スイス山里COSMOSNOMADO

アルプスの山を眺め空を見上げながら心に映る風景を綴ります

苦手だった食べ物は「お肉」

今週のお題「苦手だったもの」

大人になるまでは、ほとんどお肉を食べなかった。食べるようになったのは、欧州に来てからのこと。まず、留学した時の最初の下宿先が「お肉屋さん」をやっているご夫婦の家だった。毎日食事に肉が出るというのは、当時は豪華なことだったようだ。だから、ご夫婦は自分たちの学生への待遇を誇りに思っていたご様子。でも、それまでほとんど肉を食べなかった私には困ったことになった。今でこそ、ベジタリアンは当たり前、その先をいくヴィーガンも普通になっている。当時の私は、特にベジタリアンを意識していたわけではない。お魚は大好きだった。だが、毎日肉とジャガイモの料理では、肉を食べないわけにはいかない。それで、清濁合わせ飲む食生活になり、今に至っているわけである。

子供の頃は、肉が出るといっても、野菜炒めやカレーにコマ肉が入っている程度だったと思う。時には酢豚とか唐揚げもあったろうか。たまにすき焼きなどになると、兄たちは大喜びだったが、私はその反対の気持ち。料理に入っている肉を除けて兄たちに食べてもらっていたが、母には「お肉を食べないと頭が良くなりませんよ」と叱られた。特に、いっさい食べなかったのは鶏肉。なぜなのか、これははっきりしている。幼い頃、母の田舎に連れられて行った時のことだ。鶏をつぶしていた伯父が、それを私の目の前に差し出した。すごいショックだった。どの肉だって、考えればテーブルに載るまでのことは目を瞑りたい光景だと思うのだが、小さい時に見てしまったものは深く心に残る。人間は食物連鎖の頂点に立っていて、他の生き物の命をいただいて生きている。それでも、10代の頃は、殺生の上に生きることについていろいろ悩み考えたものだ。幸い日本人は、緑の多い島国という自然環境の中、穀類や野菜や魚中心の食事をしていた。明治になって西洋文明が入ってくるまでは、大型動物を食べることはあまりなかったわけだ。食事は、その土地の自然環境と切り離しては考えられない。文明の背景には「風土」がある。

ということで、こちらに来てからは、積極的ではなくても、そういう機会に直面すればお肉も食べるようにはなった。当時、私が住んでいたスイスの村では、魚が手に入るのは金曜日のみ。義理の母が入っていた老人ホームのメニューなどを見ていても、金曜日は魚の日だが、あとは肉料理だった。お年寄りがこんなにお肉を食べていても身体に大丈夫なのかなあ、と思ったけれど、それは長年の食習慣だろう。ただ、最近は、若い人を中心に環境意識が高まっていて、食生活もずいぶんと変わってきている。野菜を中心とした日本食ブームの影響も大きいと思う。都会では鮨ブームも定着の感あり。けれども、鮨は海に囲まれた日本でこその食べ物だ。世界中で鮨を食べるようになったら、それこそ海から魚がいなくなってしまうかもしれない。ところで、世界の食糧事情もそうだけれど、日本のことがちょっと心配。なにしろ、食料自給率が30%程度と聞くから。世界で何かあって、食料が回らなくなったらどうするのだろう。

最後に、お題のテーマからちょっと離れた場所に着地してしまいました。