スイス山里COSMOSNOMADO

アルプスの山を眺め空を見上げながら心に映る風景を綴ります

外から見ていたこの10年

今週のお題「変わった」

日本はこの10年で変わった。何か今まで日本人が大切にしていたものが蔑ろにされていった10年だったような気がする。社会全体に閉塞感が広がっているようだ。

それはどうしてだろう。やはり一番に考えられるのは政治の劣化ではないか。2011年3月11日は、日本にとって転換点となった日だった。そう、あの東日本大震災である。あれは、すべての日本国民、いや、世界にとって忘れられない日となった。大地震大津波の被害だけではなく、福島第一原発が電源喪失によってメルトダウンしてしまったのだ。それによって、大規模な放射能被害が広がった。12年経った今も、その問題は解決していない。起きてしまった後に一番大事なのは、それに国の政治がどのように対応していくかだと思う。ドイツではいち早く当時のメルケル首相が反応して、国の政策を変えた。あの時のこちらの雰囲気をよく覚えている。あの原発事故の後、原発離脱の議論が高まった。私は素人ながら、たまたま日本人としてスイステレビの討論番組に招かれて、5人の専門家たちに囲まれた議論に加わることになったのだが、あの時の真剣なスタジオの雰囲気は今も覚えている。原発を担っている電力会社のトップと賛成派の政治家、原子力の専門家、原発反対のグリーンピースの事務局長、同じく反対派の医師らがそれぞれの立場から意見を述べて議論していたが、いずれもあの原発事故を受けて真摯な態度だった。皆ショックを受け、楽屋でも厳かな雰囲気が漂っていた。一方、日本のテレビ番組、たしか朝生とかいう番組だったと思うが、これが当事国の雰囲気かと思うほど、他人事のような議論が繰り広げられていた。その後の日本での経緯は、ご存知の通りである。被害者や国民の声を無視して、あたかもすべてが収束したかのような態度で政治が進められてきたようだ。違う道もあったはずだが。そして、それが大いに国の発展につながったかもしれないのだが。

すべてにおいて一番大事なことは、避けずに問題を直視することだと思う。そうすれば、その時できる最善の対応策が出てくるだろう。立場はどうあれ、まずは誠実に向き合う態度だ。しかし、この10年を見ていると、日本の政治はこの問題に限らず、避ける、誤魔化す、詭弁を弄する道に舵を切っていったように思える。政治とはそんなものと、それがあまりにも当たり前になっていくのが危うい。いくら個々の人々が頑張っても、最終的には政治が国の命運と国民の生活を左右していくのだから。私がいた頃の日本だって、政治の世界はけっして清廉潔白なものではなかった。けれでも、少なくとも本音と建前があって、建前としては、何らかの不祥事があった時には、政治家は国民に対して責任を取るという姿勢が当たり前だった。だが、今の様子を見ていると、その建前さえなくなってしまったようだ。また、国民の半分も無関心になってしまった。あまりに暖簾に腕押しの状態が続いたのだから、それも無理はないことなのかもしれない。でも、やはりより良い未来の為にめげずに何らかの行動をしている人たちの足を引っ張っては申し分けないだろう。関心を持ち続けることは大事だ。実際、何とかして社会をよくしようと動いている人たちはいる。

そうこう思っていたところ、参加した出版記念オンラインシンポジウムでのある方の発言が心に残った。それは、他者に対する信頼があってこそ初めて繋がっていける、その内容への賛否は別として、まずはその人の言っていることが信じられるものであることが基盤となるということ。表立って嘘を吐くことを躊躇わなくなった政治と、真偽入り混じった情報が溢れかえっている社会の中で、それでも明かりを灯して前に進んで行こうとする人たちがいる。

私たちが日本人の徳目として受け継いできた「正直、誠実、信頼」を失うことなく、日本社会が続いていってほしい。