スイス山里COSMOSNOMADO

アルプスの山を眺め空を見上げながら心に映る風景を綴ります

ナオミ・クライン「ショック・ドクトリン」についての解説テキストを読んで思ったこと

今週のお題「ゾッとした話」

ふとしたことで、NHKの番組「100分で名著」のテキスト、ナオミ・クライン「ショック・ドクトリン」を読んだ。国際ジャーナリストの堤未果氏が解説している。ナオミ・クラインのこの本が出たのは、すでに16年前になる。当時、こちらの新聞の書評をコピーしておいた。堤未果氏は、丁寧な取材と客観的な分析に基づいて、世界の今の状況を知らしめてくれる人だ。彼女には注目している。その人が解説するテキストとあって、さっそく購入して読んでみた。日本にいたならば、番組も観たかったところだが。NHKは、朝や夜のニュース番組に関しては、ここ10年ほどで劣化してしまった感があるが、ドキュメンタリーやこの番組などは質が高いと感じている。

いわゆる新自由主義、グローバリズムが世界を席巻して久しい。今では、強欲資本主義とも呼ばれ、本当に人類の存続を考える人たちの間では、このままでは世界が立ち行かなくなるという危機感が共有されているようだ。一握りの富裕層だけがどんどん利益を増やし、中間層が貧困層に落ちていく。この経済政策を理論的に支えているのが、ミルトン・フリードマンというアメリカ合衆国の経済学者が提唱した考え方である。彼は、シカゴ大学で教鞭を取り、彼の考え方を学んだ弟子たちは、シカゴボーイズと呼ばれているらしい。彼自身は2006年に没しているが、フリードマンの経済理論は今なお世界に影響を与えている。レーガン大統領やイギリスのサッチャー首相は彼の信奉者で、国の公共の機関だったものを次から次へと民営化していった。レーガンと懇意だったと言われる中曽根首相も、当時の国鉄を民営化した人物だ。その後、竹中平蔵という経済学者が小泉政権の中に入り、日本国民最大の財産であったと言われる郵政事業の民営化を行なった。私の記憶では、この竹中平蔵という人物が出始めの頃は、当時の自民党の中では、彼の考え方は冷笑されていたようだ。郵政民営化に反対する自民党員も多かった。けれども、当時の小泉首相はこれを悲願として強行し、反対意見の者をまるで独裁者のように党から除名した。それまでの自民党は、いくつかの派閥が政策の擦り合わせをしながら、極端に走ることはなかったようだ。小泉首相は「自民党をぶっ壊す」と言って人気を集めたが、本当に自民党を質的に変容させた人物だと思う。ある意味、全く日本的ではないやり方、白か黒か二択を迫るやり方だった。

フリードマンの理論がアメリカ合衆国政府の中枢に入り込み、それが「ショック・ドクトリン」を使って世界に大きな影響を与えていくところが怖い。つまり、人々が大災害やテロや戦争状態などで茫然自失で考える間もない時に、すばやく新自由主義というか一部の人間たちだけが利益を得る政策を実行していくところだ。これは有名な話だが、チリのアジェンダ政権に仕掛けられたクーデターの話にはゾッとする。アメリカの多国籍企業の利益に反する政権を倒すために、CIAが暗躍してピノチェトにクーデターを起こさせたこと。そして、ピノチェトが国民に対してやった残忍非道な行いは、すでに世界中の知るところである。これは、多国籍企業が己の利益のために、国をも転覆させる一つの例にすぎないらしい。どれだけ強欲な人間たちなのだろう。フリードマンは、ピノチェトのチリを訪問して支持をしたそうだ。チリは多くの企みの一例に過ぎず、イラク戦争にも触れられているが、これも結局は多国籍企業の利権が大きく絡んでいたという。

世界が変化するいろいろな事例を見ていくと、まずは誰かの頭の中にアイデアが湧く。たとえば、フリードマンという人物の頭から、これだけ世界に大きな影響を与える考え方が出てきたわけだ。そして、それが大きな力を持つ誰かの利益に適う場合に、実行されることになる。権力を持つ者の影響力は計り知れない。それが、人類を幸せにする方向に導くアイデアならば素晴らしいのだが、人間の業というものは深くて、多くは残念ながら欲に捕らわれたものだ。不思議でならないのは、このフリードマンという人物には、どういう世界観、人間観があったのだろうということ。どういう背景と環境で育った人間なのだろう。共生という概念は、彼の人生にはなかったのだろうか。私は経済学者でも何でもないが、よっぽどの性善説の信奉者でなければ、すべての経済活動を市場に任せてうまくいくとは思えないのではなかろうか。あるいは、人間性について哲学的な思考はしなかった人なのか。

人の頭と心に湧くイメージの力は大きい。だから、その力を良い方向に使いたいものだ。「良い方向」とは何なのか、哲学的には、これはまた別に考えてみたいところではあるけれど。ただ、新しい経済理論として望まれるのは何だろう。悠久の時空の中で、我々は縁あって今この地球に生きている。生まれたものは生きるのが使命だ。そのためには、何とか共に生き残る道を示す経済理論を考えるしかないのではなかろうか。