スイス山里COSMOSNOMADO

アルプスの山を眺め空を見上げながら心に映る風景を綴ります

注目の日本人男性二人

月と暁けの明星

注目の、と言っても、ただ私が注目しているということなのだが。それは、山本太郎氏と中田敦彦氏。共に40代、共に芸能界出身の人である。この二人に共通するのは、その行動力と溢れるエネルギー。そして、既成の価値観にこだわらない自由さとでもいうか。と言っても、この二人が身を置く世界はだいぶ違っている。

山本太郎さんを知ったのは、かれこれ10年ほど前、彼が初めて衆議院議員選挙に立候補した時のことだ。太郎さんがタレントや俳優として活躍していた頃のことは全く知らない。フランス映画だったか「かくも長き不在」という映画があったけれど、インターネットが普及するまでは、日本の芸能界の情報などは入って来なかったし。16歳の時にメロリンキューでブレイクして、その後芸能活動を始めたのだという。やがて人気が出て、俳優としても地位を確立していったそうだ。彼のそういった歴史を知ったのは、それこそ、太郎さんが反原発運動に関わるようになって、段々と芸能活動が難しくなっていったと聞いた頃のこと。世間の入り方とは反対みたいだ。最初の印象は、端正な顔立ちで人気もある芸能人らしいのに、偉ぶらない礼儀正しい青年だなあというもの。自分は陽の当たる場所にいたのに、一貫して陽の当たらない場所にいる人たちに寄り添おうとしている人だなあとの印象を受けた。

彼の話によると、芸能の仕事が少なくなっていった選挙に出るまでの1、2年は、被災地などを回っていたようだ。そして、原発問題から社会に目を開かれた彼の眼に映ったのは、この日本社会に広がっている格差や貧困の問題だったという。社会を良くするためには、政治を変えるしかないという信念で、2012年の衆議院選挙に立候補したわけだ。しかし、長い芸能活動の中で、たくさんの有名人の知り合いがいた彼の応援演説に駆け付けたのは、ジュリーこと沢田研二さんのみ。あの時のジュリーは、見かけは往年の若き日とはすっかり変わってはいたけれど、その心意気がかっこよかった。2012年の衆院選は、民主党から自民党に再び政権交代をもたらした選挙。太郎さんは、地盤盤石で石原軍団の応援を受けている上に、自民政権奪還の追い風に乗った石原伸晃対立候補に挑戦。しかし、惜しくも敗れた。そして、翌年の参議院選挙に再び立候補して初当選、政治家としての歩みが始まった。

それからの活躍ぶりはめざましかった。私は、太郎さんを知ってから、彼の真っ直ぐな姿勢とその人間性に惹かれ、ずっと注目していた。何かで読んだのだが、国会議員になりたての頃は、やはりいろいろ大変だったようだ。けれども、猛勉強をしてたくさんのことを学び、国会でも多くの質問趣意書を出している。議員になっても、その地位に胡座をかくだけで何の勉強もせず、ただ議決の際の党の賛成要員としてだけ存在している人も少なくない。今の政権与党に多いケースだ。太郎さんはその正反対。なぜ政治家になったのか。それは地位が欲しいからではない。富と名声ならすでに俳優時代に得ているし。わざわざ茨の道を選んだのは、この国に生きる人たちをこのまま放っておけなかったから。たくさんの困った人たちに出会い、見て見ぬ振りができなかったから。そして、自分も含めて、日本に暮らす皆を救う道は政治の改革にしかないと喝破したから。

まずは無所属として独りで活動を始め、それから請われて、小沢一郎氏の党に合流する。その時のエピソードが面白い。小沢氏の党名は「生活の党」だったが、太郎さんは、自身の政治団体名「山本太郎となかまたち」も付け加えることを要望。その時の小沢氏とのエピソードもユーモラスだった。太郎さんは、いろいろ党名の提案をしたそうだが、その中には「一郎、太郎」というのもあったとか。小沢氏は、太郎さんの奇抜な提案を無碍に否定はしない人だったそうで、ただ、政党名に党首の名前は入れられないからな、と答えたそうな。そして、けっきょくあの長い名前になったそうだ。

山本太郎という人を見ていると、非常に頭のいい人だと思う。これは学歴とか関係ないこと。頭の回転が早いし、先を見通す力がある。そして、その深謀遠慮をユーモアに包んで、でも、いつも真剣勝負だ。ふざけて人を笑わせたりもするのだが、この10年の歩みを見て思うのは、本質的に真面目で誠実な人だということ。何かのSNSに彼の昔の雑誌インタビューを載せていた人がいた。若手俳優としてメキメキと売り出していた頃の女性雑誌の記事だった。その中の言葉がとても印象に残った。それは、「愛ある人でありたい」というものだった。それが、今の彼の基本理念でもあるのだと思う。「あなたを幸せにしたいんだ」というれいわ新選組のキャッチフレーズにそれが滲み出ている。

さて、もう一人の注目の人、中田敦彦さんに移ろう。彼のことを知ったのは、2、3年前のこと。たまたま、YouTubeで「風の谷のナウシカ」の解説をしている人に行き会う。そして、その面白さに引き込まれてしまった。誰だろう、この人は。YouTube大学とあるから、学校の先生?それにしても、話が上手い。まあ、ホワイトボードを背に、身振り手振りの大立ち回り。誰かがシナリオを書いて、先生が説明しているにしては面白すぎる。素人さんにはできない技だ。それで調べてみたら、何と芸人さん。オリエンタルラジオという二人組の芸人として活躍していた人らしい、ということがわかる。何でも、10数年ほど前に一世を風靡したらしい。

知らなかったが、お笑い芸人と呼ばれる人たちが日本のテレビを席巻していた時期があったようだ。私が日本にいた頃は、漫才師や落語家はよく知られていたが、いわゆる「お笑い芸人」というのは、まだまだ新しかったと思う。それこそ、ビートたけしあたりから始まったのではないか。お笑い芸人が何やかんやと騒いでいるバラエティー番組が人気だったらしい。私は、ビートたけし的な人を嘲笑ったり小突いたりして笑いをとる芸は好きじゃなかったし、松本人志という人も出てきていたが、どこか偉そうな上から目線で、好ましい感じがしなかった。それで、日本のお笑い番組からは遠ざかってしまった。落語は芸だけれど、「お笑い芸人」の人たちには、あまり芸のある人がいないように見受けられた。

けれども、中田敦彦という人を知って、そのオリエンタルラジオのコントをYouTubeで探してみた。リズムネタというらしいのだが、これはなかなか面白かった。誰かを傷つけてネタにするのではなく、昔の漫才にリズムのノリを上乗せした感じ。相方の藤森慎吾という人もなかなかで「あっちゃん、すご~い」と、ひたすら相手を持ち上げる芸は、誰にでもできるものではないと思った。この中田敦彦という人の特別なところは、自分語りが多くても嫌味にならないところである。たとえば「PERFECT HUMAN」というパフォーマンスが大ヒットしたらしいのだが、普通ならちょっと気恥ずかしくてできない俺様芸が、けっこうスンナリ受け入れられてしまう。周りに「ナカタ、ナカタ」と言わせて登場、中田敦彦がPERFECT HUMANというわけである。彼は戦略家。企画を立てネタを書くのはいつも彼だという。ただ、いろいろ見てみたけれど、「常識人」藤森慎吾という人が傍にいる支えは大きいのではないか。そういう意味でいいコンビである。コンビというのは難しい。長い年月のうちには軋轢もあったようだ。相方さんがブレイクして、彼が置いてきぼり感を持ったりした時期もあったらしい。

テレビには馴染めず、低空飛行中に手探りで始めたのがYouTubeだったらしい。試行錯誤を重ねて、いまでは登録者500万人を超える教育系トップユーチューバーに上り詰めた。実際、YouTube大学は面白い。彼のモットーは「学ぶって面白い」を普及すること。確かに、自分の経験上も学校の授業はつまらないものが多かった。もし、中田敦彦のような先生だったら、授業も面白くてどんどん知識を吸収できるのではないかと思う。本来、皆んな学びたいのだと思う。ただしかし、ひとつだけ気になることはある。観初めの頃、日本の甥に「中田敦彦って知ってる?」と聞いてみた。すると、彼は若干否定的に「ああ。でもあの人、ホリ何某って人と繋がってるみたいだよ」と言う。甥にとっては、ホリ何某さん的な考え方は受け入れ難いものなのだ。いわば、強者の論理を持つ人。甥は小学生の時に母親を亡くし、その後もいろんな事情で勉強に集中できなかった。そうやって大人になれば、自ずと仕事も限られてくる。思いやりのある気のいい子で、それだけに、声の大きい者が、恵まれない人に対して自己責任論をぶち上げる今の世の中では生きづらい。

けれども私は、中田さんは、この辺はホリ何某さんとは少し違うような気がしている。彼自身も高学歴だし、本人曰く、大学受験までは高級官僚を目指して勉強に励んでいたそうで、野心家でもある。だが、彼の番組を観ていると、あれだけ「ナルシスト」なのに、偉そうに慢心していった芸人たちとは違うものがあるように見受けられる。それは、他者を楽しませて喜んでもらうことが、自分の喜びにもなっていることではないか。あのYouTube大学だって、皆んなに学んでもらいたい、それが、引いてはより良い生き方、より良い社会に繋がると考えているのではないか。大学の先生は、研究者だ。でも、高校までの先生は、すでにある知識を生徒たちに伝えるのが仕事。そう言う意味では、YouTube大学と銘打ってはいるけれど、中田さんの役割は高校の先生だろう。そこでお願いしたいのは、教材選びである。特に社会評論の分野では、強者の側に立った本や考え方だけを紹介するのじゃないよう気をつけていただきたいなとは思う。頭のいい勉強家の人だ、本質を見通せる方だとは思っているが。

山本太郎という政治家、中田敦彦というビジネスマン。共に、今が働き盛りの男たち。右だとか左だとか、上だとか下だとかにこだわらない、自由な発想の新しい男たち。この二人、タイプはだいぶ違う。一方は、自分のためとは言っているが、明らかに民のために人生を捧げることを選んだ人。プライベートな楽しみの暇もなく全国を遊説する毎日。党が大きくなっても、自分が冨む道ではない。一方は、視聴者が増えれば増えるほど、自分も豊かになっていくし、社会的な地位も得ていく。けれども、彼は彼なりのやり方で人々に希望を与え、より良い社会を目指しているように感じる。強者になっても弱者に目を向けられる人だと信じたい。山本太郎、中田敦彦、これからどう動いていくか、これからも目が離せない二人だ。