スイス山里COSMOSNOMADO

アルプスの山を眺め空を見上げながら心に映る風景を綴ります

アルバイトの思い出を引っ張り出してみる

今週のお題「やったことがあるアルバイト」

アルバイトという言葉はドイツ語である。名詞はArbeit、動詞はarbeiten、仕事あるいは働くという意味。いつからアルバイトという日本語になったのか、興味を引かれて調べてみたら。。。戦前に学生の間で使われはじめた隠語だそうだ。学業の副業として家庭教師などをすることをアルバイトと呼んでいたのが広まったのだという。だから、アルバイトというと、学生の仕事というイメージにつながるわけだ。一方、パートという言葉もある。こちらは、英語のpart-timerから来ていて、通常の労働者よりも短い時間働く人をさす。パートというと、主婦が子供が学校に行っている間に働くというようなイメージがある。もちろん、主婦じゃなくても、フルタイムの労働でなければパートだ。

で、お題はアルバイト。遠い昔の学生時代の記憶を引っ張り出してみる。どんなアルバイトをしただろうか。家庭教師、塾の夏休み合宿のお世話、喫茶店、レストラン、アンケート調査員、書店員、会社事務の補助などが出てきた。その中のいくつかには、印象深い思い出がある。

夏休みの合宿お世話アルバイトは、食事の支度をしたり、女の子たちの指導というか相談役というか、そんなことだったと思う。数人の同級生女子と一緒に働いたのが思い出に残っている。けれども、どこに行ったのか覚えていないのが不思議だ。森の中の合宿所だった印象はある。もしかしたら、秩父とか、あっちの方だったのかもしれない。私は映像記憶型人間、キャンプファイアーの火に照らされた子供たちの顔が蘇る。

喫茶店のアルバイトでは、沖縄出身の可愛らしい女性と一緒に働いたのが印象に残っている。同級生の男子がそこのカウンターに入っていて、たぶん短期間、サービスの人が足りなかった時に頼まれて手伝ったような気がする。あの可愛らしい人とはしばらくの間、季節の挨拶状などをやり取りしていたが、いつの間にか疎遠になってしまった。でも、今でも顔と名前を覚えている。

アンケート調査は、うっすらとだが、町工場が集まっている地域を歩いた記憶がある。何のアンケートだったのだろう。太鼓を叩きながらお祈りする声が聞こえていたっけ。どこかの家に上げてもらったような気もする。大きなお仏壇があった。今思えば、ある宗教に入っていたようだ。もうかれこれ半世紀近くも前の話だから、記憶にはうっすらとベールが掛かっているが、断片的な映像が蘇る。

それから、本屋さんのアルバイトは神保町の書泉グランデだった。この春帰省した時に、お茶の水界隈を歩いてみたが、書泉グランデは健在で、あの頃と大して変わっていなかった。突然、時を超えて素敵な先輩書店員の方の顔が浮かんだ。その人は正社員で、親切に仕事を教えてくれた。プロフェッショナルな姿が頼もしかった。

そして、レストランのアルバイトは、いろいろエピソードがあって思い出深い。長期間毎日だったから、たぶん学期休みの時だったのだろう。新宿のデパートに入っているレストランだった。私と同時に始めた人が何人かいたが、残ったのは私だけだった。けっこう厳しい職場だったからかもしれない。まず、開店前には、全客席とドアや窓の掃除をする。昼時はいつも混んでいて、ものすごく忙しくて、てんてこ舞いだった。副支配人がちょっと感じの悪い人で、入ったばかりの頃は、この新参者とばかりに見下した態度を取られた。そこで、早く全メニューを頭に叩きこもうと励む。開店前の早い時間に出勤してショーケースの品物をすべてメモして暗記に努める。だんだん要領を覚えてテキパキできるようになると、いつの間にか彼の態度が変わってきた。きっかけが何かあったはずなのだが、思い出せない。店長さんは親切な人で働き者だった。20歳そこそこの私からすればずいぶん年上に見えていたが、今思えば、せいぜい30代前半だったのではなかろうか。私たちは一応30分の休憩があって、その時に食事ができたが、店長は休み時間ほとんどなし。調理場の前の陰のスペースでそそくさと何かを口にするくらいだった。だから、身を粉にして働く店長のためにも、何とかお店がうまく回るように、役に立ちたいなと思っていた。レジの20代後半くらいのお姉さまと、フロア係のやはりそのくらいの歳のお姉さまは正社員だった。何だか私は働きぶりが認められて、店長からいずれ正社員にならないかとのお声までいただいたっけ。また、バイトの中にアングラ劇団に入っているらしい男子がいた。私たちアルバイトは「いらっしゃいませ」と「ありがとうございました」を明るく元気に言うよう訓練される。中でも、私の声は大きくてよく通る声だったようで、劇団に誘われた。でも、私は当時流行っていたアングラ系は苦手だったのでお断りを。それにしても、あの頃の私は、心に何か重いものを抱えていたようだ。だから、ああやって辛いことを忘れるように、テキパキと身体を動かすバイトに打ち込んだのかもしれない。

今となれば、すべて懐かしい思い出である。