スイス山里COSMOSNOMADO

アルプスの山を眺め空を見上げながら心に映る風景を綴ります

夏の思い出といつも家にいてくれた人

このところ暑い日が続いている。気候変動のせいか、スイスの夏もずいぶんと暑くなった。もちろん日本とは比べられないが、蒸し暑くさえなる。でも、私は夏が一番好きだ。

夏という言葉で連想するものはいろいろあるけれど、思いつくままにいくつか挙げてみよう。風鈴、麦茶、団扇、かき氷、そうめん、線香花火、コオロギ、蝉、海辺、帽子、日傘、簾、お祭り、盆踊り、夏休み。

夏祭りには、盆踊りがつきものだ。昔は、たいていの町内会で盆踊りがあって、私も浴衣を着て出かけた覚えがある。遠い昔の話だけれど、今もあるのだろうか。そう言えば、今週末はチューリッヒでお祭りがあった。コロナの間は中止だったので、4年ぶりのこと。Zürifestと言って、旧市街中に食べ物などの屋台が繰り出す。また、いろいろなエンターメントが用意されていて、大変な人出になる。花火や、今年はドローンのショーもあった。リンデンホフの丘では、数カ国の民族舞踊が披露された。ギリシャ、ポーランド、アルバニア、ブルガリア、スイス、ハンガリー、トルコ、ウクライナ、そして、日本!こちらには、盆踊りの愛好会グループがあって、日本祭りなどに呼ばれて日本らしさを伝えている。リンデンホフでも、他の国の民族舞踊のような動的な踊りではないけれど、やはり浴衣姿はこちらの人には珍しく、暖かく迎えられていた。お疲れさまでした!

私には、もう一つ夏の思い出がある。それは、祖母と過ごした夏休みの日々。我が家には、祖母がいた。親は共働きだったけれど、祖母がいつも家にいてくれた。祖母は、いつも前の晩に布袋に炒った大麦の種を入れて煮る。その薬缶を一晩水に浸けて冷やすと、翌朝は美味しい麦茶が飲める。お昼には、そうめんを茹でてくれたり、豆味噌を炒ってくれたりして、一緒にお昼ご飯を食べた。世界の首都を暗記するときに手伝ってくれたのも祖母だった。祖母が国の名前を言って、私が首都の名前を答える。それを何回も繰り返して、遊びのようで楽しかった。昔の話もよくしてくれた。午後になると、祖母は腕枕をして少し横になる。小さかった私も、その横でゴロンとしながら、時間がゆったりと過ぎていった。たぶん、外に遊びに行ったりもしたのだろう。夏休みのプールもあった。でも、何をしたわけでもないのに、なぜか祖母との時間が思い出される。

今の時代、みな忙しく何かしている。効率という言葉が幅を利かせている。いつも何か行動することがすごいと見なされているようだ。静より動の方が価値があるとでもいうように。だが、私の祖母のように、ただ家にいるということだけでも、誰かの役に立っている存在なのだ。お昼ご飯を作ってくれたり、セーターを編んでくれたり、いや、ただ家族の帰りを待ってくれているというだけでも。「ただいま」と言えば、そこに「お帰り」と言ってくれる人がいたこと。出かけるときには、玄関まで見送って「いってらっしゃい、気をつけてね」と送り出してくれる人がいたこと。遠くに行くときには、神棚に向かって無事を祈ってくれる人がいたことは、考えてみれば幸せなことだった。マッチ売りの少女を我が子に読み聞かせる度に泣けてきたのは、そんな思い出があったからかもしれない。そして、そんな祖母の死に目に会えなかったことは、今でも悲しい思い出だ。ご隠居さんが存在できた社会は、貧しくても今より余裕があったのかもしれない。

お祭りの夜のチューリッヒ