今週のお題「制服」
制服は便利である。毎朝、何を着ていくか考える必要がない。中学高校と、学校に制服を着ていくのは当たり前だった。私が通っていた高校は、男子は黒の詰襟の学生服、女子はセーラー服かブレザーのどちらかで選べた。制服を着ることには全く抵抗もなく、かえって安心感があったものだ。入学してからは、しばらく普通の学校生活が続いていた。
ところが、ある朝学校に行ってみると、校門のところにバリケードが作られていて異変が起きていた。ちょうど大学では学園紛争真っ盛りの頃で、一部の高校にもその影響が広がっていたのだ。バリケードが作られてからは疾風怒濤の日々だった。振り返れば、実際は短かったのかもしれないが、あの年頃の時間の経過の感覚は今とは違っているから、とても長い期間だった。あの抗議活動は、たぶん制服廃止運動に端を発していたのだろう。まだ中学を出てまもない頃だったので、上級生が借りてきたように叫ぶ紋切り型のアジテーションの言葉の意味もよくわからなかった。授業は無くなって、毎日クラスでティーチイン?という集まりが開かれて、学校に対して意見を出すという作業が続いた。先生たちも一緒に話し合っていたのだろうか。今となっては、すべてが霧の彼方だが、辛かったという思い出だけは残っている。とくに、私は学期の初めに学級委員に選ばれていたので、難儀なこともずいぶんあった。今の私からみれば、先生方もまだ若かったから、ああ言う事態に直面して大変だったろうと思う。話し合いの後、クラスのみんなは「お願いねー」と帰っていったけれど、こちらはそうはいかない。出された様々な意見をどうやってまとめたものかと思案する。そして学級委員会。解決策を模索して夢にも出てきた。本当を言えば学校に行くのが嫌だった。図書館で好きな本を読んでいたかった。しかし、こうした事態にぶつかってしまった以上、なんとか切り抜けていかなければならない。今思えば、責任感というか義務感が強い子だったのだろう。あの頃は、物事を自分の好き嫌いで考えたことがなかったなあと思い出す。
けっきょく、制服は廃止になった。つまり、強制ではなくなったわけだ。ミニスカートやジーンズなどの私服を着始めた生徒たちもいたが、私は相変わらず制服で学校に通っていた。それが一番楽だったから。毎日何を着るか考えなくてもいいし、第一、私服をあまり持っていなかった。私にとっては、便利かどうかが一番大事だった。個性というものは、制服を着ていても自ずから滲み出るものである。後年、進歩派を自認している友人と制服について話す機会があった。彼曰く、制服は軍隊から始まったのだから容認したくないとのことだった。なるほど、そういう見方もあるのだなとは思ったが、たぶん明治から昭和の戦争までの頃の話だろう。歴史的経緯と時代の変化は、また別に考えてもいいのじゃないかなとも思った。制服は画一化を表す、それは確かだ。個人を消滅させるという見方もあるかもしれない。だから、制服を着た人間たちは、一体となって同じ目的のために動く。それがどういう組織かによっては、危険なこともあるだろう。でも、学校の場合はちょっと違うのではないか。服装には貧富の差が現れやすい。だから、まずは服装に煩わされずに、勉強するという目的のために、制服の意義があるとも考えられないか。私はずっと制服を着ていて、外側を合わすことはどうでもよかったけれど、内側の画一性、内心の自由を奪われることには、何よりも反発を覚えていた。小学生の頃、一様に赤いリボンで髪を結んだ女の子たちが、毛沢東語録を掲げながら「毛主席、毛首席」と連呼しているニュース映像には、小さいながら強い違和感を感じたものだ。
スイスでも最近、学校に制服を導入したらどうかという議論が持ち上がっているというのを聞いた。制服と言っても、同じTシャツにする程度のことかもしれないが、夏場の女子の私服姿には目に余るものがあるからだろう。肉体を誇示するように、ほとんど下着のような格好で街を歩く若い女性たちが増えているが、それは中学校でも変わらないようだ。思春期の男女の学舎で、それはいかがなものかというのが、常識的な考えだろう。常識に反発する人もいるけれど、常識とは長年の知恵の積み重ねである場合も多いものだ。「常識」はドイツ語で"gesunder Menschenversatnd"と表現されるが、直訳すれば「健康な人間理解力」とでもなるだろうか。