スイス山里COSMOSNOMADO

アルプスの山を眺め空を見上げながら心に映る風景を綴ります

私の手帳 − 予定と記録

今週のお題「手帳」

毎年、年末になると翌年の手帳を探しに街に出る。愛用の手帳が見つからない時は、何軒かの文房具屋さん巡りになる。だが、その店にないだけでなく、製造元が規格そのものを変えてしまっていることもある。そんな時はがっかりだ。長年使ってきた手帳には愛着もあるし、勝手知ったるなんとかで、使いやすい。しかたないが、また新たに使い勝手のいいものを探すしかない。

私は毎年2冊の手帳を求める。一冊は予定を書き入れるための薄いもの、もう一冊は記録するためのもの。こちらはちょっと厚いが、サイズはせいぜい葉書大だ。以前は一冊の手帳に両方を書いていた。たいていの手帳は、最初がカレンダー仕様になっていて、そこに日々の予定が書けるようになっているからだ。しかし、昔バックを盗まれて、中に入れていた手帳もなくなってしまってからは、予定帳と日誌用は分けるようにした。予定帳は持ち歩きが必要だが、日誌用は家に置いておけばいい。日々の記録を付けるようになってからどのくらいになるだろう。

いわゆる日記は、中学生の時から書いている。これは、ノートに思いを書き留めるもので、毎日の記録ではない。今思えば、悩み多き若かりし頃は、セルフカウンセリングの役割を果たしていたのかもしれない。大学ノートにいろいろと書きつけていた。書くことで、自然と頭や気持ちの整理をつけることができた。その習慣は、今も続いている。

それはさておき、手帳の話だった。あれは、チューリッヒのバーンホーフ通りの土産物屋の店先でのこと。バギーの取っ手部分にいろいろな物を入れた布製のバッグを掛けていた。日本の家族の案内をしていたのだが、ちょっと相談されてほんの一瞬バギーから手を離したすきに盗まれてしまった。観光客だと思って狙っていたのだろう。あの後しばらくは諦めきれずに、何らかの形で出てこないものかと奇跡?を祈ったものだ。ただ、幸いにも夏のことだったので、失われた記録はおよそ半年余り。それで、記憶にたよって別の手帳におおよその思い出せることを書き出した。しかし、子供の日々の「めい言」や体調も、コーナーを作って書き留めておいたので、それは痛かった。2、3歳の頃だ。それに、ちょうどその年は仕事でもいろいろあって、それも書いておいたので、その記録が失われてしまったのも残念だった。たしかにその若い時は。「その若い時は」と言うのは、年を重ねると、いずれはすべて風化するものだと悟るから。有名人の場合は、伝記作家にとっては貴重な資料となるものだが、一般人は、死ねば記録の手帳もやがてはゴミとなる運命だ。あるいは、老前整理、いや、まだまだ何か役にたつかもと、老後の整理で自分の手で廃棄することになるか。

しかし、である。日々の出来事を書き留めておくのは、本人にとっては何かの時に便利なものだ。記憶というのは薄れていくから、あの時何をしたっけ、どこに行ったっけなどと、必要があって昔の出来事を探し出すのに役にたつ。また、同じ人をもてなす時の献立にも気を配れるし。プロテスタントの洗礼を受けた子供たちは16歳で教会ゲマインデの仲間入りをする。その時の式で、それぞれの親たちが我が子に何か贈ることになった。私たちが贈ったのは「息子語録」。それは、16年の間手帳に書いておいたものをピックアップして、それにふさわしい写真を添えて作ったものである。子供は本当に、面白いことや賢いことを言う。作業をしながら思い出が蘇って、楽しい時間だった。これも、記録のおかげだ。

大学は史学科で勉強したが、過去を記憶し留めておきたいのは性分なのかもしれない。しかし、よく、「歴史に学べ」と言うではないか。「今がすべて」にしても、常に連続した「今」があり、それが過去になるわけなのだから。