが、本人は家族の愛に包まれながら映画館で亡くなるというラストである。観終わった後、これが映画の神様を信じた男の話と言われると、何だかなという気がした。つまり、映画愛ではなくて、自分愛?に生きた男の話のような気がして。一つ付け加えると、北川景子の美しさには感服した。

メルケル氏の映画については、また劇映画の方も観てから書いてみたい。